精緻なミニアチュール彫刻 《サヴォーナの憐みの聖母 巡礼記念》 工芸品水準の小メダイ 直径 10.6 mm フランスまたはイタリア 1920 - 30年代


突出部分を除く直径 10.6 mm



 イタリア北西部、リグリア海に面したサヴォーナ(Savona リグリア州サヴォーナ県)の町で、1536年と 1580年に出現した聖母のメダイ。サヴォーナの聖母は正義ではなく憐みを求め給うたゆえに、ノストラ・シニョーラ・デッラ・ミゼリコルディア・ディ・サヴォーナ(Nostra Signora della Misericordia di Savona サヴォーナの憐みの聖母)と呼ばれます。本品は 1920年代ないし 30年代に制作されたサヴォーナの聖母のメダイユです。直径十ミリメートルほどの小さなサイズにも関わらず、精密な浮き彫りにより写実的表現が為され、美術工芸品と呼べる水準に達しています。

 本品の一方の面には、1536年3月18日の早朝、サヴォーナ近郊に住む農夫アントニオ・ボッタ(Antonio Botta)に対して聖母が出現し給うた際の様子が、精緻な浮き彫りで表現されています。聖母は岩の上に立ち、あたかも大勢の罪びとたちを招き寄せて胸に抱くかのように、伸ばした両腕を開いておられます。アントニオはサヴォーナを流れるレティンブロ川(il Letimbro)の岸辺に跪き、聖母を仰いで手を合わせています。





 1536年4月15日、アントニオに対して二度目に出現し給うた際、サヴォーナの聖母は「わたしが求めるのは正義ではなく、憐れみです」とおっしゃいました。このためサヴォーナの聖母はノストラ・シニョーラ・デッラ・ミゼリコルディア(Nostra Signora della Misericordia サヴォーナの憐みの聖母)と呼ばれます。

 「テモテへの手紙 二」二章二十二節において、使徒パウロは「正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」と書いています。しかしながら罪をあくまでも追及するのが正義、罪を赦すのが愛です。正義は「レ・ミゼラブル」のジャヴェール警部にも似て、罪びとを決して赦さず、追い詰め、責め立て、処罰を求めます。これに対して愛は人に罪があることを知りながらその人を赦し、罪とは無関係に人を庇(かば)い守ります。このように正義と愛は尖鋭に対立します。それゆえ正義と愛を同時に追い求めるのは、原理的に両立し得ないことを同時に実現しようとする試みに他ならず、まったくの不可能事と言わざるを得ません。


 聖書を読むと、神は正義であると同時に愛でもあることが記述されています。しかしながらこの場合の「正義」と「愛」は、われわれ人間が思い浮かべる正義や愛の概念とは全く異なるはずです。なぜならば神における正義と愛は、互いに矛盾なく両立可能だからです。より正確に言えば、神における正義と愛は二つの別々の事柄ではなく、不可分の一体を為します。あるいは、不可分の一体を為す正義と愛は神の本質であり、神そのものです。このような正義と愛は、現世にある人間が知解(羅 INTELLIGERE 知性で捉えること)し得る能力をはるかに超えています。

 上に引用した書簡において、パウロは正義と愛を両立可能なものと考えていますが、これは我々が通常の意味で理解する正義や愛ではなく、神における正義や愛のことでしょう。我々は神ではないので、神の属性である高次の正義や愛を具現することなどできるはずもありません。しかしながら我々が異性なり、敬愛する人物なりに愛を向けるとき、愛の対象に倣い、類同しようとする気持ちがおのずから生じます。「正義と愛を追い求めよ」というパウロの言葉は、神を愛し慕いなさい、という意味に解することができます。


 聖母の出現に話を戻します。叙上の「神における正義と愛」もそうですが、神ご自身に関する事柄をはじめ、キリスト教における宗教的事柄や、神の為し給う事は、そのすべてが人間の理解を超えています。王として降誕し給うたメシア(救世主)は、聖王として神の国を実現するのではなく、十字架上に刑死することで救世を達成し給いました。そしていまもミサが挙げられるたびに、メシアは受難し、血を流し給います。メシアの受難による救世は、キリスト教最大のミステリウム(奥義)です。

 それと同様に理解しがたいのは、聖母出現の様態です。地上の世界に影響を与えたいのであれば、皇帝や王など、影響力を持つ高位の人々に出現し、重大な問題について具体的な指示を与えるのが普通でしょう。マルグリット=マリにキリストが出現し、ルイ十四世への伝言を託したのは、これに近い出来事です。キリストはフランス王に自ら出現し給いませんでしたが、それでも王に対する伝言を修道女に託しました。これとは対照的に、聖母の出現は子供たちや一般の人に対して起こります。また聖母が伝えるメッセージにも具体性が無く、ただ「祈りなさい」「悔い改めなさい」というだけの場合が多いように思われます。聖母像が涙を流す場合は、そのように簡単なメッセージさえ欠落しています。要するに、聖母がわざわざ出現し給うのは、学が無ければ理解が難しいような難しい事柄ではなく、誰にでも十分に理解できるメッセージを、幼い子供や目に一丁字無い庶民に伝えるためなのです。

 サヴォーナの聖母の場合も、出現の対象は一介の農夫でした。聖母がアントニオに求めたのは断食と告解、聖体拝領でしたが、これは一言で言えば、救い主の受難に寄り添い、罪びとを愛し給う神の愛に応えよということに他なりません。





 サヴォーナに二度目に出現し給うた聖母は、「わたしが求めるのは正義ではなく、憐れみです」と言いました。人間の知性は能力が限られているゆえに、愛と不可分一体の「神の正義」を理解することができません。人間の振りかざす正義は実に卑小なものです。我々の正義の相対性、すなわち立場に応じて正反対の主張さえそれぞれに「正義」を主張し得るという事実は、われわれの正義の卑小性を端的に示しています。

 いま我々が知っている国民国家イタリアは、十九世紀のリソルジメント(伊 il Risorgimento 復興)によって生まれました。十六世紀のイタリアは統一が為されず、多数の国家や教皇領に分かれていました。1536年のサヴォーナは、1528年からのジェノヴァとの戦争に敗北した後、1535年に神聖ローマ皇帝カール五世とフランス王フランソワ一世が始めたイタリア戦争に巻き込まれ、混乱の只中にありました。このような状況の下(もと)、サヴォーナの正義、ジェノヴァの正義、神聖ローマ帝国の正義、フランスの正義はそれぞれの立場に応じて異なります。人間の次元で考えれば、拠って立つ位置に応じて正義は相対的にならざるを得ず、その卑小性が露わになります。

 一方、愛は正義とは違い、それぞれの立場を隔てる壁を易々と超えてしまいます。卑小な人間の目には大きなものと映る国の違いのみならず、同じ社会に生きる人々の間に厳然として存在する隔たりをも、まるであらゆる物体を透過するニュートリノのように、いとも簡単に乗り越えます。「レ・ミゼラブル」の人物でいえば、ジャヴェール警部は正義の権化です。それに対してミリエル司教は愛の権化です。





 人間の知性は、愛と不可分一体である神の正義を知解することができません。一方神の愛に関しても、人間は神の愛を持てないという意味では神の愛を知解することができません。特に中世スコラ学の認識論においては、知性は対象のエッセンチア(羅 ESSENTIA 本質)を抽出・分有することで認識を行うと考えられていました。被造的知性が神の本質を分有できない以上、神の愛を知解することも、やはり原理的に不可能です。しかしながら正義の場合とは違い、利他の愛に卑小性はありません。人間の正義は神の正義とまったく異質で、両者の間には如何なるシミリトゥードー(羅 SIMILITUDO 類似)も存在し得ないように思えます。しかしながら愛に関して言えば、人間の利他的愛は神の愛のシミリトゥードーであり、類比(アナロギア)による関係が両者の間に成り立ちうると、筆者(広川)は考えています。

 筆者は高校一年生の時、「レ・ミゼラブル」を日本語訳で読んで、ミリエル司教のくだりに涙しました。ミリエル司教は架空の人物ですが、その後の筆者の生き方を規定した人であり、最も大きな影響を筆者に与えた人物です。ミリエル司教におけるように、常識的判断の有効性さえ無化する愛の力は、学識、教養、社会的地位をはじめ、人が欲しがるあらゆる属性を不要とすることによって、それら諸属性を逆照射し、その卑小性を浮かび上がらせています。


 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。人物像の頭は直径一ミリメートルの円内に収まりますが、顔の向きがわかるばかりか、表情まで読みとrことができます。聖母がまとう衣は柔らかな薄布であることがわかりますし、農夫アントニオが粗衣の肩から水筒を提げているのもわかります。これらの細部はすべて一ミリメートルに満たない細密さで作られています。

 1930年代頃のメダイユは、フランスで作られた作品が最も精緻な特徴を有します。本品はこの時期のフランス製メダイユと共通の特徴を備えており、フランス製の可能性があります。





 メダイユのもう一方の面には、簡略なイタリア語で「リコルド・サントゥアリオ・ミゼリコルディア、サヴォーナ」(伊 RICORDO SANTUARIO MISERICORDIA SAVONA)と記されています。本品は直径十ミリメートルと小さくスペースが限られているので、冠詞や前置詞が省略されていますが、「サヴォーナの憐みの聖地 巡礼記念」という意味です。


 ドイツ南部、バイエルンのシャイエルンに、ベネディクト会のシャイエルン修道院があります。この修道院には十三世紀の絵入り手稿本が残っており、1986年に出版された「シャイエルン修道院の伝説」(Michael Stephan, „Die Traditionen des Klosters Scheyern“, Verlag C. H. Beck, München 1986, ISBN 3 406 10398 7)に内容が紹介されています(Renate Kroos, „Die Bildhandschriften des Klosters Scheyern aus der ersten Hälfte des 13. Jh.“)。同書によると、厳格で知られる女子修道院長が妊娠してしまい、聖母に助けを求めました。すると聖母は院長を深い眠りに陥らせ、二人の天使に命じて院長の子宮から赤ん坊を取り出させました。子供は隠修士に預けられ、大切に養育されました。一方の院長は妊娠の疑惑ゆえに司教たちから呼び出しを受けましたが、体を調べても妊娠しているとは思えません。ここで院長は聖母の援けを告白し、司教たちは大いに驚きました。院長から生まれた子供は、後に司教になりました。

 「マーテル・ミセリコルディアエ」という言葉を聞くと、筆者(広川)はこの伝説を思い出します。聖母は過ちを犯した人を責めるのではなく、ただ庇い守り給います。シャイエルン修道院の手稿本を見ると、情愛深い聖母が人々に如何に愛され、求められたかがよくわかります。




(上) Giovanni Antonio da Pesaro, "Madonna della Misericordia", 1462, Chiesa di Santa Maria dell'Arzilla, Pesaro


 「マーテル・ミセリコルディアエ」あるいは「マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア」(伊 la Madonna della Misericordia 憐みの聖母)はキリスト教図像の一類型で、大きなマントの下に罪びとを匿(かくま)う聖母の姿を描きます。上の写真はペーザロ(Pesaro マルケ州ペーザロ・エ・ウルビーノ県)に生まれた十五世紀の画家ジョヴァンニ・アントニオ・ベッリンツォーニ(Giovanni Antonio Bellinzoni da Pesaro, 1415 - 1477)の作品で、俗人男女と修道士、修道女のほか、苦行信心会の会員と思われる頭巾姿の男性たちの姿も見えます。

 サヴォーナに出現した聖母は「わたしが求めるのは正義ではなく、憐れみです」とおっしゃったゆえに「ノストラ・シニョーラ・デッラ・ミゼリコルディア」(Nostra Signora della Misericordia 憐みの聖母)または「マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア」(Madonna della Misericordia 憐みの聖母)と呼ばれています。アントニオ・ボッタの報告によると、このときの聖母はマドンナ・デッラ・ミゼリコルディアの図像と同じく両腕を伸ばして広げておられました。それゆえサヴォーナの聖母は、図像に描かれるマドンナ・デッラ・ミゼリコルディアの図像と同様に、あらゆる国、あらゆる時代、あらゆる職業、あらゆる立場の人々を、すべて我が子として分け隔てなく愛し、庇い給う悲母(ひぼ 優しい母)であることがわかります。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品は八十年ないし九十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、良好な保存状態です。経年の摩滅による突出部分の丸みは歴史性の証であるとともに、憐みの聖母に相応しい優しさをメダイに与えています。二十世紀の品物ですが、サヴォーナの聖母に関連する信心具は数が少なく、本品は稀少品です。





本体価格 6,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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