稀少な名品 アンドレ・アンリ・ラヴリリエ作 ジャンヌ・ダルク列福記念メダイ ドン=レミ、オルレアン、ルーアン 直径 18.8 mm


突出部分を除く直径 18.8 mm

フランス  1909年



 ジャンヌ・ダルクは 1909年4月18日、教皇ピウス10世により、パリ司教座聖堂ノートル=ダム(ノートル=ダム・ド・パリ)で列福されました。本品はジャンヌの列福を記念して制作されたメダイです。

 ジャンヌはリジューのテレーズルイ9世トゥールのマルタンと並ぶ「フランスの守護聖人」(une patronne secondaire) であるゆえに、フランスではこれまでに数々の美しいメダイが作られてきました。しかしながらジャンヌが正式に「フランスの守護聖人」とされたのは 1922年のことです。ジャンヌは 1920年に列聖されましたから、数多く作られた「フランスの守護聖人ジャンヌ」のメダイも、そのほとんどは「聖ジャンヌ・ダルク」のメダイということになります。ジャンヌが「福者」であったのは、1909年から 1920年の約11年間に過ぎません。したがって「福者ジャンヌ・ダルク」のメダイはいずれも稀少品ですが、なかでも本品の両面の出来栄えは、筆者(広川)がこれまで入手したなかで、最も美しく優れたもののひとつです。





 メダイの表(おもて)面には、髪を短く切ったジャンヌの横顔を、立体感ある美しい浮き彫りで表しています。聖女は騎士の甲冑を身に着け、首元には鎖帷子(くさりかたびら)が覗いています。また殉教者のしるしであるナツメヤシの葉が手前に置かれています。新しい福者に執り成しを求める祈りの言葉が、ゴシック典礼体のフランス語により、周囲に記されています。

  Bienheureuse Jeanne d'Arc, priez pour nous.  福者ジャンヌ・ダルクよ、我らのために祈りたまえ。

 メダイの下部には三つの年号が刻まれています。1412年はジャンヌの生年、1431年はジャンヌが火刑に処された年、1909年は列福の年です。ジャンヌと共に彫られたナツメヤシの葉は不滅の栄光を表します。神の永遠の計画の下にジャンヌが為した働きは、三つの年号が表す歴史上の時間を超えて、神の栄光と共に讃えられます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。ジャンヌの目鼻口はそれぞれ 1ミリメートルにも満たないサイズですが、顔立ちが整っているのみならず、しっかりと目を見開いたジャンヌの表情には、神の摂理に対する無条件の信頼と、フランスを救おうとする大きく強い意志が、浮き彫りの小さなサイズを超えて、見事に形象化されています。

 クアットロチェント(15世紀)のイタリアにおいてピザネッロが始めたメダイユ彫刻は、イタリア本国よりもむしろフランスで栄え、19世紀においてひとつの頂点に達しました。19世紀のフランスでメダイユ彫刻が興隆するきっかけとなったのが、ダヴィッド・ダンジェ (Pierre-Jean David d'Angers, 1788 - 1856) による作品群です。ダヴィッドは「常に変わらない人柄は、横顔にこそありのままの形で現れる」と考え、モデルの横顔を捉えたメダイユの名作を数多く生み出しました。一時的な感情ではなく、人物の生来の人柄と、それまでの歩みによって形成された人柄を作品に表現するのであれば、横顔を捉えるのが最も適している、とダヴィッドは述べています。ラヴリリエによるこの作品においても、揺るぎなき信仰に裏付けられたジャンヌの強さは、少女の凛々しい横顔に余すところなく表現されています。





 メダイの右下に彫刻家アンドレ・アンリ・ラヴリリエ (André Henri Lavrillier, 1885 - 1958) の署名 (Ah LAVRILLIER) とメダイユ工房のモノグラム (JB)、上部の環の基部に同じ工房のマーク (J + B) が見られます。


ティプ・ラヴリリエ 1947年


 1909年当時、弱冠24歳であったフランスのメダイユ彫刻家アンドレ・アンリ・ラヴリリエ (André Henri Lavrillier, 1885 - 1958) は、その優れた才能を買われ、ジャンヌ列福記念メダイの制作者として抜擢されました。ラヴリリエの作品は高く評価され、1920年にジャンヌが列聖された際の記念メダイユにも、再び採用されています。アンドレ・アンリ・ラヴリリエは、1933年から1952年まで発行されたフランス共和国の5フラン貨「ティプ・ラヴリリエ」(type Lavrillier) をデザインした彫刻家としてもよく知られています。





 裏面にはジャンヌの生家が表され、周囲にフランス語で「ジャンヌ・ダルクの家」(maison de Jeanne d'Arc)、「ドンレミ」(Domrémy) と彫られています。この建物についてはジャンヌの裁判でも詳述されており、ジャンヌの生地ドンレミ、現在のドンレミ=ラ=ピュセル(Domrémy-la-Pucelle ロレーヌ地域圏ヴォージュ県)に現存しています。





 上の写真はフランスの古い絵葉書です。ジャンヌの父が所有していた農場は、ドンレミの教会に隣接していました。上の写真でいえば、向かって右側に少し離れて、教区教会が建っています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。この面の浮き彫りも、表(おもて)面と同様にきわめて精密で、ひとつひとつの屋根瓦や石積み、周囲の樹木までもが克明に彫りこまれています。入り口上部に見えるのは跪くジャンヌ像で、1839年に設置されたものです。メダイ下部の左側に、ラヴリリエのサインが刻まれています。





 本品は百年以上前にフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、それほどまでに古いものとは俄かに信じ難いほど良好な保存状態です。磨滅の程度はごく軽く、ジャンヌの頭髪をはじめとする突出部分から鋳造による文字、さらにラヴリリエが細い線で彫り込んだ署名もよく残っています。美術の世界では良く知られたメダイユと貨幣の彫刻家アンドレ・アンリ・ラヴリリエが若き日に制作した名品であり、小さいサイズながらも高く評価されるべき作品です。





本体価格 18,900円 販売終了 SOLD

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