ドミニク・アングル作 「シャルル七世の戴冠式におけるジャンヌ・ダルク」 列福記念のアルミニウム製メダイユ 直径 26.3 mm


突出部分を除く直径 26.3 mm

フランス  1909年



 フランス救国の聖女ジャンヌ・ダルク (Ste. Jeanne d'Arc, 1412 - 1431) は、1909年4月18日、教皇ピウス10世により、パリ司教座聖堂ノートル=ダム(ノートル=ダム・ド・パリ)で列福されました。本品はジャンヌ列福を記念し、アルミニウムを用いて制作された大きめサイズのメダイで、ドミニク・アングル (Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780 - 1867) の名画「シャルル七世の戴冠式におけるジャンヌ・ダルク」に基づいています。ただしアングルが「フランスを導く守護聖女ジャンヌ・ダルク」を描いたのに対して、本品のメダイユ彫刻家は画面を意図的に改変し、「全カトリック信徒のために執り成しをする聖女ジャンヌ・ダルク」像を表現しています。




(上) Jean-Auguste-Dominique Ingres, "Jeanne d'Arc au couronnement de Charles VII", 1854, huile sur toile, 178 x 240 cm, le musée de Louvre, Paris


 本品の意匠の基となったアングルの作品は 1854年に制作された油彩の大作で、ルーヴル美術館に収蔵されています。この作品はシャルル七世の戴冠の場であるランス司教座聖堂内の光景を描きながらも、ジャンヌのみを大きく取り上げています。アングルは新国王や大司教の姿を直接的に表現せず、ジャンヌの左(向かって右)に王冠と立ち昇る香の煙を描くことで、「国王」と「フランス国民の祈り」を象徴的に表しています。国王をはじめとするフランスの人々を左右に引き連れたジャンヌは、フランスと神の仲介者です。天に向けられたジャンヌの視線とともに、背景のフルール・ド・リスの垂れ幕がジャンヌの視線と同じ角度で、すなわちジャンヌの視線に導かれて、斜め上方へと上がっていることも、ジャンヌがフランスを神へと導く聖人であることを示しています。 ジャンヌの足下、画面下端の中央左寄りには、次の言葉を記した銘板が描き加えられています。

  Et son bûcher se change en trône dans les cieux. Em. Deschamps  その薪、天にては玉座とならむ。エミール・デシャン

 エミール・デシャン (Émile Deschamps, 1791 - 1871) はアングルと同時代の詩人です。ジャンヌの列福は 1909年、列聖は 1920年のことであり、この油彩が描かれた 1854年の時点ではジャンヌは聖人ではありませんが、アングルはエミール・デュシャンの引用によって、ジャンヌが神に選ばれた聖女であることを明示しています。アングルの描く聖女ジャンヌは、カトリック国の長姉フランスに与えられた神の祝福の徴(しるし)であり、ガリカニスムの主張とも重なります。この作品は 1855年にパリで開かれたフランス初の万国博覧会でも展示され、称讃を浴びました。

 アングルは二十歳代、三十歳代のときに、「水浴する女」("La Grande Baigneuse" ou "La Baigneuse Valpinçon", 1808)、「グランド・オダリスク」("La Grande Odalisque", 1814) などの名画を描いていますが、ジャンヌ・ダルクを題材に取り上げた時期は遅く、六十五歳頃に描いた素描が最初です。この素描は版画家ポレ (Victor Florence Pollet, 1811 - 1882) の手でグラヴュール・シュル・アシエ(スティール・エングレーヴィング)になり、1846年に出版された「フランス偉人列伝」("Le Plutarque français: vies des hommes et des femmes illustres de la France, depuis le cinquième siècle jusqu'à nos jours, avec leurs portraits en pied gravés sur acier") に収録されました。ポレのグラヴュールを下に示します。


 


 この素描のジャンヌは、右手で軍旗を支え、左手を祭壇の上に置き、天に目を向けており、その姿勢は 1854年の油彩と共通しています。素描の祭壇画には、王冠を被り笏を持ったルイ九世と思われる聖人と、その傍らに跪いて祈る別の国王が描かれています。祭壇前面に掛かる布には、多数のフルール・ド・リス(百合の花)が散りばめられていますが、このような細部は高名な古美術品収集家ド・ゲニエール (François Roger de Gaignières, 1642 - 1715) のコレクションを参考に描かれたと考えられます。素描にはエミール・デシャンの銘板は描かれていませんが、ジャンヌの姿勢と物品から、既にフランス王室の守護聖人として描かれていることがわかります。

 なお素描のジャンヌは甲冑の下半身が剥き出しでしたが、1854年の油彩では社会の保守的な気風に配慮して、ジャンヌの下半身は巻きスカートで覆われています。油彩の髪型が女らしくなっているのも、保守派への配慮でしょう。


 マリ・ドルレアンによるジャンヌ・ダルク像


 素描のジャンヌの髪型は、マリ・ドルレアン(Marie d'Orléans, 1813 - 1839) によるジャンヌ・ダルク像に似ています。マリ・ドルレアンはオルレアン公ルイ=フィリップ(フランス国王ルイ=フィリップ一世 Louis-Philippe Ier, 1773 - 1830 - 1848 - 1850) の娘で、優れた画家・彫刻家でしたが、肺結核のため 25歳で亡くなりました。マリの父である国王ルイ=フィリップ一世は、1841年、娘が制作したジャンヌ・ダルク像をオルレアン市に寄贈しました。この像はオルレアン市庁舎前に置かれています。





 商品説明に戻ります。メダイの表(おもて)面には、1429年7月17日、ランス司教座聖堂で行われたシャルル七世の戴冠式に参列するジャンヌ・ダルクを浮き彫りにし、向かって右上方に「福者ジャンヌ・ダルク」(Bienheureuse Jeanne d'Arc) の文字を刻みます。甲冑姿のジャンヌはアングルの油彩画と同じ姿勢で、王の軍旗を右手で支え、左手を祭壇に置いています。ジャンヌの右(向かって左)に跪いて祈る人たちがいるのも油彩画と同じです。


 しかしながらこのメダイとアングルの原作の間には違いもあります。最も重要な違いのひとつは、ジャンヌの右(向かって左)の群像が、メダイにおいては祈る人々に限定されていることです。原作には向かって左端に、祈りの姿勢を執っていない人物がもうひとり立っているのですが、メダイユ彫刻家はこの人物を省略し、祈る人々に焦点を合わせています。

 もうひとつの重要な違いは、祭壇上の器物です。アングルの原作では蝋燭と燭台、聖遺物容器、携帯用聖体容器、王冠など様々な物が祭壇上に置かれ、背景に祭壇画も描かれていますが、メダイにおいてこれらはすべて取り払われ、簡素なクルシフィクスがひとつだけ置かれています。アングルが描き込んだ種々の器物が簡素なクルシフィクスに置き換えられているのは、数多くの器物を彫るのが難しいからではなく、面倒だからでもありません。メダイユ彫刻家は図柄を意図的に改変し、ジャンヌの列福記念メダイにふさわしい図柄としているのです。





 アングルの原画において、神と教会の権威を示すさまざまな器物が祭壇上に置かれ、また聖王ルイの前に跪く新王の祭壇画が描き込まれたのは、「カトリック国の長姉フランス」に対する神の恩寵を明示するためでした。またジャンヌの右(向かって左)に当時のフランスの人々を描いたのは、ジャンヌがフランスの国王と臣民を左右に従えて神に導くことを示すためでした。

 しかるに本品はフランスで制作されたメダイではありますが、「シャルル七世の戴冠記念メダイ」でも「フランスに対する神の祝福をテーマにしたメダイ」でもありません。本品はジャンヌの列福記念メダイです。「福者」はその聖性をフランスのみならず全地の公同の教会(カトリック教会)によって認められた人であって、フランス人のみならず、全世界のカトリック信徒にとっての「福者」です。それゆえ本品の図柄は、良く知られたアングルの名画に倣いつつも、図柄が表す内容は大きく異なります。本品に彫られているのは「フランスを導くジャンヌ」ではなく、「福者として罪びとを執り為すジャンヌ」です。本品の彫刻においてジャンヌが「神」すなわち十字架上のイエス・キリストと、「祈る人々」の間に立っているのは、このような理由に拠ります。





 メダイのもう一方の面には、ジャンヌを列福した教皇の横顔を精緻な浮き彫りで再現し、ラテン語で「教皇ピウス十世」(PIUS X, PONTIFEX MAXIMUS) と記しています。またメダイの縁に近い帯状の部分には、次の言葉をフランス語で刻みます。

  souvenir de la béatification de Jeanne d'Arc, Rome 1909  ジャンヌ・ダルク列福記念 ローマ 1909年

 ピウス十世は19世紀から20世紀初めのヨーロッパを席捲した近代主義に抗(あらが)い、保守的な教皇として知られます。ピウス十世は第一次世界大戦の勃発にショックを受けて体調を崩し、そのまま亡くなりました。第一次大戦の勃発は、フランスにおけるベル・エポックの終焉を告げ、「現代」の始まりを告げる出来事でもありました。このメダイは近代と現代の狭間に生まれた作例であるといえます。





 本品が制作された 1909年において、アルミニウムは貴金属ではないにしても、あまり使われることがない一種特別な金属でした。アルミニウムの生産量が増え始めるのは、第一次大戦期以降のことです。

 拡大写真では突出部分のわずかな磨滅や微細な瑕(きず)が判別できますが、肉眼で実物を見ると十分に綺麗な保存状態です。





本体価格 8,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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