極稀少品 天の権威により栄光に挙げられた聖テレーズ キリストの神秘体なるエクレーシアのメダイ 非常に珍しいモティーフによる芸術的水準の作例 34.3 x 25.4 mm 1925年



突出部分を含む楕円形メダイユのサイズ  縦 34.3 x 横 25.4 ミリメートル

楕円形メダイユの最大の厚さ  3.8 ミリメートル


上部のピンを含む全体のサイズ  縦 50.4 x 横 25.4 ミリメートル

上部のピンを含む全体の重量  9.9 グラム



イタリア  1925年




 リジューの聖テレーズ(幼きイエスの聖テレジア Ste. Thérèse de Lisieux, 1873 - 1897)の列聖を記念し、1925年にイタリアで制作された重厚なメダイ。上部にピンを取り付け、揺れるブローチとしています。

 リジューのテレーズのメダイは数多くの種類がありますが、描写される聖女の姿はおよそ三種類に限られ、たくさんあるように見えるメダイも三種類のいずれかに分類されます。しかしながらこの作品は三種類のいずれにも該当せず、筆者(広川)自身が初めて目にする極めて珍しい作品です。





 メダイの表(おもて)面には、教皇ピウス十一世の横顔が浮き彫りにされています。教皇は頭頂部よりも少し後ろの位置に、カロッタ(伊 calotta)という白い布の帽子を被っています。この面の彫刻はサイズが大きいだけにいっそう写実的で、あたかも教皇自身を眼前に見るかのような錯覚を覚えます。

 教皇の像を取り巻くように、ラテン語で次のように書かれています。和訳は筆者(広川)によります。本品のラテン語は碑銘のように簡潔なので、和訳にあたり幾つかの語句を補って意味を通じやすくしました。

 A PIO PAPA PONTIFICE XI CŒLITUM GLORIA SVBLIMATVR - ANNO 1925  教皇ピウス十一世により、天来の権威に基づいて、テレーズの聖女としての栄光が高められる。1925年に。


 ラテン語の受動態で、行為者は「a/ab + 奪格」で表されます。ここでは「教皇ピウス十一世により」(羅 A PIO PAPA PONTIFICE XI)の句が行為者を示します。しかしながらローマ司教(教皇)が発揮する権能は、ローマ司教(教皇)自身の徳や聖性には一切無関係に、ただ神の力にのみ由来します。神学ではこのことを「エクス・オペレ・オペラートー」(羅 EX OPERE OPERATO 為されたる業によって)と表現します。上記に引用したラテン文中、「天来の権威に基づいて」と訳した副詞コエリトゥム(羅 CŒLITUM)は「天から」が原意ですが、ここでは「エクス・オペレ・オペラートー」と同じ意味を表します。

 キリスト教的文脈で教皇と訳される「ポンティフェクス」(羅 PONTIFEX 大祭司)は、神と人の間に「橋(PONS)を架ける(FACIO)」人、が原意です。教皇は地上の教会の代表者ですが、いわば天界と地上界を結ぶ橋に過ぎません。教皇が振るう権能は、この橋を通じて神から送られてくるものです。テレーズの栄光が高められたのは、あくまでも神の力によります。





 フランスにおけるメダイユ彫刻中興の祖、ダヴィッド・ダンジェ(Pierre-Jean David d'Angers, 1788 - 1856)は、モデルの横顔を好んで作品にし、「正面から捉えた顔はわれわれを見据えるが、これに対して横顔は他の物事との関わりのうちにある。正面から捉えた顔にはいくつもの性格が表われるゆえ、これを分析するのは難しい。しかしながら横顔には統一性がある。」と言っています。ダヴィッド・ダンジェが言っているのは、正面像の浮き彫りの場合、モデルと彫刻家が向き合うことになって、その時、その場においてのみ表出された心の動きが描写される。このようにして描写された心は生きて動く姿であるゆえ、運動する人の姿勢が刻々に変化するのと同様に、その在り方が一定しない。しかるに横顔を浮き彫りにする場合、モデルの表情は彫刻家の存在に影響されないゆえ、そこには永続的な性格がよく表れる、という意味です。

 貨幣彫刻をはじめ、浮き彫りによる統治者の肖像は横向きであるのが普通です。ダヴィッド・ダンジェの考え方に沿って解釈すれば、これは統治者が一時的感情に影響されずに判断を下すべき職務を有することを反映しています。本品の浮き彫りが捉えるのはピウス十一世の横顔ですが、ピウス一世は公教会の長であり、ローマ司教座から発する宣言は、列聖と列福のみならず、教義を定める効力をも有します。神はこの権能をピウス十一世個人の心や徳性にではなく、キリストの神秘体なるカトリック教会に委ね給いました。ローマ司教(教皇)はその権能を神の命じ給う通りに行使するのであって、その精神と性格は世俗の統治者の場合以上に安定している必要があります。したがって本品のピウス十一世像が横向きであるのは、ローマ司教(教皇)の描写としてたいへんふさわしいといえます。





 本品が制作されたイタリアは、メダイユ彫刻発祥の地です。古い時代のメダイユ彫刻は、人物像を実際に背景から突出させることによって三次元性を表現していました。しかるに十九世紀のメダイユ彫刻はフランスを中心に発展を遂げ、人物像の三次元性を物理的な凹凸によらずに表現するようになりました。本品の浮き彫りは類品に比べて肉厚で、たいへん重厚ですが、高浮き彫りと呼べるほどの突出に頼ることなく、あたかも生身のピウス十一世像を眼前に見るかのような写実性と臨場感を実現しています。本品はメダイユ彫刻における非常に優れた作例であり、信心具のメダイユにおける浮き彫り芸術の到達点を示しています。





 裏面には、教皇レオ十三世(Leo XIII、1810 - 1873 - 1903)の前で跪いて嘆願する十四歳の少女、テレーズ・ド・リジューを浮き彫りにしています。

 1886年頃、テレーズ・ド・リジューはリジューのカルメル会への召命を感じていましたが、父ルイ・マルタン(Louis Martin, 1823 - 1894)や叔父の反対をはじめとするさまざまな障碍を予想して、心を決められずにいました。しかしながら同年12月25日、真夜中のミサで聖体を拝領した後に回心を経験したテレーズは、自身がイエスを愛し、またイエスが人々に愛されるようにするために、修道女になることを決心します。

 1887年3月17日、パリ八区のモンテーニュ通(現、ジャン・メルモーズ通)十七番地で、売春婦とその家政婦および家政婦の娘が惨殺されてダイヤモンドが奪われる事件があり、四日後に犯人アンリ・プランジーニ (Henri Pranzini, 1857 - 1887) が捕まりました。プランジーニは同年8月31日、ラ・ロケット刑務所前でギロチンにかけられましたが、プランジーニの魂の救いを祈っていたテレーズは、翌日の「ラ・クロワ」("La Croix" カトリックの日刊紙)でプランジーニが処刑前にクルシフィクスを抱きしめたという記事を読み、喜びの涙を流しました。テレーズはプランジーニを「私の最初の子ども」と呼びました。


 

(上) レ・ビュイソネの庭でカルメル会集会の許しを父に請うテレーズ。マリ=ベルナール修道士による彫刻を写した 1930年頃の絵葉書。当店の商品です。


 1887年5月29日、テレーズは自宅の庭で修道女になる願いを父ルイに打ち明けます。父はテレーズの気持ちを理解し、後見人である叔父イシドールも同意しましたが、リジューのカルメル会のジャン=バティスト・ドラトロエット神父(P. Jean-Baptiste Delatroëtte)の許可が下りません。テレーズは父とともにバイユー・リジュー司教ユゴナン師(Mgr Flavien Hugonin, 1823 - 1898)と面会しましたが、司教からもすぐに許可を得ることはできませんでした。悲しむ娘の姿を見て、父ルイは教皇レオ十三世に直接願い出ることを思い立ち、テレーズを連れてローマに向かいます。1887年11月20日、教皇の謁見を許されたテレーズはその足元に身を投げ、十五歳でカルメル会に入会する許可を求めますが、教皇は長上の指導に従い神の御心に任せるようにと言いました。テレーズは失意のうちにリジューに戻りますが、十五歳の誕生日を翌日に控えた 1888年1月1日、ユゴナン司教からカルメル会入会を許可する手紙が届きました。テレーズはすぐにでも入会したがりましたが、カルメル会では少女テレーズが厳冬期に入会することを心配し、4月9日を入会の日に指定しました。1888年4月9日、父に見送られてカルメル会に入会したテレーズは、1889年1月10日に着衣式を迎え、1890年12月24日に終生誓願を立てました。





 本品の裏面に彫られているのは、1887年11月20日、少女テレーズ・ド・リジューが教皇レオ十三世の足元に身を投げ出し、十五歳でカルメル会に入会する許可を求めた際の様子です。司教の座に腰かけたレオ十三世と、その前にひざまずく少女テレーズを教皇の像を取り巻くように、ラテン語で次のように書かれています。和訳は筆者(広川)によります。

 AD PEDES LEONIS PAPÆ PONTIFICIS XIII ARDUA PETENS DECIDIT ANNO 1887  1887年に、信仰篤きテレーズは、嘆願しつつ、教皇レオ十三世の足下に身を屈める。


 メダイの製造国を示すイタリア(仏 ITALIE)の文字が、「1887年に」(羅 ANNO 1887)のすぐ下に、小さく打刻されています。「イタリア」の綴りがフランス語式であるのは、本品がテレーズの出身国であるフランス向けに制作されたからでしょう。





 ドイツの哲学者ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel, 1858 - 1918)は、1957年に刊行された「橋と扉 ― 歴史、宗教、芸術、社会に関する哲学の随筆集」(„Brücke und Tür, Essays des Philosophen zur Geschichte, Religion Kunst und Gesellschaft“, im Verein mit Margarete Susmann herausgaben von Michael Landmann, K. F. Koehler Verlag,Stuttgart, 1957)において、キリスト教美術を古典古代の美術と対比し、描写される人物が他者との関係においてこそ意味を成すのがキリスト教美術の特徴である、と指摘しています。ジンメルによると、キリスト教美術が持つこの特性ゆえに、彫刻よりも絵画のほうがキリスト教美術にふさわしい表現形式です。なぜならば、古典古代の美術に見られるように、彫刻はその作品単体で自足し、他者を必要としません。これに対して絵画はひとつの画面に複数の人物を描くことが可能であって、他者との関係性を重視するキリスト教美術の本質は、そのような作品においてこそ顕れ得るからです。

 キリスト教美術の本質に関するジンメルの考えは、いかにも人間の社会性を重視した哲学者にふさわしいものですが、単体での表現が目立つ古典古代の彫像と、群像が多いキリスト教美術の作品を対比し、それぞれの宗教の在り方が表現様式の違いを生み出しているという主張には、強い説得力を感じます。ジンメルに従って考えれば、本品はキリスト教美術の特質が最もよく顕れた作例といえます。なぜならば本品は教皇と少女の二人を同一画面に刻むにとどまらず、キリストの神秘体なるエクレーシア(希 ἐκκλησία 教会)が、信仰篤き少女を祝福する様子を明確に表現しているからです。本品は「絵画的彫刻」である浮き彫りによって、「描写される人物が他者との関係において意味を成す」というキリスト教美術の特性を最大限に活かし、キリストの神秘体(羅 MYSTICUM CORPUS CHRISTI)であるエクレーシアの在り様(よう)を分かり易く視覚化しています。





 表(おもて)面のピウス十一世像と同様に、裏面の浮き彫りも肉厚で重厚ですが、高浮き彫りではありません。にもかかわらず本品をじっと見ていると、まさに今、少女テレーズが教皇に嘆願する様子を眼前に見るかのような錯覚を覚えます。

 本品の表(おもて)面は教皇の単独像であるゆえに、一見したところ、教皇を主題とする他のメダイと同じように見えます。しかしながら本品はテレーズ・ド・リジューの列聖記念メダイであり、ピウス十一世像は裏面に彫られた嘆願の光景と緊密に連関しています。本品の両面は意味において連続し、有機的に連関する一体となっているのであり、この点で本品にはジンメルが指摘するキリスト教美術の特性が明瞭に顕れています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きなサイズに感じられます。本品をブローチとして着用する場合、ピウス十一世像が表面に、テレーズの嘆願の場面が裏面になります。





 本品は九十年以上前にイタリアで制作された真正のアンティーク品です。十分に美術品と呼べる高い芸術水準に到達した小品彫刻であり、実用性に優れたキリスト教ジュエリーであるとともに、歴史上ただ一度の機会に制作された稀少な記念物でもあります。





52,800円

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