極稀少品 18世紀のミニアチュール 「おとめ聖マリーナ」 パピエ・ヴェルジェに手彩色銅版グラヴュール


123 x 63 mm  18世紀



 レバノンの男装の聖女マリーナを描いたミニアチュール版画。手漉き紙を使い、250年から300年前、1700年代に制作された作品です。表(おもて)面は、銅版グラヴュール(エングレーヴィング)の聖画と文字を上半部に描きます。下部はクレルヴォーの聖ベルナールの引用を活版で刷っています。裏面は聖マリーナ伝で、活版印刷によります。





 表(おもて)面上部、楕円形画面の両横には環があって、ここに通したロープを、雲から出た二本の腕が持っています。両側に立つふたりの人物がこのロープを引っ張って、画面を高く引き上げていますが、向かって左側の環が楕円形画面から離れており、様式化が進んだ意匠であることがわかります。





 楕円形画面には、聖女マリーナの死が描かれています。おとめ(処女)マリーナは男装し、修道士マリーヌスと名乗って厳しい修道生活を送っていました。女性を妊娠させたとして無実の罪を着せられたマリーナは、苦しみを通して神と救い主に対する償いをするという宗教的動機のために敢えてその罪を被り、引き取った子供を育てながら、修道院内で最も低い地位に甘んじて、罪人の烙印とともに残りの生を送りました。マリーナが女性であることは死後に判明し、その徳を慕う人々に、聖女として崇敬されるようになりました。

 楕円形画面の中では、聖女マリーナが乞食のように筵(むしろ)に横たわって亡くなり、マリーナが育てた子供が寄り添って聖女の死を嘆いています。修道衣の帯は貞潔の象徴で、マリーナは無実の罪によりこれを取り上げられたとも伝えられますが、白百合を持った天使が舞い降りて、聖女の貞潔を証しています。百合は「貞潔」及び「神による選び」の象徴ですが、ここでは三輪という数により、三位一体の神をも象徴しています。

 マリーナが女性であったとの知らせを受けた修道院長は、マリーナの遺体の許に駆けつけて茫然と立ちすくみ、涙を流して赦しを乞いつつ、聖女の執り成しを祈っています。その横にいるのは偽りの告発をした娘で、本品裏面の記述にも登場します。「レゲンダ・アウレア」によると、娘は悪霊に憑かれましたが、マリーナの墓所に連れてこられて快癒しました。





 聖画は銅版グラヴュール(エングレーヴィング)によるもので、手作業で彩色が施されています。上の写真において、定規のひと目盛は1ミリメートルです。人物の顔の造作は 1.5ミリメートル四方に収まりますが、極小サイズにもかかわらず、慈愛と優しさにあふれた聖女マリ-ナの人柄、育ての親たる聖女の死に戸惑う子供の悲しみ、誠実で謹厳な修道院長の驚きと嘆きが、すべて活き活きとした表情に表されています。また横たわる人物像を遠近法に従って正確に描写し、修道衣や筵の質感も、わずかな線だけで完璧に再現しています。

 上の画像は実物の面積を40倍近くに拡大していますが、拡大すると粗(あら)が出るどころか、このミニアチュール版画の美しい出来栄えがいっそうよくわかります。この銅版を製作した人物は、画家としての才能、版画家としての技量のいずれにおいても、たいへん優秀な芸術家であったのです。





 楕円形画面のすぐ上には、聖母マリアのモノグラム(組み合わせ文字)"MRA" を、永遠を象徴するギリシア文字オメガ (Ω) と組み合わせます。"MRA" は最もよく使われるマリアのモノグラムのひとつで、"MEDIATRIX, REPARATRIX, AUXILIATRIX"、すなわちラテン語で「(恩寵の)仲介者、償い手、助け手」の意味です。したがって、"Ω" と "MRA" の組み合わせは、聖母マリアが永遠の恩寵仲介者、償い手、助け手であることを表します。

 最上部の帯には、次の祈りがラテン語で彫られています。

  CINGULO CASTITATIS RESTRINGE RENES MEOS.  貞潔の帯でわが腰を縛りたまえ。

 下の帯には、「おとめ聖マリーナ」(SANCTA MARINA VIRGO) と彫られています。




 聖画の下には活版により、次の言葉がラテン語で記されています。

     Conscientia bona titulus est Religionis, Templum Salomonis, Ager benedictionis, hortus deliciarum, aureum reclinatorium, gaudium Angelorum, arca Foederis, thesaurus regis, aula Dei, habitaculum Spritus Sancti, liber signatus et clausus, et in die Iudicii aperiendus.    善き心は宗教の尊厳であり、ソロモンの神殿、祝福の地、歓びの庭、黄金の休息所、天使たちの喜び、契約の櫃(ひつ)、王の宝物庫、神の宮、聖霊の住まい、署名されて閉じられ、裁きの日に開かれる書物である。
    Sancti Bernardi, de interiori domo   聖ベルナルドゥス「内なる家について」
         
    Supportatio calumniarum pro Innocentibus oppressibus.   罪無くして抑圧されたる人々のために、讒訴(ざんそ)に耐えよ。



 「デー・インテリオリー・ドモー」("De interiori domo" 「内なる家について」)はクレルヴォーの聖ベルナール (Bernardus Claraevallensis, 1090/91 - 1153) が著者に擬せられています。本品に刷られているのは、同書11章「善き心の幸福と果実について」(De commodis et fructibus bonae conscientiae) からの引用です。最下部の数字は、シリーズ中の本作品の番号でしょう。




 ルネサンスから18世紀までにヨーロッパで作られた植物性の紙は、19世紀以降の紙とは異なる手漉き紙で、紙料を漉(こ)すのに使う簀(すのこ)の跡が残っています。このような紙を、フランス語でパピエ・ヴェルジェ (papier vergé)、英語でレイド・ペーパー (laid paper) と呼びます。この聖画は18世紀のものですので、パピエ・ヴェルジェに刷られています。簀の跡は、下の写真のように透過光で見ると良く分かります。紙繊維の密度にムラがありますが、これは古い時代の手漉き紙に見られる特徴です。









 裏面は全面が活版印刷で、最上部に「2月8日」(VIII. FEBRUARII) の日付を書き、イエズス会の聖人伝学者エリベール・ロスワイデによる聖マリーナ伝をラテン語で記します。内容を全訳して下に示します。分かりやすい訳にするために、語句を適宜補いました。訳者(広川)が補った語句は、丸括弧で括っています。なお動詞の時制は過去と現在が混在しています。過去の記述に現在形を用いるのは、物語がいままさに眼前に繰り広げられているかのように、活き活きと描写するためです。


     Mulierem sub toga, imo Virum sub mulieris simulacro ostendimus. Recte dixeris, sive MARINAM sive MARINUM dixeris. Nam MARINAE quidem nomen parens dedit, cum nata est, ubi vero ad Asceterium secum abduxit, cum veste nomen viri indidit, jussitque MARINUM esse, metamorphosin coelo ridente,    われらは女のように見える男ではなく、衣の下に隠された女(の物語)を示そう。マリーナと言っても、マリーヌスと言っても、正しいのである。なぜならば、親はマリ-ナという名前を付けたのであるが、娘を連れて修道院に入ると、修道衣とともに男の名前を採用して、マリーヌスであれと変身を命じ、天がこれを嘉(よみ)し給うたからである。
    Patre ergo Magistro Asceticen edocta, hoc mortuo, aegerrime scilicet Orco fecit: cum mulier improba tela virili veste repellet, et per sanctissimam larvam caecum Puerum Amorem rideret(*1), unica Virgo tot inter viros jam tutior quam inter Virginum nuper choros.    それゆえマリーナは父を師として修道院に導かれたのであるが、父の死後、気が進まないながらもオルクスのところに滞在した。女(であるマリーナ)は男の衣で悪しき武器を跳ね返し、(厳格な修道士という)いとも聖なる姿を取って、オルクスの娘の恋を相手にしない。マリーナはこれほど多くの男性たちの中で唯一のおとめであるが、以前乙女たちの集まった中にいたときよりも今の方が却って(恋の誘惑から)守られている。
    Nempe ubi vulneri locus non est, invidiae est. Cum vitium Virgini non posset hostis facere, fecit famae(*2). Puella ad cujus parentes divertere solebat MARINUS, cum res Coenobij curaret, corrupta a milite parentem hunc mentitur, itaque malum ingens Coenobitis parit.   確かに、(恋の)痛手が無くとも、嫉妬(という心の痛み)は起こるのである。(神の)敵(である悪魔)は、おとめマリーナに罪を犯させることができないので、その名声に傷を付けた。マリーヌスがよく訪れていた家の、マリーヌス修道士を世話する娘が、兵士と過ちを犯し、この親に嘘をつき、修道士たちに対してたいへん大きな罪を犯す。
     Accusata Virago peccasse utique se fatetur, factumque fletu uberi damnat et gemitu. Ergo extra saepta sancta eijcitur, et subinde filius etiam adducitur buccea alendus, quam mendicanti ascetae ministrabant. Sic jam sub altera larva spectatorem Orbem fallit (*3), dum quinto abhinc anno, cum verum etiam scelus potuisset eluere, una cum filio intra claustra recipitur.    罪を着せられた立派な女(マリーナ)は、確かに自分が罪を犯したのですと告白し、たくさんの涙と嘆息とともに、この行いを(自らに)帰する。それゆえ(マリーナは)(修道院を囲む)聖域の柵の外に追い出される。そのすぐ後、さらに息子も、わずかな食物で養われるべく連れて来られる。そのわずかな食物を、修道士たちは托鉢によって得ていたのであった。(子供を引き取ったことにより、)マリーナはさらに別の形で他の人々から真実を隠す。このときから5年の後、罪をまったく洗い流す(赦される)ことができたときに、マリーナは息子とともに修道院の中へと受け入れられる。
    Mox moritur MARINUS et MARINA deprehenditur. Adest mendax puella a malo Hospite Orco agitata et scelus ultro fatetur. Quid faceret hic coelum, post actam bellissime fabulam, nisi plausum? (*4)   マリーヌスは間もなく亡くなり、マリ-ナだと分かる。悪しき宿主(やどぬし)オルクスのうそつき娘はその場に来て動揺し、ついに罪を告白する。このようにたいへん美しい出来事が起こった後、これを見給うた神は必ずや誉めて下さるであろう。
    Ex Heriberto Rosweyde   エリベール・ロスワイデによる



 本品裏面のテキストがロスワイデ (*5) によるものであるという事実は、このテキストの引用元となったマニュスクリプト(写本)が、南ネーデルラント(現ベルギー)にあったことを示しています。ブリュッセルの王立公文書館 (Bibliothèque Royale) には聖マリーナ伝のマニュスクリプトが収蔵されており、おそらくこれと同一のものと思われます。

 聖マリーナ伝には内容が少しずつ異なる多くの写本があり、この聖女が人々に愛された証明となっています。ロスワイデが記録した聖マリーナ伝の特徴としては、宿の男の名がオルクス (Orcus) とされています。オルクスはローマ神話でプルートーと同一視される冥府の神で、偽証した者を罰します。この男は「レゲンダ・アウレア」においては名が挙げられておらず、悪人として描かれてもいませんが、上記の聖マリーナ伝には結末部分に「悪しき宿主(やどぬし)オルクスのうそつき娘」(mendax puella a malo Hospite Orco) という表現があり、オルクスは悪人とされています。また「レゲンダ・アウレア」の聖マリーナ伝では、娘がマリーナを讒訴した動機が述べられていませんが、ロスワイデのマリーナ伝では、オルクスの娘はマリーヌス修道士に恋をし、相手にしてもらえない腹いせに、修道士に罪をなすりつけたことになっています。


 芥川龍之介は聖マリーナ伝に基づいて切支丹物の名作「奉教人の死」を書き、大正7年に「三田文学」誌上で発表しました。この作品では、切支丹の若者「ろおれんぞ」に恋をした傘張りの娘が、相手にされない腹いせに「ろおれんぞ」を讒訴する筋書きとなっており、この点で本品の聖マリーナ伝と共通しています。芥川はカクストン版「レゲンダ・アウレア」を持っていたそうですが、「奉教人の死」には、これ以外にもソース(種本)があったのかもしれません。


 ロスワイデが筆写した写本は、言語学的にはガロ・ロマン期あるいは中世初期のラテン語で書かれており、語彙や統辞法が盛期中世のラテン語とは異なっています。ロスワイデが見出したこの写本は、レバノンの聖女マリーナへの崇敬が、中世初期において全ヨーロッパに広がっていたことを裏付けます。





 本品はおよそ250年から300年前に製作されたミニアチュールですが、非常に優れた保存状態で、特筆すべき問題は何もありません。19世紀の聖画に比べて、18世紀の聖画は格段に手に入りにくくなります。特に聖マリ-ナの聖画は、時代、形態を問わず貴重で、手に入ることはまずありません。美しいアンティーク品であるとともに、美術館や専門書の図版でしか普通は目にすることができないレベルの、たいへん稀少な品物です。

 大きめのフレームを用いて額装を施しました。額の背面を密閉していませんので、いつでもミニアチュールを取り出せます。ベルベットは黒、濃紺、深緑、臙脂等からお好みをご指定いただけます。額の変更も可能です。下の写真に写っている額のサイズは 28 x 23センチメートルです。お使いのモニタの解像度にもよりますが、この写真はほぼ実物大です。







本体価格 42,800円 (額装込) 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。





*1 per sanctissimam larvam caecum Puerum Amorem rideret  直訳「(マリーナは)いとも聖なる仮面を通して盲目の童子アモルをあざ笑う(相手にしない)」 

 マリーナが修道士であるのは虚構ではなく事実ですが、実際には女性であるのに男性を装っているので、"larva"(仮面)という表現が使われています。なおこの部分の "sanctissima larva" は、*3の "altera larva" と照応します。

 ローマ神話のアモル (AMOR)、ギリシア神話のエロース ( Ἔρως ) はしばしば目隠しをした童子の姿で表されます。サンドロ・ボッティチェリの「春」では、目隠しをしたアモルが弓に矢を番(つが)えて、三美神の誰かを狙っています。アモルの矢の色は金色です。

【下・参考写真】 Sandro Botticelli, "La primavera", c. 1482, tempera su tavola, 314 x 203 cm, Galleria degli Uffizi, Firenze






*2 fecit famae (vitium)  直訳「名声の欠如を為した」


*3 Sic jam sub altera larva spectatorem Orbem fallit.  直訳「このようにして、(マリーナは)いまや別の仮面の下(もと)に、見物者である世界から真実を隠す」 

"altera larva"(別の仮面)とは、「女に子供を産ませた破戒修道士」という誤解あるいは虚構を指します。この句は *1の "sanctissima larva"(いとも聖なる仮面)に対応します。


*4 Quid faceret hic coelum, post actam bellissime fabulam, nisi plausum?  直訳「いとも美しく為された物語の後、天は、この機会に、賞賛するのでなくして何を為すであろうか。」


*5 エリベール・ロスワイデ (Héribert Rosweyde, 1569 - 1629) は 1569年、オランダのユトレヒトに生まれました。北フランスのドゥエー(Douai ノール=パ・ド・カレー地域圏ノール県)で、イエズス会が経営するドゥエー大学の付属コレージュ(中等学校)、コレージュ・ダンシャン (Collège d'Anchin) に学んだ後、1588年にイエズス会に入会しました。1590年から1595年にかけてドゥエー大学で哲学を教えるかたわら、古い教会史資料、特に聖人伝資料に関心を持ち、周辺の修道院を巡って古文書を調べました。ロスワイデが実見した古文書の聖人伝は、当時本になって流布していた聖人伝とは内容が異なっており、ロスワイデは聖人伝の最古層まで遡って研究する必要を痛感しました。

 1599年に叙階されたあと、アントワープのコレージュに赴任したロスワイデは、聖人伝研究をさらに進めるために、各地に散在する古文書の目録作りに取り組みます。1607年に出版した「ベルギーの文書室で筆写された聖人伝目録」("FASTI SANCTORUM QUORUM VITAE IN BELGICIS BIBLIOTHECIS MANUSCRIPTAE") は、各地で確認した聖人に関する古文書を、聖人名に従って排列したものです。

 聖人伝研究のプロレゴメナとも呼ぶべきこの本において、ロスワイデは聖人伝研究の方法論を述べ、爾後の聖人伝研究についても言及しています。ロスワイデの計画では、聖人伝研究は全十八巻で完結し、第一巻でキリスト伝、第二巻で聖母マリア伝、第三巻で特に重要な聖人の伝承、第四巻から十五巻で教会暦の月ごとの聖人伝、十六巻で各時代・各地域ごとに異なる聖人伝の系譜を扱い、最後の二巻が補遺となる予定でした。

 ロスワイデの計画は近世の批判的・実証的精神に合致し、多くの有力者の賛同と支持を集めました。しかしその事業規模はあまりにも巨大です。専門家の査読に耐える論文を書いた経験のある方ならお分かりのように、実証的な学術研究にはたいへんな時間と労力が必要です。ましてやロスワイデのように前人未到の分野を切り拓こうとすれば、その歩みの遅々たること、鬱蒼たる原生林にひとり分け入って道を開鑿し、橋を架け、トンネルを掘り抜くにも喩えることができましょう。司牧やその他の職務も抱えるロスワイデひとりの力では、たとえ数百年を掛けたとしても、この事業を完成させることはまず不可能です。ロスワイデは1629年に亡くなりましたが、この時点ではまだまだ資料集めの段階であり、当然のことながら本は一冊も完成していませんでした。ロスワイデの仕事は、この後ジャン・ボラン (Jean Bolland, 1596 - 1665) とボランディストたちに引き継がれ、今日まで続いています。





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