ドイツ語による十字架 《主はわが羊飼い》 キリスト教美術の源流に繋がる大型の作例 92.2 x 60.6 mm 73.1g ヴィンテージ未使用品 二十世紀中頃


突出部分を含むサイズ 縦 92.2 x 横 60.6 mm  最大の厚さ 5.0 mm  重量 73.1 g



 縦 9センチメートルあまり、横 6センチメートルあまりという大型の十字架。二十世紀の半ばに制作されたヴィンテージ品ですが、未使用のまま残っていた珍しい品物です。素材はブロンズまたは真鍮で、打刻ではなく鋳造によって制作されています。73グラムの重量は五百円硬貨十枚分強に相当し、手に取るとかなりの重みを感じます。

 本品はペンダントとして使うには重く、壁掛け用に制作されています。上部に突出した環状部分を釘などにひっかけて、本品を壁に取り付けることが可能です。商品写真では本品にバチ環を取り付けていますが、このバチ環に環状の紐や針金、大きな環を通せば、壁の釘などに引っかけるのがさらに容易になります。バチ環が不要の場合は、先が細いペンチを使えば簡単にり外すことができます。





 片方の面には伝統的な服装をしたヨーロッパの羊飼いが浮き彫りにされています。羊飼いは幼い羊を肩に載せていますが、子羊は嫌がる様子もなく羊飼いの顔をじっと見、羊飼いも子羊に愛情深い眼差しを注いでいます。この浮き彫りを取り囲むように、「詩編」二十三編冒頭の言葉がドイツ語で刻まれています。

  Der Herr ist mein Hirte.  主はわが羊飼い


 旧約聖書は長い年月に亙って書かれた五十巻近い書物の集成ですが、「詩編」は最も頻繁に引用され、唱えられ、歌われる部分の一つです。「主はわが羊飼い」で始まる第二十三編は、主なる神に守られた人生の歩みを美しく謳い、「詩編」のなかでもとりわけ親しまれています。「詩編」第二十三編の全体を、新共同訳によって引用します。

   1.    主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
   2.    主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、
   3.    魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。
   4.    死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。
   5.    わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。
   6.    命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。
       
      (「詩編」二十三編一節から六節 新共同訳)






 旧約聖書とはキリスト教の立場から新約聖書と対比した呼び名であって、ユダヤ教徒にとっては旧約聖書のみが聖書です。キリスト教の立場を離れ、旧約聖書の範囲内で「詩編」二十三編を解釈するならば、「詩編」の作者ダヴィデは選民ユダヤ人に対する神の加護を謳っていると考えられます。五節に「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる」とあるのは、イスラエルの民が出エジプトの前夜に祝った過ぎ越しの食事を指します。この翌朝、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、四十年もの長きに亙って砂漠をさ迷いますが、神は彼らを見捨てることなく守り導き給いました。

 他方キリスト教の立場から述べると、ユダヤ人の過ぎ越しの宴は、キリストが受難の前に弟子たちと摂り給うた最後の晩餐の前表、さらには聖体拝領の前表と考えることができます。





 「ヨハネによる福音書」十章一節から十八節によると、キリストは「詩編」二十三編冒頭の句を踏まえ、ご自身を良き羊飼いに譬えておられます。「ヨハネによる福音書」十章十一節から十六節を、新共同訳によって引用します。

   11.    わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
   12.    羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
   13.    彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
   14.    わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
   15.    それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
   16.    わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
       
      (「ヨハネによる福音書」十章十一節から十六節 新共同訳)






 本品十字架にドイツ語で刻まれている言葉は「詩編」二十三編冒頭の引用ですが、子羊を肩に担いだ羊飼いの浮き彫りは、「ルカによる福音書」十五章四節から七節が出典になっています。該当箇所を新共同訳で引用します。

   4.    「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
   5.    そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
   6.    家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
   7.    言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
       
      (「ルカによる福音書」十五章四節から七節 新共同訳)


 全財産である百匹の羊のうち一匹がいなくなるのは大きな損失ですが、考えようによっては二匹、三匹がいなくなるよりもましですし、百匹全部を失うことに比べれば、不幸中の幸いであるとも言えるでしょう。しかしながら救世主の愛は、量化に基づくそのような計算とは無縁です。救世主イエスは人類一般のために受難し給うたのではなく、救いを求める一人の人のために命を捨て給うたのです。九十九匹の羊を放っておいて、一匹の羊をひたすら探す羊飼いの姿は、キリストの愛の最も美しい表現であると、筆者(広川)は考えます。




(上) カラミスのクリオフォロス ローマ時代の複製 ローマ、バラッコ美術館蔵


 ローマ帝国に広まったキリスト教は、313年に公認されるまで、激しい迫害に遭いました。それゆえ三世紀までの初期キリスト教美術は、帝国の中心から離れた地方、あるいは法令によって保護されていたカタコンベ(地下墓所)で発達しました。古代のキリスト教徒の墓所を飾る図像とローマ多神教徒の墓所の図像は、多くの場合に共通しています。良き羊飼いの図像は、一見したところたいへんキリスト教的に見えます。実際この図像はキリスト教徒の墓所に多く見られます。

 その一方で善き羊飼いを描く同様の図像は、異教徒の石棺でも数多く見つかっています。すなわち古代ギリシアの時代、スパルタをはじめドーリス方言が話されていた地方において、田園の神アポッローンは牡羊の姿のアポッローン・カルネイオス(希 Ἀπόλλων Κάρνειος)として崇拝されました。アポッローン・カルネイオスは羊の守護神であり、羊を伝染病や狼から守り、羊の世話の仕方を羊飼いたちに教えると考えられました。ボイオーティアでは家畜の伝染病を防ぐヘルメース・クリオフォロス(希 Ἑρμῆς κριοφόρος)が崇拝されました。ヘルメース・クリオフォロスとは、羊を運ぶヘルメースという意味です。初期キリスト教美術の「善き羊飼い」はヘルメース・クリオフォロスと同じ図像で、罪という悪疫から人間を守るクリストス・クリオフォロスを描いています。





 良き羊飼いはキリスト教独自の図像ではなく、異教からの借用です。しかしながら「詩編」や福音書の記述と親和する良き羊飼い像は、キリスト教徒に最も親しまれた図像でありました。肩に羊を担いだ良き羊飼いの丸彫り像は、三世紀には地中海沿岸各地に広まります。テルトゥリアヌスは「デー・スペクタークリース」("DE SPECTACLIS" 劇について)の十章で、良き羊飼いを含めた図像を憎むべき偶像として非難しています。テルトゥリアヌスの非難は、良き羊飼い像がキリスト教徒に広く愛されていたことの証でもあります。

 それゆえ、本品に浮き彫りにされた羊飼いは近代の服装を身に着けていますが、異教の古代ローマ以来の伝統を引く美術表現であることがわかります。





 本品の裏面は、二か所のくぼみに文字を刻めるようになっています。しかしながら本品は未使用品ですので、文字は刻まれていません。





 本品は数十年前に制作されたヴィンテージ品(アンティーク品)ですが、保存状態は極めて良好です。特筆すべき問題は何もありません。





本体価格 34,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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