アール・デコの官能 上品な薄型ドレス・ウォッチ 《ウォルサム プレミア》 グレード 887 1939年

Waltham Premier, caliber 870, grade 887, 17 jewels


竜頭の突出、及び12時側と6時側のラグの突出を除くケース本体のサイズ 縦 32.3 x 横 24.2ミリメートル

風防と裏蓋を含む時計中央部の厚み 9.0ミリメートル

竜頭の突出、及び12時側と6時側のラグの突出を含む時計全体のサイズ 縦 41.8 x 横 25.5ミリメートル



 1939年頃の薄型ドレス・ウォッチ、《ウォルサム プレミア》。手巻き式です。優雅ですっきりとした曲線を描くアール・デコ様式のケースに、円形ムーヴメント「ウォルサム キャリバー 870」を格納し、官能美さえ感じさせる薄型ドレス・ウォッチに仕上げています。





 本品内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)、ムーヴメントを格納する金属製の筐体(きょうたい 容器)、すなわち外側から触れることができる時計本体の金属部分を「ケース」(英 case)といいます。本品のケースは十二時側と六時側が直線的ですが、三時側と九時側が外向きの弧を描いて張り出しており、立てた樽を真横から見たシルエットに似ています。このような形を「トノー形」といいます。「トノー」(仏 tonneau)とはフランス語で「樽」(たる)のことです。

 腕時計のケースにはさまざまな形がありますが、トノー形は 1920年代から 1950年代の男性用時計に多くみられ、本品もそのような例のひとつです。腕時計はもともと懐中時計から発達したものですが、懐中時計のケースはほとんど常に円形でした。腕時計の時代が来ると、時計デザインには新鮮味が求められ、四角に近いケースや、細長いケースが人気を集めました。下の写真は本品と同時代、1930年代後半の時計広告で、エルジン社のものです。この時代、円い時計が流行ではなかったことがわかります。





 時計に入れるムーヴメントは、多くの場合円形でした。円形の機械を使いつつ、当時流行していた「円くない時計」を作るには、ケースの形状を工夫する必要があります。

 男性用時計の細長いケースに、女性用時計の小さな円形ムーヴメントを入れるのも、円くない時計を作る方法のひとつです。しかしながら女性用時計のムーヴメントを男性用時計に使うのは、精度に不安が残りました。当時はいま以上に男性社会で、女性は家庭にいるものと考えられていました。社会に出て働く男性の時計には正確な計時性能が求められましたが、女性用時計の場合、計時性能よりもデザインの方が重視されました。女性用時計には秒針さえありませんでした。したがって男性用時計の細長いケースに、女性用時計の小さなムーヴメントを入れる方法には、やはり不安が残りました。

 そこで考えられたのが、男性用時計を四角に近いデザインとしつつ、ケースの縁を外に向けて張り出して、男性用の大きなムーヴメントを入れる方法でした。トノー形やクッション形のケースは曲線的なデザインが優美である上に、円形ムーヴメントを格納するにも好都合でした。男性用ヴィンテージ・ウォッチ(アンティーク・ウォッチ)にトノー形やクッション形が多いのは、このような理由によります。





 本品のケースは左右対称のデザインで、余計な装飾を排し、簡潔な美しさを有します。ラグ(バンドを取り付ける突起)を含む縦のサイズは 41.8ミリメートルと細長いスタイルで、横から見ると時計全体が手首の丸みに沿って湾曲しています。このため正面から見ても側面から見ても、同様の上品さと優雅さを感じさせる優れたデザインに仕上がっています。





 本品のケースは時計ケースの専業メーカーであるワズワース社が製作し、ウォルサム社に納入したものです。ケースの材質は十カラット・ゴールドの金張りです。上の写真の右側に写っているのはケース裏蓋の裏面で、「ウォルサム・プレミア」(WALTHAM PREMIER)、ケースのメーカー名「ワズワース」(WADSWORTH)、材質表示「テン・カラット・ゴールド・フィルド」(10K GOLD FILLED)、ケースのシリアル番号(N154469)が刻印されています。ケースのシリアル番号の下に薄く見える小さな文字は、分解掃除(ムーヴメントの整備)や修理の記録です。

 金は非常に軟らかい金属で、磨滅にも弱いため、時計やジュエリーなどの実用品を純金で作ることはできません。実用可能な品物を作るには、金に他の金属を混ぜて合金とし、強度を高める必要があります。「十カラット・ゴールド」(十金)は純金(二十四金)の二十四分の十、すなわち 41.7パーセントの純度の金合金を指します。十カラット・ゴールドは純金や十八金に比べて格段に磨滅しにくく、実用性に優れた金合金です。

 金張り(ゴールド・フィル)というのは、ベース・メタルの表面に、金の薄板を高温高圧で鑞(ろう)付けした素材です。鑞付けされた金(本品の場合は十金)が重量ベースで五パーセント以上を占めると、「ゴールド・フィル」(英 gold fill)すなわち「金張り」と表示されます。現代の金めっき(エレクトロプレート)は厚さが一ミクロンから三ミクロン程度ときわめて薄く、質感が安っぽいうえにすぐに剥がれてしまいます。これに対して金張りは、現代の金めっきに比べて数十倍の厚さがあって摩耗に強く、金そのものの色と質感を有します。金張りはコストがかかるので現代品にはほとんど見られませんが、昔の時計は非常に高価であったので、ケースに金張りが多用されています。





 時計において、時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を「文字盤」(もじばん)または「文字板」(もじいた)、文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を「インデックス」(英 index)といいます。本品の文字盤は淡い銅色で、たいへん綺麗な状態です。時針、分針、六時の位置にある秒針は青い色をしていますが、これは「ブルー・スティール」(青焼き)といって、鋼を加熱して青い酸化被膜を作ったものです。「ブルー・スティール」は見た目が美しいことに加えて腐食(錆)に強くなります。現代の時計の青い針はたいていの場合青く塗装していますが、本品の針は真正の「ブルー・スティール」で、文字盤の色とよく調和しています。

 インデックスは黒色アラビア数字による立体インデックスです。アラビア数字のインデックスは二十世紀前半までの時計に見られる特徴で、1950年代半ばから1960年代以降になると、棒状の「バー・インデックス」が圧倒的に多くなります。本品のように優雅な斜体のアラビア数字は「ブレゲ数字」と呼ばれています。「ブレゲ」とはルイ十五世時代のフランスで活躍した時計師アブラアン・ブレゲのことで、後述の「ブレゲひげ」にも名前が残っています。





 文字盤の上部には小さな文字で「ウォルサム プレミア」(WALTHAM PREMIER)と書かれています。「プレミア」とは「第一」を意味するフランス語です。ウォルサムがこの語をブランド名に導入した最初の時計は、1911年の懐中時計「プレミア マクシムス」(PREMIER MAXIMUS)です。「プレミア マクシムス」は二十三石の名品で、「プレミア」の名にふさわしいものでした。その後ウォルサムは「プレミア」の表示を他のモデルにも拡大し、本品が制作された頃には同社のすべての時計が「プレミア」と称していました。自社の製品にそれだけ自信があったということでしょう。確かに本品もハイ・ジュエル・ムーヴメント(後述)を搭載した良い時計です。

 文字盤の六時の位置には直径四ミリメートル足らずのくぼみがあり、"10" から "60" までの数字が周囲に書かれています。これはスモール・セカンド(小秒針)用の文字盤で、長さ二ミリメートルほどの小さな針が回っています。

 現代の時計は「中三針(なかさんしん)式」といって、秒針は時針、分針と同じく文字盤の中央に取り付けられています。しかしながら秒針を時針、分針と同じ位置に取り付けるのは技術的に難しいことで、古い時代の時計は、ほとんどの場合、六時の位置にスモール・セカンド(小秒針)を取り付けていました。よほど特殊なものを除いて、懐中時計はみなスモール・セカンド式ですし、1950年代以前の男性用腕時計もスモール・セカンド式です。本品もその例に漏れません。





 本品は電池ではなくぜんまいで駆動します。このような時計を「機械式時計」といいます。機械式時計には「手巻き」と「自動巻き」がありますが、両者の間に本質的な違いはありません。本品が製作されたのは、いまから八十年近く前の 1939年です。この時代には電池で動く「クォーツ式」が存在しないのはもちろんのこと、「自動巻き」の時計もまだありませんでした。したがって本品を含め、この時代の時計はすべて「手巻き」で、一日一回、ぜんまいを巻き上げる必要があります。

 三時の位置からケース外に突出したツマミを「竜頭」(りゅうず)といいます。二十世紀後半になると、男性用時計の竜頭は大きく武骨なものが多くなります。しかしながら本品の竜頭は薄型で、懐中時計の香りを留めて優しい曲線を描き、ケースが描くドレッシーな流れを壊さないように配慮されています。

 機械式時計のなかでも、「手巻き」は「自動巻き」に比べて薄く作れます。それゆえ手巻き時計はドレス・ウォッチにふさわしく、現代の機械式時計もドレス・ウォッチには手巻き式が採用されます。手巻き時計は毎日ぜんまいを巻き上げますので、竜頭は摩耗しやすい部品のひとつですが、本品の竜頭はまったく摩耗しておらず、良い状態です。本品の竜頭が将来摩耗しても、当店にはこの時代の竜頭がたくさん在庫していますので、いつでも新品に交換できます。ご安心ください。

 風防はガラス製で、キズはほとんど見当たらず、非常に良い状態です。おしゃれな厚みがありつつも、曲線を描いて手首に張り付くようにデザインされており、薄型ドレス・ウォッチにふさわしい形状です。





 本品の機械はウォルサムの手巻きムーヴメント「キャリバー 870」です。「ウォルサム キャリバー 870」は 8 3/4リーニュ、すなわち地板の直径 19.74 ミリメートルの円形ムーヴメントで、九石の「グレード 879」と十七石の「グレード 887」、二十一石の「グレード 891」があり、振動数はいずれも毎時一万八千振動です。「キャリバー 870」は 1936年から 1946年まで作られました。本機は十七石の「グレード 887」で、シリアル番号 "31447594" から 1939年製と判断できます。

 上の写真で赤く見えているのはルビーです。ルビー(コランダム)は非常に硬い鉱物であるゆえに摩耗に強く、時計ムーヴメントのなかでも脱進機をはじめとする特に重要な箇所に使用されます。本品のムーヴメントには十七個のルビー製部品が使用されています。上の写真に見える刻印 "17 JEWELS"(十七石)は、ルビー製部品の数を表しています。

 「十七石」以上の時計を「ハイ・ジュエル・ウォッチ」といいます。十七石の時計は、摩耗してはならないすべての場所にルビー製部品を使った高級品です。本品はハイ・ジュエル・ウォッチです。





 上の左側には「天符」(てんぷ)と、天符の中心部で渦を巻く「ひげぜんまい」が写っています。天符は振子に相当する最重要部品で、ひげぜんまいの働きにより、一定の周期で振動します。「振動」とは往復するように回転することで、「ウォルサム キャリバー 870」の天符は、一秒あたり二・五往復の割合で振動を繰り返します。天符には精度を微調整するための「チラネジ」が多数取り付けられています。上の写真はムーヴメントの動作中に撮影したので、チラネジはぶれて判別できません。チラネジが取り付けられた環状部分(天輪)は、高速の振動にもかかわらず、全くぶれずに写真に写っています。これは天真(天符を支える心棒)に曲がりが一切無く、良い状態であることを示します。

 本品のひげぜんまいは外端を時計の裏蓋側に持ち上げた「巻き上げひげ」で、アブラアン・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet, 1747 - 1823)というフランス人時計師の名前を取って「スピラル・ブレゲ」(仏 spiral Breguet)、「ブレゲひげ」とも呼ばれています。巻き上げひげ(スピラル・ブレゲ)は製作するのが難しく高価ですが、非常に優れた精度で振動します。





 1939年当時、本品のようなハイ・ジュエル・ウォッチの価格は初任給二か月分から三か月分にも相当し、現代人には想像できないほど高価でした。しかしながらハイ・ジュエル・ウォッチの品質は購入者の期待を裏切らず、一生のあいだ愛用できる耐久性を有していました。特にアメリカ時計の品質はスイス時計よりもずっと優れていました。しかしながら 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内でムーヴメントを製作するエルジン、ハミルトン、ウォルサムの各時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計のみを生産させました。したがってこの三社は、太平洋戦争のあいだ、民生用の時計を作ることができませんでした。

 アメリカの時計各社が民生用の時計を作れずにいる状況は、中立国スイスの時計産業にとって大きなビジネス・チャンスでした。民生用の時計が不足した戦時下のアメリカには、大量のスイス時計が輸入され、顧客を奪われたアメリカの時計会社は経営上の大きな打撃を受けて、ムーヴメントを自社で開発、生産する力を失ってゆきました。ウォルサム・ウォッチ・カンパニーは、その前身となる会社が1850年に創業した老舗ですが、第二次世界大戦後しばらくして操業を停止し、時計メーカーとしての役割を終えました。

 本品が製作された 1939年は第二次世界大戦が始まった年ですが、アメリカ合衆国は当初中立を保っていました。本品はアメリカが平和であった時代に、ウォルサム社が世に送り出した最後のドレス・ウォッチです。余分な装飾を排したストイックさにもかかわらず、官能性まで感じさせる流麗なケースは、日常の実用品とは思えない芸術水準のデザインです。本品は「ひとり勝ち」の繁栄を誇るアメリカでのみ生まれ得たドレス・ウォッチです。







 本品は男性用として作られた時計ですが、二十世紀前半の時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にもお使いいただけます。上の写真の一枚目は男性が、二枚目は女性が本品を装用しています。





 バンドはお好きな材質、色、質感、長さのバンドに替えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り替えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。


 当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。







 当店では時計用の箱をご購入いただけます。箱はレプリカ(現代の複製品)ではなく、時計と同時代のヴィンテージ品(アンティーク品)です。上の写真に写っている箱の税込価格は 15,800円から 18,900円ですが、時計をお買い上げいただいた方には 5,800円から 9,500円でご提供いたします。

 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 148,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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