第二次世界大戦とアメリカ時計産業の衰退
WWII and the decline of the U.S. watch manufacturers




【上】 "American Watch Movements", The E. & J. Swigart Co, 1952 当店の商品です。


 アンティーク時計に関する広範な知識が無い人たちの間では、時計はいつの時代もスイス製が高級であるという誤解が広まっているようです。スイス時計にはたいへん優れたものがありますから、「スイス製は高級である」という意見は部分的な真実を含んでおり、それゆえこの意見を一概に否定することもできないのですが、第二次世界大戦頃までの時代においては、スイス製よりもむしろアメリカ合衆国製の時計のほうがはるかに優れていたことを知っておく必要があります。


【マニュファクチュールとエタブリスール】

 完成品の時計を作る会社は「マニュファクチュール」と「エタブリスール」に分かれます。「マニュファクチュール」(manufacture) とはフランス語で「製造業者」のことで、時計内部の機械(ムーヴメント)を自社で設計し製作する能力を有する時計メーカーのことです。

 一方「エタブリスール」(établisseur) とはフランス語で「組み立て業者」という意味で、地板、受け、日の裏機構の一部のみの半完成品ムーヴメント(フランス語で「エボーシュ」 ébauche)を専業メーカーから買い付けると同時に、調速脱進機各部品、輪列の歯車、石(ルビ-)、ぜんまい、針、文字盤、竜頭(りゅうず)等、エボーシュに含まれないあらゆる部品をそれぞれのメーカーから仕入れて、これを組み立てて時計の形にします。「エタブリスール」(「組み立て業者」)は機械部品を自社で製作することは無く、その名の通り組み立てのみを行います。


【アメリカのマニュファクチュールを衰退させた太平洋戦争】

 19世紀から20世紀前半において、アメリカにもスイスにも、多くの「マニュファクチュール」、多くの「エタブリスール」がありました。しかしながら時計に必要なすべての部品を自社で作るアメリカ合衆国の「マニュファクチュール」は、日本との太平洋戦争が原因で衰退し、やがて消滅してしまいました。その経緯は次の通りです。

 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内に工場を持つ時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計を生産させました。日米間の総力戦はすべてのアメリカ国民に仕事をもたらし、高価格品である時計への需要がにわかに高まりました。特に初めて安定した月給を貰って購買力を得た女性たちは、ハイ・ジュエルの高級時計を求めました。ところが国内で時計を作っていたアメリカの時計各社、すなわちエルジン、ハミルトン、ウォルサムは、いずれも軍用時計の生産に全力を傾注せざるを得なかったため、民生用時計の需要に応えることができませんでした。

 スイスは四方を枢軸国に囲まれながらも辛うじて中立を保っていました。ヒトラーはスイス侵攻の計画を立てていましたが、これは実現しませんでした。アメリカで時計の需要が高まっているにもかかわらず、アメリカ国内の時計会社が民生用の時計を全く生産できずにいる状況に大きな商機を見たスイス時計各社は、大量の時計をアメリカ向けに輸出し、アメリカ国内に地歩を築きました。

 1945年8月15日、日本が無条件降伏して太平洋戦争は終結しましたが、アメリカの時計各社が工場設備を改めて平時の体制に戻るには時間がかかりました。また軍用時計の生産に専念している間に、市場はスイス時計にすっかり奪われていました。これが遠因となってエルジン、ウォルサム、ハミルトンの国内工場は操業停止に追い込まれ、エルジンとウォルサムは会社そのものが倒産・消滅してしまいました。ハミルトンは1950年代頃からスイス製ムーヴメントの使用を開始し、1969年以降は自社製ムーヴメントの製作を中止して、スイス製ムーヴメントのみを使うようになりました。

 アメリカ合衆国における時計作り、すなわちマニュファクチュールによる完全な自社生産はこのようにして衰退し、やがて消滅してしまいました。第二次世界大戦前の世界では、アメリカ、ヨーロッパ、日本が時計製造国でしたが、戦後になってアメリカが脱落したゆえに、スイス時計の評価が相対的に高まる結果となりました。「スイス時計はいつの時代も最高級品であった」というのは、このような歴史が忘れられたために生じた誤解です。第二次世界大戦前の世界では、アメリカの時計の品質はスイス製をはるかに凌いでいました。スイス時計がアメリカ市場に食い込めなかったのも、一言でいえば、アメリカ時計の方が優れていたからです。


 アメリカ合衆国政府はスイスから輸入される完成品の時計に高率の関税を掛けていましたが、エボーシュを輸入してこれを回避することは可能でした。実際にブローバはこの方法を取っていましたし、他にも数多くのエタブリスールがスイス製ムーヴメントをケースに入れた時計を作っていました。ブローバをはじめ、アメリカの時計に関してよく見掛ける「アメリカ合衆国にてケースに入れて時間を合わせた」("cased and timed in the U.S.A.") という表示は、その時計に使われているムーヴメントが、スイス製エボーシュを使って組み立てたものであることを示します。

 しかしながらスイス製エボーシュが高率の関税を回避して合衆国に流入しても、エルジン、ウォルサム、ハミルトンは安泰でした。アメリカのマニュファクチュール各社は、時計の品質を競う正攻法によって、スイス時計よりも優位に立っていたのです。日本との戦争さえなければ、機械式時計の爛熟期とも呼ぶべき1960年代、70年代に、これらのメーカーがどのような時計を送り出していたであろうかと考えると、アメリカの時計産業を襲った不運が残念でなりません。

 全般的な傾向として、アメリカ時計の品質がスイス時計よりも格段に優れていたことは、専門知識を持つアンティーク時計業者や研究熱心なコレクターの間では周知の事実です。同じ時代に制作された同じ価格帯のアメリカ製ムーヴメントとスイス製ムーヴメントを比較すれば、この事実に容易に気付くはずなのですが、アンティーク時計業者でもないかぎり、数多くのアンティーク時計ムーヴメントを実際に手に取って比較する機会には恵まれないので、アメリカ時計の品質の高さを知る人は、わが国ではごく一部の専門家に限られています。




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