変色に強い黒文字盤 手作業による華麗な彫金 《ブローバ トレジャラー 十七石 1954年製》 量産品になる直前、古き良き時代の腕時計



 1954年に制作されたブローバ 《トレジャラー》。トレジャラー(英 a treasurer)とは会計係、出納局長、財務大臣等のことです。本品《トレジャラー》はもともと男性用の機種ですが、1940年代の時計は現代に比べると小さく作られていますので、女性にも快適にお召しいただけます。バンドは黒や赤などお好きな色の革バンドや金属製バンドに交換可能です。七十年近く前のアンティーク品にもかかわらず、本品は内外ともに良好な保存状態で、きちんと動作します。





 時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)といいます。現代の時計の機械はクォーツ式ムーヴメントといって、電池で動作します。他方、1970年代以前の時計は機械式ムーヴメントといって、ぜんまいで動いています。本品は 1954年の時計で、やはりぜんまいで動きます。電池は必要ありません。

 ムーヴメントを格納する金属製の筐体(きようたい 容器)、すなわち時計本体の外側を、ケース(英 case)といいます。本品のケースは十カラット・ゴールドの金張り(ロールド・ゴールド・プレイト)です。金張りとは、基層となる金属の表面に、高温高圧で金の薄板を鑞付け(ろうづけ 融着、溶接)したものです。現代の金めっき(エレクトロプレイト)は数年経つと薄くなってしまいますが、金張りは現代の金めっきの数十倍の厚みがあり、たいへん丈夫です。またわが国でよく見かける十八カラット・ゴールドに比べて、十カラット・ゴールドは金そのものの強度が格段に強く、色の点でも淡く上品なシャンパン・ゴールドをしています。

 本品ケースに張られた金に特筆すべき摩滅は見られず、1954年当時の美しい状態を保っています。時計ケースが最も傷みやすいのは肌に触れる裏側ですが、本品の裏蓋は摩耗しないステンレス・スティール製ですし、ラグの裏側も金張りが失われていない良好な状態です。


 本品のケース形状はレクタンギュラー(長方形)ですが、大型の円形ムーヴメントを採用しているために左右(三時側と九時側)が張り出しています。このようなデザインは、アール・デコ様式の直線的デザインが流行した 1950年代以前の男性用腕時計に特有の形状で、現代の時計には見られない特徴です。左右が張り出した男性用腕時計は装飾美術の歴史のみならず、時計の技術史と男女の社会進出史も関係があり、歴史上ただ一度だけ現れた特徴的な時計デザインです。このことについては後述します。





 文字盤と保護するガラスまたはアクリル製の窓を、風防といいます。風防の枠となる金属部分をベゼル(英 bezel)といいます。腕時計のケースはベゼルと裏蓋に分かれます。

 本品の最も美しい特徴は、華やかな彫金がベゼルを飾っていることです。彫金は様式化した若芽状の唐草文で、三十数個の若芽が上下を交替しつつ並んでいます。高倍率のルーペで観察すると、この唐草文は型で打ち出したのではなく、彫金職人の手作業による作品であることがわかります。細かいミル打ち(英 millgrain/milgrain)を連ねた二本の線が、唐草文を挟んでいます。

 本品 《ブローバ トレジャラー》の全体的形状は、アール・デコ様式によります。アール・デコの腕時計が有する直線的形状は、無機的、機械的な冷たさを感じさせることがありますが、本品には波打つ唐草文の彫金が施されているため、温かみのあるデザインとなっています。


 懐中時計の時代から二十世紀半ばまでの時代にはウォッチ・エングレイヴァーと呼ばれる職人が存在し、時計ケースに美しい彫金が施されました。1960年代以降の時計は大量生産される工業製品になったので、このような装飾は施されなくなりました。このことについても後述します。





 ウォッチといえば、現代人は腕時計を思い浮かべます。しかしながらいまからおよそ百年前、ウォッチすなわち携帯用時計といえば主に懐中時計のことでした。

 男女に分けて述べると、お洒落な女性たちは二十世紀初頭頃に小さな女性用懐中時計を手首に装着しはじめ、これがペンダント時計・腕時計兼用のコンヴァーティブル・ウォッチに発展しました。コンヴァーティブル・ウォッチは懐中時計ケースにバンド装着用金具を付加しただけの時計で、懐中時計と同様、ケースは円形です。しかしながら時計メーカーはトノー型や長円形など細長い形のムーヴメントを開発し、1910年代に長方形ケースの腕時計専用機を発売しました。女性用ウォッチといえば円形のペンダント・ウォッチしかなかった時代に、目新しい長方形の時計を手首に装着するという目新しいファッションは、女性たちの間で爆発的な人気を呼びました。

 女性たちがいち早く腕時計を使い始めたのに対し、男性は二十世紀に入っても懐中時計を使い続けました。これは当時の男性の美意識が保守的だったせいもありますが、いま一つの理由はムーヴメントの精度の問題でした。二十世紀初頭、社会で働くのは男性の役割であり、女性は家庭を守るものと考えられていました。社会で働く男性には正確な時計が必要でした。しかるに女性用時計の小さなムーヴメントは正確さに不安がありました。機械としての信頼性が高く、大きくて見易い懐中時計こそが、社会で働く男性にふさわしいと考えられたのです。





 このような理由により、男性の間で腕時計が本格的に普及し始めたのは、女性よりもかなり遅れた 1930年代のことでした。男性が腕時計を使い始めたとき、女性の場合と同様に、四角い時計に人気が集中しました。しかるに男性は円形ケースの懐中時計を長く使い続けたために、時計メーカーはトノー型や長円形など、細長い形の男性用ムーヴメントを開発していませんでした。それゆえ当時の時計メーカーは、難しい課題に直面しました。円形ムーヴメントを使って、男性の使用に耐える精度を保ちつつ、四角い時計を作らなければならなかったのです。

 女性用時計のムーヴメントは男性用腕時計のケースに充分納まるサイズですから、男性用腕時計の四角いケースに女性用時計のムーヴメントを入れれば、この課題は簡単に解決できそうに思えます。しかしながら先ほども述べたように、当時の女性用ムーヴメントには精度の不安がありました。したがって男性用時計に女性用ムーヴメントを入れるわけにはゆきません。女性用ムーヴメントよりもひと回り大きな男性用ムーヴメントを採用しつつ、細長いデザインに仕上げる必要があります。しかし当時の男性用ムーヴメントはほとんどの機種が円形であるために、四角い時計の幅が狭いケースに入りません。





 この難問を解決するために考え出されたのが、ステップト・ケース(英 stepped case 段付きケース)です。当時の時計メーカーは四角い時計に円形ムーヴメントを格納するために、ケース側面を目立たないように張り出させ、内部の空間を広げました。ケース側面が横に張り出した部分はベゼルから一段後退しており、目立ちません。ステップト・ケースの開発によって、四角を強調したデザインを損なわず、円形ムーヴメントを使って四角い時計を作ることが可能になりました。

 本品は長方形のケースと文字盤を有しますが、ケースの左右に弧状の張り出しがあります。弧状の張り出しがある理由は、大きな円形ムーヴメントが内部に入っているからです。この張り出しはベゼルよりも一段低いうえに傾斜しつつ後退しており、さらにベゼル上面に華やかな彫金が施されているせいで、本品は無理なく四角い時計に見えます。

 1940年代以降には細長い男性用ムーヴメントが開発され始め、1950年代後半になるとステップト・ケースは歴史的役割を終えて姿を消します。ステップト・ケースは主に 1940年代までの男性用腕時計に見られる特徴であり、1954年製の本品は最後期の作例です。





 本品の風防は瑕(きず)が多かったので、新品に交換しました。上の写真で時計の後方左に写っているのが元々の風防です。その下にあるピンクの紙は、本品に新しく取り付けた風防が入っていた紙袋です。

 二十世紀中頃まで、アメリカにはスタンダード社(Standard Unbreakable Crystal Company)という時計用風防の専門会社がありました。同社が出していたエレクトロ・シリンダーとロケット・シリンダーは、分厚いルーサイト(プレクシグラス)製風防のブランドで、他ブランドの製品に比べて圧倒的に高品質です。本品に嵌め込んだのは当時の交換用風防(エレクトロ・シリンダー 品番 CMX2222)で、《ブローバ トレジャラー 角型》の専用品です。この風防はドーム状に湾曲したグラマラスな形状で、単なるアーチ状であった元の風防よりも格段に美しく仕上がっています。本品に嵌め込んだ風防はデッド・ストック品(新品)です。上の写真の後方右に写っているのは同じ品番の風防で、やはり当時のデッド・ストック品(新品)です。





 本品と同モデルのブローバ トレジャラーが発売されたのは、太平洋戦争が終結して間もない 1952年です。強大なアメリカを敵に回した日本は太平洋戦争を国民の総力戦と位置付けましたが、日本を相手にした闘いで多数の若者の生命が失われた状況の厳しさは、アメリカにとっても同様でした。太平洋戦争の時代、アメリカの時計各社は軍用時計のみを作りました。それは国策でもありましたし、戦時下では美しい時計を楽しめるような雰囲気、心の余裕もありませんでした。

 日本が降伏して戦争が終わったとき、時代の雰囲気は百八十度転換し、アメリカ社会は一挙に明るさを取り戻しました。ヨーロッパや日本は焦土と化していましたが、国土が戦場とならなかったアメリカは立ち直りが早く、世界経済においても独り勝ちの様相を呈しました。1940年代末から 1950年代のアメリカでは、あたかも春の野に花々が咲き競うように、個性的で美しい数々の時計が制作されました。ブローバ トレジャラーもそのような時計のひとつです。





 この時代のアメリカン・ウォッチに特有の華やぎは、風防の形状にも現れていますし、ベゼルの彫金にも表れています。

 男性用腕時計が初めて作られたのは 1920年代です。1920年代のアメリカ合衆国は空前の繁栄を謳歌し、腕時計にも華やかな彫金細工が施されました。しかるに 1929年10月末に世界恐慌が起こり、黄金時代は突然の終焉を迎えました。高価格品であった時計は一挙に売れなくなり、時計各社はコスト削減に走ります。世相も暗くなり、華やかな時計は時代にそぐわなくなりました。1930年を境にして、時計ケースのデザインは一気に地味になりました。1939年に第二次世界大戦が勃発し、1941年には日本に真珠湾を攻撃されて、アメリカ合衆国は否応なく戦争に巻き込まれます。時計のデザインはこの間ずっと地味なままで、華やかな彫金など望むべくもありませんでした。

 大恐慌から第二次世界大戦へと繋がる暗い時代が終わったとき、時計も一挙に華やぎを取り戻しました。華やかな男性用時計が作られるのは、二十数年ぶりのことでした。男性用時計に彫金が施されたのも、やはり二十年ぶりです。しかしながら時計ケースの彫金は、この後すぐに姿を消すことになります。





 1960年代以降の時計ケースに彫金が施されなくなった理由は、生産効率化のためです。時計産業が効率化され、時計が単なる工業製品となるに伴って、計時機能に無関係な加工は無駄事として排除されるようになりました。端的に言えば、1950年代までの時計が時計職人による芸術品であったのに対して、1960年代以降の時計は量産される工業製品になったのです。

 滑らかな研磨仕上げの時計ケースは、素人が見ると高級に感じます。現代の高級な時計も、ケースはすべて滑らかに磨き上げられています。しかしながらピカピカに磨き上げられたケースは単に研磨すればよいだけなので、最も手間をかけずに作ることができます。本当に手間とコストがかかるのは、本品のような彫金細工のケースです。


 十九世紀以前の懐中時計ムーヴメントには、精緻なエングレーヴィングがしばしば施されています。エングレーヴィングはムーヴメントの計時機能には一切無関係ですし、ムーヴメントは外から見えない所ですから、装飾と考えるにしても不思議に思えます。フランスの美術史家ルネ・ユイグ(René Huyghe, 1906 - 1997)は、1955年の著書「見えるものとの対話」("Dialogue avec le visible", Flammarion, 1955)において、かつて職人と芸術家の間に区別が存在しなかったことを指摘し、職人は芸術家であり、生命を持って呼吸する美を自身の生から生み出しつつ仕事をした、手作業で作られた物品には生きた芸術を求める職人の感受性が必ず刻印を残す、と論じています。筆者(広川)が思うに、懐中時計ムーヴメントの彫金は、職人芸術家の生きた手の動きから自然に生まれ、時計に残された生の刻印なのでしょう。

 二十世紀初めに誕生した腕時計は、懐中時計と同様に、職人芸術家の手作業で生み出されるものでした。しかるに二十世紀半ばになると時計は大量生産品となり、「余計なもの」と看做される手仕事の美を削ぎ落としてゆきました。懐中時計を髣髴させる彫金の本品「ブローバ トレジャラー 1954年」は、時計が完全に工業製品となる直前、最後に見せた一瞬の火花の輝きに譬えることができます。





 たいていのアンティーク時計の文字盤には経年による変色があります。文字盤の変色は、文字盤の表面そのものの変質によります。汚れが附着しているのではないので、拭っても取れません。それゆえ文字盤の汚れが気になる場合は、文字盤再生(リファービッシュ、リダン)という特殊な処理が行われます。

 筆者がこれまでに見たブローバ トレジャラーはすべて明るい銀色で、シルバーの文字盤はどれも傷んでいました。この点黒色文字盤は劣化による変色が起こらないのが利点です。黒色文字盤のトレジャラーは非常に珍しく、本品一点しか目にしたことがありません。本品の文字盤はたいへん美しく仕上げてあるので、ブローバの工場で仕上げたファクトリー・オリジナルのようにも見えますが、おそらく古い時代に再生された文字盤であろうと思われます。

 本品の文字盤は元々明るい色であったはずです。これを黒色文字盤に変更したのは、変色を防止するためでしょう。黒色文字盤への変更は、変色防止以外にも計算外の効果を生み出しています。すなわち文字盤を黒に変えたことで全体が引き締まった印象になり、さらに黒と金の取り合わせで高級感が増しています。





 文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの数字を、インデックス(英 index)といいます。本品のインデックスは金色のアラビア数字で、六時の位置に小秒針(スモール・セカンド針)があります。文字盤中央と十二時の中間には、ブローバ(BULOVA)のロゴがあります。

 現代の時計は中三針(なかさんしん)式またはセンター・セカンド式といって、秒針が短針・長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。これに対して 1950年代までの時計はごく少数の例外を除き、小秒針式またはスモール・セカンド式といって、六時の位置に秒針が取り付けられています。本品も六時の位置に一段低くなった小文字盤があって、長さ三ミリメートルの可愛らしい秒針が回っています。


 インデックスのデザインには時代ごとにはっきりとした流行があります。本品のように毎正時が全てアラビア数字で表示されるのは、おおむね 1940年代までに制作されたの特徴です。1950年代に入るとアラビア数字と幾何学図形を交互に配するインデックスが主流となります。しかしながら《ブローバ トレジャラー》は平らな風防のモデルが 1950年、ハイ・ドーム型風防のモデル(本品と同じもの)が 1952年に発売されたので、1940年代と同様のアラビア数字インデックスが採用されており、二十世紀前半の雰囲気を色濃く残す腕時計となっています。

 長短針は金色のスピア(英 spear 槍)型です。アンティークの針は錆びている場合も多いですが、本品の針にはまったく錆がありません。飽きが来ないシンプルな形状の針は、文字盤全体の上品なデザインに良く似合っています。





 本品は円形の手巻きムーヴメント、ブローバ キャリバー 10BTを搭載しています。キャリバー 10BTが制作されたのは 1950年から 1954年までの五年間です。本品は 1954年に組み立てられています。

 ブローバ社はエボーシュ(仏 ébauche)と呼ばれるムーヴメントの半完成品をスイスのメーカーから輸入し、調速脱進機を自社で取り付けてムーヴメントを完成することが多くありました。キャリバー 10BTもスイス、ア・シールド社のキャリバー 1200をベースにしていますが、かなり大がかりな改変が行われているため、少し見ただけでは全く気づきません。

 ムーヴメントにはブローバ時計会社(BULOVA WATCH COMPANY)、スイス製(SWISS)、十七石(17 JEWELS)、L4(1954年のデイト・コード)等の刻印があります。宝石のルビーはたいへん硬い鉱物ですので、時計部品として使用されます。十七石というのは十七個のルビーを部品として使用しているという意味です。十七石の機械はハイ・ジュエル・ムーヴメントと呼ばれ、摩滅の可能性がある十七か所すべてにルビーを使った高級品です。





 現在の主要な時計生産国は中国、ヨーロッパ、日本で、アメリカ合衆国は時計を生産していません。しかるに第二次世界大戦期まで、質においても量においても、アメリカは日本などが足元にも及ばない時計大国でした。ヨーロッパと比べても、アメリカは優位に立っていました。ヨーロッパで売られている時計のムーヴメントは二番車に穴石(ドーナツ状のルビー)を使用せず、十五石であるのが普通です。しかしながらアメリカの時計は十七石が多く、第二次世界大戦中にスイスの時計会社がアメリカに時計を輸出する場合も穴石を追加して、十七石のハイ・ジュエル・ムーヴメントへとアップグレードが行われました。本品も十七石のハイ・ジュエル・ムーヴメントで、二番車の軸受けにルビーの穴石を使っています。





 上の写真の手前右に、大きな環が振動(往復するように回転すること)しているのが見えます。この環は振り子と同じ役割をする部品で、天符(てんぷ)といいます。ブローバ キャリバー 10BTの天符は毎時 18,000振動、一日当たり 432,000回の振動を繰り返し、正確に時を刻みます。

 機械式腕時計は天符で時間を計っているので、ここに歪み等の不具合があると致命的な故障となります。上の写真では天符が高速で振動しています。しかしながらどの写真においても、環の輪郭はまったくぶれていません。これは天真(天符の軸)に曲がり等の問題が無いことを示します。

 また静止した写真を見ても分かりませんが、本品の天符は大きな角度で振動しています。これはひげぜんまいという部品が良い状態であることを示します。ひげぜんまいに問題があると時計はまともに動かず、致命的な故障となりますが、本品のひげぜんまいは如何なる問題も無い良好な状態です。





 本品に適合するバンド幅(バンドを時計に取り付ける部分の幅)は、十六ミリメートルです。バンドはお好きな色、素材のバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。

 1951年に発売された当時のブローバ トレジャラーは、金属の伸縮式バンドが付いていました。本品は黒色文字盤に合わせて黒い革バンドを取り付けましたが、当店には 1950年代の伸縮式金属バンドも在庫していますので、金属製バンドに変更することも可能です。ご希望の場合は無料で変更いたします。





 ブローバ トレジャラーはもともと男性用時計として作られました。この時代の時計は現代に比べて小さめなのでシャツの袖に引っかからず、スーツやジャケットに良く合います。なお本品は現代の時計に比べると小さめで、デザインもたいへん上品であるゆえに、女性にお使いいただいても良く似合います。

 当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。


 下の写真は本品と同時代のブローバの箱です。箱は別売りで、本体価格は 16,000円です。













 下の写真は本品と同時代の時計の箱で、汎用品です。この箱の本体価格は 15,000円です。











 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 148,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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