最後の女性用懐中時計 エルジン 《グレード 463》 金色のアンティーク 1920年



 「ウォッチ」(英 watch 携帯用時計)という語を聞くと、現代人は腕時計を思い浮かべます。しかしながら「ウォッチ」すなわち携帯用時計とは、もともと懐中時計のことでした。

 英語で「時計」を表す名詞「ウォッチ」は、動詞「ウォッチ」(英 watch 見守る)と同じ語で、英語の「ウェイク」(英 wake 目覚めている、寝ずの番をする、通夜をする)、ドイツ語の「ヴァッヒェン」(独 wachen 見守る、目覚めている、寝ずの番をする)と同根です。すなわち名詞「ウォッチ」は「不寝番の道具」が原意で、夜警用の時計を指しています。振り子時計は傾けると止まるので、持ち歩くことができません。しかしながらひげぜんまいで調速する天符式時計は、傾けても止まらないので携帯に便利です。それゆえ夜警は天符式の携帯用時計を持ち歩き、この大きな懐中時計が「ウォッチ」と呼ばれるようになったのです。




(上) 1910年頃のおしゃれな女性


 時計作りの材料と技術が進歩すると、ムーヴメント(時計内部の機械)の小型化が可能になります。二十世紀初頭、女性用懐中時計が十分に小型化され、手首に装着できるサイズになると、おしゃれな女性たちが小さな懐中時計をポケット付きの革バンドに入れて、手首に装着しました。こうして生まれたのが「リストウォッチ」(英 wristwatch 手首用携帯時計)、つまり腕時計です。1920年代には女性の間で、1930年代には男性の間で、懐中時計に代わって腕時計が本格的に普及し始めました。

 本品が制作されたのは 1920年ですが、これは女性用腕時計の時代が始まる直前です。したがって本品は女性用に制作された最後の懐中時計です。かつてアメリカに存在した時計メーカー、エルジン・ウォッチ・カンパニーが制作したもので、突出部分を除く時計の直径は三十一ミリメートル、クリスタル(ガラス製風防)を含む時計全体の厚さは十ミリメートル強です。





 百年前の時計は現代の時計のような「クォーツ式」ではなく、ぜんまいで動く「機械式」です。電池で動くクォーツ式時計は 1970年代から使われ始めます。本品が製作された1920年は、クォーツ式腕時計が存在せず、「ウォッチ」といえば機械式懐中時計のことでした。

 ぜんまいを巻いたり、時刻を合わせたりするためのツマミを、「竜頭」(りゅうず)といいます。1920年代以降、現代に至るまで、腕時計の竜頭は三時の位置に付いています。これに対して本品をはじめとする懐中時計は、十二時の位置に竜頭が付いています。「ボウ」(英 bow)と呼ばれる枠が竜頭を囲んでおり、ここに紐やチェーンを取り付けるようになっています。





 時計内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)を「ケース」(英 case)といいます。 本品のケースはスリー・ピース構造で、文字盤を取り巻くベゼル(英 bezel)、ムーヴメントの枠となるケース本体、裏蓋に分かれます。上の写真は本品の背面、すなわちケース裏蓋の側を撮影しています。

 ケースの材質は板状の金をベース・メタルに張り付けたゴールド・フィルド(金張り)で、現代の金めっき(エレクトロ・プレート)に比べると、金の厚みは数十倍に達します。金の層が厚いため、摩耗に強く、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は十カラット・ゴールド(純度 10/24のゴールド 十金)で、十八カラット・ゴールド(純度 18/24のゴールド 十八金)に比べて金そのものの強度が格段に強く、色の点でも淡く上品なシャンパン・ゴールドをしています。





 本品のケースは裏蓋が蝶番(ちょうつがい)で開くようになっています。懐中時計のケースの様式はさまざまで、「蝶番式」に並んで「こじ開け式」や「ネジ式」のものも多くありましたが、本格的な腕時計の時代になると「蝶番式」は姿を消し、裏蓋はすべて「こじ開け式」か「ネジ式」になります。本品の「蝶番式」裏蓋は、懐中時計特有の様式です。

 裏蓋の内側には、ケースのメーカーであるワズワース社(Wadsworth Watch Case Company)のロゴ、「十カラット・ゴールド・フィルド」(10K GOLD FILLED 十金張り)の表示、及びケースのシリアル番号が刻印されています。

 「金張り」(ゴールド・フィルド)とは、金の薄板を、高温高圧によって、ベース・メタルの表面に鑞(ろう)付けした素材です。金張り製品は、現代の金めっき(エレクトロ・プレート)はもちろんのこと、同時代の「ロールド・ゴールド・プレート」に比べても、金に厚みがあります。現代の金めっきは数年使うと色が薄くなりますが、金張りは耐久性があり、美しい状態を非常に長く保ちます。

 本品の状態を見ても、金が摩滅しているのはボウのみです。懐中時計のボウは紐やチェーンと常に擦れ合っているので、どうしても摩滅が起こります。しかしながら本品のケース本体には、金が無くなった箇所も、色が薄くなった箇所も、まったくありません。





 時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を「文字盤」(英 dial)、文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を「インデックス」(英 index)といいます。本品のようなアラビア数字のインデックスは、二十世紀前半までの時計の特徴です。1950年代半ばから1960年代以降になると、棒状の「バー・インデックス」が圧倒的に多くなります。


 六時の位置はスモール・セカンド(英 small second 小秒針)用の文字盤があり、小さな秒針が回転しています。

 現代の時計の秒針は「センター・セカンド」といって、短針、長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。しかしながら時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを制作するのは技術的に困難で、センター・セカンドが普及するのは1960年代です。懐中時計の秒針、および二十世紀前半の男性用腕時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、六時の位置にスモール・セカンド(小秒針)が取り付けられています。





 女性用時計は男性用時計よりも小さくデザインされます。特に 1930年代から 1970年代の女性用腕時計は極小化し、一円硬貨よりも小さなサイズになりました、時計がここまで小型化すると、六時の位置にスモール・セカンドを付けてもほとんど見えません。それゆえ 1930年代から 1970年代の女性用腕時計には秒針が無いのが普通です。しかしながら女性用懐中時計は男性用腕時計とほぼ同じサイズですので、女性用であっても秒針を有します。





 本品の文字盤は半艶消しの金色で、「エルジン」のロゴ (ELGIN) が黒で書かれています。艶を消した金色の文字盤は、1920年代前半までの懐中時計および腕時計(トランジショナル・ウォッチ)にほぼ限られる特徴です。1920年代後半になると白い文字盤が圧倒的多数を占めるようになり、金色の文字盤は姿を消します。

 本品の文字盤は時計が製作された当時のオリジナルで、経年による変色が見られます。アンティークが経年によって獲得した色合いを、パティナ(英 patina 古色)といいます。本品の文字盤に見られる変色もアンティーク品特有のパティナで、レプリカには無い特徴です。

 パティナは新品の時計が工場を出荷した時には無かったものです。それゆえパティナを余計な汚れと考えて、嫌う人たちがいます。しかしながらアンティーク時計は単なる計時用機械ではありません。単なる計時用機械が欲しいのであれば、新品のクォーツ式時計を買えばよいのです。千円ほどで売っているクォーツ式時計のほうが、本品よりも正確です。当店では歴史性こそが古い品物の魅力であると考えて、アンティーク時計のパティナを大切にしています。





 時計のなかには青い針を持つものがあります。時計の針が鋼鉄製である場合、加熱により青い酸化被膜を作り、錆の発生を防ぎます。加熱して得られた酸化被膜のせいで青く見える鋼鉄を、「ブルー・スティール」(英 blue steel 「青い鋼(はがね)」の意)といいます。

 「ブルー・スティール」を作るには手間がかかるので、現代の時計に見られる青い針は、大抵の場合、「ブルー・スティール」を模して青く塗装しています。本品の針は時針、分針、小秒針とも真正のブルー・スティールです。





 時計内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)といいます。本品のムーヴメントは電池ではなくぜんまいで動いています。本品のようにぜんまいで動く時計を「機械式時計」といいます。良質の機械式時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはモース硬度「9」と非常に硬い鉱物(コランダム Al2O3)ですので、時計の部品として使用されるのです。

 上の写真は本品の裏蓋を開けたところで、エルジン社製手巻きムーヴメント、グレード 463 が見えています。写真の奥のほうにエフ(F fast)とエス(S slow)の間を指す長い針(緩急針)が見えます。緩急針の基部はリング状になっており、リング内の中心部に小さな部品があって、両側からネジで固定されているのが見えます。これはルビーを金(きん ゴールド)の枠に嵌め込み、ステンレス・スティール製基盤(受け石座)に押し込んだものです。ルビーは一個しか入っていないように見えますが、この周辺に七個が使用されています。





 上の写真の手前に写っている金色の環は、天符(てんぷ)という部品です。天符の中心には、金の枠に嵌められたルビーが見えています。

 天符は携帯用時計(ウォッチ)の天符は振り子と同じ役割を果たす部品で、機械式時計ムーヴメントの心臓部分です。本品の天符には、多数のチラネジが取り付けられています。環状の天符から突き出している一つ一つの突起は、すべて極小サイズのネジです。





 写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。チラネジの直径は一ミリメートルよりも小さいことがわかります。1920年の機械や道具は、現代のような自動式ではありませんでした。極小サイズの時計部品は、手動の機械や道具を使って、職人が作っていたのです。

 1920年当時、この時計の価格はおそらく初任給と同じくらい、ないしは初任給の一・五倍程度でした。価格だけを表面的に比較すると、当時の時計は現代のクォーツ式時計よりも高価に感じます。しかしながら現代のクォーツ式時計は、たとえばファッションブランドが売っている八、九万円の時計であっても、一個八十円から百円程度のプラスチック製ムーヴメントを使っています。それでも数年間は動作するのですから大したものですが、プラスチック製ムーヴメントは修理が不可能で、時計は使い捨てです。これに対して金属とルビーでできているアンティーク時計のムーヴメントは耐久性に優れ、修理も可能です。本品は九十六年から九十七年前の時計ですが、いまも元気に動いています。

 現在、時計の主要生産国はスイス、日本、中国ですが、二十世紀前半までのアメリカ合衆国では時計産業が盛んで、その品質はスイス製をしのいでいました。アメリカの時計産業は日本との戦争が遠因になって衰退、消滅し、アメリカ国内で時計を製作していた最大手のエルジン社も、1968年に操業を停止しました。本品はエルジン社が元気であった 1920年の製品ですので、ムーヴメントの表面には「アメリカ合衆国」(U. S. A.)の文字が誇らしげに彫り込まれています。





 当店は数少ないアンティーク時計の修理対応店です。アンティーク時計はどこの店でも原則的に「現状売り」で、壊れても修理できませんが、アンティークアナスタシア店主にはアンティーク時計に関する十分な専門知識がありますし、本品「エルジン グレード 463」に関しても、数個のムーヴメントをはじめとする部品を保有しているため、他店で不可能な修理に対応できます。

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