真珠 その五 シロチョウガイとシロチョウ真珠
huîtres perlières marines et leur perles ― 5. Pinctada maxima et ses perles




(上) シロチョウガイ


 シロチョウガイ(Pinctada maxima)はアラフラ海から珊瑚海、フィリピン周辺、アンダマン海(ミャンマー沿岸)を中心に分布します。養殖はオーストラリア、インドネシア、ニューギニア、フィリピン、ミャンマーの他、我が国では奄美大島でも行われています。

 シロチョウガイは貝殻内側の縁の色によってゴールド・リップとシルバー・リップの二つに分かれます。ゴールド・リップと呼ばれる有色真珠層(金色の真珠層)を有するシロチョウガイの真珠は、クロチョウガイの場合と同様の事情で、最初は金色の真珠層に被われます。金色の真珠を長期間にわたって貝の中に放置すれば、金色の層は銀白色の層に被われてシャンパン・ゴールドに変化し、やがては白色の真珠になります。一方シルバー・リップのシロチョウガイからは白銀色の真珠が採れます。




(上) 瑕が少なく照りも優れたシロチョウ真珠(南洋真珠)のペア。直径十四ミリメートル、二個を合わせた重量八グラム。シロチョウ真珠の大きな珠は、ネックレスに仕立てるとかなり重く感じます。このペアはイヤリング用に仕入れました。当店の商品。


 太平洋西部のマリアナ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島は第一次世界大戦までドイツ領でしたが、ドイツの敗戦後、日本の委任統治領になりました。南洋諸島、または内南洋と呼ばれたこれらの島々ではシロチョウガイの養殖が盛んであったことから、わが国の宝飾業界において、シロチョウ真珠は南洋真珠、南洋珠とも呼ばれます。海産の真珠、中でもマベ真珠、クロチョウ真珠、シロチョウ真珠はいずれも南国の暖海で採れますが、とりわけシロチョウ真珠のみを指して南洋真珠と呼ぶのは、このような歴史的経緯に基づきます。





 シロチョウガイの学名ピンクターダ・マークシマ(Pinctada maxima)は最大のアコヤガイという意味で、成長した個体では殻の直径三十センチメートル、片側の重量五キログラムに達し、その名の通り、アコヤガイ属のなかで最も大きな貝です。下の写真は直径四十ミリメートルに及ぶ養殖真珠で、タイ南部のリゾート地コー・サムイ(Ko Samui サムイ島)で 1987年1月にシロチョウガイから採取されました。この真珠は 1995年にギネスブックに掲載され、「世界最大の養殖真珠」の地位を 2002年まで保持しました。この真珠の現物はミキモト真珠博物館にあります。





 コー・サムイの真珠ほどではないにせよ、シロチョウ真珠からは径二十ミリメートルほどもある大珠を採ることができます。その一方で、シロチョウガイからはあこや真珠と同等サイズの美しい珠を採ることもできます。シロチョウ真珠はオーストラリア、インドネシア、フィリピンのほか、わが国では八重山諸島で養殖されています。




(上) シロチョウ真珠の表面をやすりで剥離する T. B. エリーズ氏。1890年代に撮影された写真。


 ホワイト・リップのシロチョウ真珠(白色のシロチョウ真珠)は、多くの場合しみ抜きが行われます。薬剤による漂白も行われますし、色づいた部分をやすりで削り落とす場合もあります。上の写真は 1890年代に撮影されたもので、スリランカからオーストラリア北部のブルーム(Broome キンバリー地域)に移住したT. B. エリーズ氏(T. B. Ellies エリーズ・パーリングの創業者)が、シロチョウ真珠の表面をやすりで削り、綺麗な真珠層を露出させています。当時の真珠は天然真珠で、全体が真珠層でできていますから、このように荒っぽい加工が可能でした。

 現代のシロチョウ真珠は養殖されていますが、形はバロックになりがちです。その一方で消費者は完全な球形真珠を欲しがるので、バロック真珠の突出部分をやすりで削り落とす加工がしばしば行われます。バロック真珠の突出部分は真珠層が厚いので、多少削っても核は露出しません。しかしながらバロック真珠の突出部分は真珠層が最も厚いゆえに、この部分こそがいちばん美しい照り(真珠光沢)を有します。ですからここを削り落とすのたいへん惜しいことです。

 そもそも球形真珠こそが美しいとする価値観は、真珠がすべてバロック真珠であった天然真珠の時代に、球形真珠がこの上なく稀少であったことに由来しています。しかし有核の養殖真珠には球形の核が入っているのですから、現代の球形真珠には何の稀少性もありません。養殖真珠の時代には、むしろバロック真珠こそが評価されるべきでしょう。世の中の女性たちが誤った思い込みから解放され、バロック真珠の美しさに目覚めてくれることを、筆者(広川)は切に願っています。





 シロチョウガイの貝殻は真珠層が厚く丈夫で、貝ボタンをはじめとする真珠母(しんじゅも マザー・オヴ・パール)製品の原料として重要です。

 ヨーク岬のすぐ北に浮かぶサースデイ・アイランド(Thursday Island 木曜島)では、主に紀州(串本や周参見、新宮、太地など)出身の潜水夫たちによって、かつてシロチョウガイが盛んに採取されていました。司馬遼太郎氏の「木曜島の夜会」によると、アラフラ海でシロチョウガイを採らせるために、英国商人は最初にニューギニア人、次にマレー人、さらに中国人を雇いましたが、いずれも熟達しませんでした。その後に雇われた紀州の人々はたいへん優秀で、明治時代のサースデイ・アイランドには日本人が多く住んでいました。





 アラフラ海でシロチョウガイの採取に従事した日本人潜水夫は、およそ七千人に及びます。彼らの目的は真珠ではなく、真珠母(貝殻)でした。真珠貝を採る目的が真珠ではなく貝殻だと聞けば不審に思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら当時のシロチョウガイから真珠が見つかるとすれば、それは天然真珠です。天然真珠の稀少性を考えれば、実際に真珠が見つかることなどまず期待できませんから、これでは産業としての安定性を欠いてしまいます。ごく稀に天然真珠が見つかるとしても僥倖による副産物に過ぎず、潜水夫たちは職業上の関心を寄せなかったはずです。彼らのシロチョウガイ採取が真珠を目的にしなかったのは、蓋し当然のことであったといえます。




(上) ジョージ・フレデリック・クンツ「真珠の本」より、アラフラ海の船上で真珠を探す漁師たち


 ただしジョージ・フレデリック・クンツの「真珠の本」(The Book of Pearls)には、アラフラ海の船上でシロチョウガイから真珠を探す写真が載っています。シロチョウガイから身を除く作業はいずれにせよ行う必要がありますから、貴重な真珠が含まれていないかどうかを、貝殻を散るついでに点検したのでしょう。




(上) アラフラ海の船上で螺鈿用シロチョウガイを等級分けし、重量を量り、梱包する作業風景


 日本人潜水夫が採ったシロチョウガイの真珠母は欧米に輸出され、ボタンの他、カトラリーの柄や扇の骨などに使われました。真珠母はわが国の螺鈿細工にも使われますが、シロチョウガイは高価で、戦前の日本には輸入されませんでした。日本人潜水夫が木曜島で活躍した明治から大正期、わが国で螺鈿細工に使われたのは、いずれも南西諸島の巻貝であるヤコウガイ(註1)やサラサバテイラ(註2)の真珠母です。



註1 ヤコウガイ(Turbo marmoratus)はリュウテン科リュウテン属に分類される大型の巻貝で、太平洋及びインド洋の熱帯から亜熱帯にかけて分布し、屋久島及び種子島が北限である。我が国においてヤコウガイは螺鈿の材料として古くから知られた。正倉院御物、螺鈿紫檀五弦琵琶は唐代に制作されたインド式の五弦琵琶で、天平勝宝八年(756年)の「国家珍宝帳」に記載がある。1953年度から 55年度、及び 1992年度から 93年度の二次に亙り、正倉院御物の材質鑑定調査が行われた。螺鈿紫檀五弦琵琶の螺鈿がヤコウガイによるものであることは、第二次調査によって確定した。天治元年(1124年)に上棟された中尊寺金色堂にも、ヤコウガイの螺鈿が多用されている。

註2 サラサバテイラ(更紗馬蹄螺 Tectus niloticus 別名サラサバテイ、タカセガイ)はニシキウズガイ科ギンタカハマ属に分類される。円錐形の形状が美しく、殻の表層を剥離して真珠層を露出させた飾り物をよく目にする。ヤコウガイとほぼ同じ海域に分布し、ヤコウガイと同様に、螺鈿及び貝ボタンの材料として珍重される。



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