月のシンボリズム その二 月と死と通過儀礼、生成消滅の範型としての月
la symbolique de la lune #2 lune, la mort et l'initiation, Symbolisme du "devenir" lunaire




(上) 満月の前夜、月齢およそ 14の月。2019年11月11日撮影。


 インド=ヨーロッパ神話の古層及び西南アジア神話において、月の神は冥界の神でもあります。アナトリア西部における月の男神メーン(希 μήν 月、一か月)は冥界の王でもあります。仏教とともに我が国に伝わった冥界の王、閻魔は、リグ・ヴェーダにおいては月の男神ヤマ(男神)であり、双子の関係にある太陽の女神ヤミーとの婚姻によって人間を生じさせました。ヤマは最初の死者となり、ヤマ自身と同一視される月は死者たちが赴くべき場所となりました。

 冥界の王ハーデスに攫われて妻となったペルセポネー(希 Περσεφόνη)も、月と深いつながりがあります。四世紀のローマの文法学者セルウィウス(Maurus Servius Honoratus)は、ヴェルギリウスの農耕詩「ゲオールギカ」(羅 Georgica)註解のなかで、プロセルピナ(ペルセポネー)が冥界に隠れている期間が半年であることと、月が欠ける期間が一年のうち半年に相当することを、互いに関連付けています。セルウィウスによると、ルーナ、ディアーナ、プロセルピナはいずれも月の女神であり、ルーナは空を、ディアーナは地上を、プロセルピナは地下を司ります。豊穣の女神デーメーテールは太陽と深い関係があって、植物の生育を支配しますが、デーメーテールの娘プロセルピナは月と深い関係があって、種の休眠と発芽を支配するのです。

 エリアーデ「宗教史論」に即し、引き続き月と死、月と通過儀礼、変化の範型としての月について論じます。我が国の事例等、エリアーデの著書には言及が無い事項についても、註にて適宜取り上げました。


【エリアーデ「宗教史論」より】

・月と死

 アメリカ先住民研究で知られるドイツの人類学者エドゥアルト・ゲオルク・ゼーラー(Eduard Georg Seler, 1849 – 1922)は、月を「第一の死者」(独 der erste Gestorbene)と呼びました。これは月が死者の範型であるという意味です。下弦の月はあたかも老衰するかのようにやせ細り、朔に至って三夜のあいだ空から姿を消しますが、四日目の夜に復活します。月は人間の範型である故に、人間も死後に新しい存在の様態を得て復活すると考えられました。すなわち死は消滅ではなく、存在の異なる次元への移行であると考えられたのです。農耕の開始により月と大地の連関を強く意識するようになった人間は、死者が月に移り住む、或いは新しい生命を得るのに必要な力を得るために地中に還ると考えました。メーンやペルセポネー、そしておそらくはヘルメスの場合のように、月の神が冥界の神を兼ねるのは、このような考えに基づきます(註35)。数多くの宗教で死者は月に住むと考えられています。グアイクル族(Guaycuru 註36)のように首長や祭司のみが死後に月へ行くと考える場合もあり、そのような場合には首長や祭司のみに不死性が与えられていることになります(註37)。

 死者が月に行くとの考えは、高度の文化を有するインド、ギリシア、イランにおいて新たな価値を獲得します。ブリハッド=アーラニヤカ・ウパニシャッドにおいて、死者が辿る月への道はピトリヤーナ(pitriyâna 霊魂の道 註38)と呼ばれ、死者の魂は転生を待つあいだ月で休みます。これ対して通過儀礼を受け、無知が齎す迷いから解放された者たちは、デヴァヤーナ(devayâna 神々の道)を辿って太陽に向かいます(註39)。イランでは死者の魂はシンヴァトの橋を渡って(註40)星々の世界に向かい、有徳の魂は月に、次いで太陽に達し、最も徳の高い魂はアフラ=マズダの無限の光であるガロートマーン(註41)に到達します(註42)。これと同様の信仰はマニ教のグノーシス文書に記され(註43)、東洋にも伝わっていました。ピタゴラス教団が至高天(仏 empyrée uranien)の観念を普及させたことで、神秘的天体論は一層の力を得ます。彼らは王や英雄たちが安らぐエリュシオンの野が月にあると考え(註44)、死者の島をはじめ死後の他界のすべてを月、太陽、天の川などの天体に投影しました。しかしながら死者の魂は月に受け入れられて再生するという根源的思想は、ピュタゴラス教団の天文学的観想、終末論的グノーシスの内にも見出すことができます。

 ウパニシャッドによると、魂は月で転生を待ちます。それゆえ月は生き物を形作るとともに分解する作用も有します。フィルミクス・マテルヌスも「誤謬論」("De Errore")で「月は生ける物どものあらゆる身体と胎仔を作り出す。そして産み出されたあらゆる物を分解する」と論じています(註45)。キケロが言うように、月よりも上層にある物のみが生成消滅を免れます(註46)。プルタルコスによると人間は身体、魂、理性の三部分で構成されており、死せる義人の魂は月で浄められ、その間に身体は地上で、理性は太陽で、それぞれ再構成されます(註47)。

 魂が月で、理性が太陽でよみがえるとの説は、ブリハッド=アーラニヤカ・ウパニシャッドを思い起こさせます。先に述べたように、このウパニシャッドにおいて、死後の一般人は月への道(ピトリヤーナ)を、智者は太陽への道(デヴァヤーナ)を辿ります。一般陣が死後に太陽に行けないのは、彼らの魂が理性の光に照らされていないから、すなわち究極の形而上的真理であるブラフマンを知らないからです。プルタルコスによると人の死は二段階に分かれます。デーメーテールが支配する地上において、身体が魂と理性の複合体と分離し、塵に戻るのが第一の死です。アテナイ人はこのことゆえに死者をデーメートレイオイ(希 Δημήτρειοι)と呼びました。第二の死はペルセポネーが支配する月において、魂が理性と分離し、月の塵に戻るときに起こります。月において理性から分離した死者の魂は、生きていたころの夢と思い出を抱きつつ、しばらくの間月に留まります(註48)。義人の魂は速やかに蒸発してなくなりますが、貪欲な者、我執の強い者、身体に対する執着の強い者たちの魂が解消されるにはたいへん長い時間がかかります。理性は太陽に惹き付けられて太陽に戻り、理性に対応する物質へと還元されます。人が地上に生まれるときは、これと逆のことが起こります。すなわち月は太陽から理性を受け取って、自らが生んだ魂に結合させます。地は理性と魂の複合を月から受け取り、これに身体を与えます(註49)。


・月と通過儀礼

 月は不死である故に、人間もまた不死です。フレイザー著「不死の信仰」第一巻69章によると、カリフォルニア州オレンジ郡サン・フアン・カピストラノ(San Juan Capistrano)のインディアンたちが言う通り、「月が死んで復活するのとまったく同様に、人間も死後に蘇る」のです。数多くの神話において、月は「わたし(月)が死んで蘇るのとまったく同様に、お前(人間)も死後に生き返る」と人間に伝ることをノウサギ、犬、トカゲ等の生き物に命じますが、仲立ちになった生き物が愚かあるいは意地悪で、「月は蘇るが、人間は一度死ぬと蘇らない」と伝えます。この類型の神話はアフリカに最も多く分布しますが(註50)、フィジー諸島、オーストラリア、アイヌにも見られ(註51)、現実の死の起源を説明するとともに、通過儀礼の由来ともなっています。月を復活の範型と見做す思想はキリスト教のうちにも見出せます。「月は毎月生まれ、成長し、完成し、小さくなり、消失し、更新する。月の場合に毎月起こることが、(最後の審判の)復活の場合には全時代を通じてただ一度だけ起こるのだ」とアウグスティヌスは書いています(註52)。通過儀礼の参加者は儀礼的な死の後に復活し、これによって新しい人格を獲得します。このような意味を持つ通過儀礼において、月が担う役割は容易に理解できます。

 オーストラリアの通過儀礼において、若者は儀礼的な死者=新生児となり、月が闇を抜け出すのと同じく墓から姿を現します(註53)。シベリア北東部に住むコリヤーク族(Коряки)、アラスカ南東部海岸地帯のトリンギット族(Tlingits)、主にモザンビーク南部に住むトンガ族(Tongas)、主にブリティッシュコロンビアに住むハイダ族(Haïdas)の通過儀礼には月の動物である熊が登場しますが、これは旧石器時代の儀礼で熊が不可欠の役割を果たしたのと同様です(註54)。カリフォルニア北部のポモ族(Pomos)において、グリズリーに殺され爪で背中に穴を開けられた若者は、服を脱がされ数枚の服を着せられ、四日のあいだ森に留まって、通過儀礼の秘密を教えられます(註55)。

 太陽や神が月をばらばらに引き裂く神話は数多くみられます(註56)。シャーマンによる通過儀礼で、若者は月と同様に儀礼的に引き裂かれる場合があり、原型においてオシリスの通過儀礼と共通します。プルタルコスの「イシスについて」("De Iside")によると、オシリスは二十八年間に渡って統治した後、暦の月の半ばである十七日目、すなわち月が欠け始めるときに殺されました。イシスはオシリスの遺体を棺に隠しますが、セトが月夜にこれを見つけ、オシリスの遺体を十四の部分に分けてエジプト中に撒きました(註57)。ギリシア語において「死ぬ」と「通過儀礼を受けさせる」の二語に密接なアナロギアが存在するのはこのためである、とプルタルコスは語っています(註58)。通過儀礼における新生が儀礼的死を通して得られるのであれば、現実の死についても同様に考えることができましょう。プルタルコスによると、月よりも上方に達する魂は勝利した魂であって、通過儀礼を受けた者たち、勝利した者たちと同様に、額に冠を戴くのです(註59)。


・生成消滅を象徴する月

 月の姿が変化する様子は再生、盈(エイ 満月の状態)、消失といった劇的状態において観察されることもあれば、時の経過を知るのに使われたり、運命の糸になぞらえられたりもします。月の変化をどのように捉えるかは、民族ごとに異なる物事の捉え方 ― 神話的か理性的か ―、並びにその民族の文化水準によって異なりますが、月がどのような働きにおいてとらえられるとしても、その大元にあるのは月が生きており、それゆえ規則的変化を永遠に繰り返すという事実です。

 盈虧のすべての相が儀式的に繰り返されることもあります。三世紀半ばに成立したヒンドゥー教シャクティ派のテキスト、ラリターサハスラナーマ(Lalitâsahasranâma)によると、女神トリプラスンダリー(Tripurasundarî)は月の中にいる姿で瞑想されます。タントリズムの著述家バースカラ・ラージャ(Bâskara Râja)によると、この女神のプージャー(pûjâ 礼拝)は新月第一日に始まって太陰暦十五日まで続き、それぞれの夜の月(tithi)を一人ずつのブラフマンで、すなわちプージャ全体を十六人のブラフマンで象徴します。しかしながらジュゼッペ・トゥッチが正しく指摘する通り、月の女神が姿を変える様子をブラフマンで象徴させるのは、後世の歪曲に他なりません。タントリズム文書のひとつルドラヤーマラ(Rudrayâmala)に書かれているように、月の女神の各相を一歳から十六歳までの少女十六人によって象徴するクマーリー=プージャー(kumârî-pûjâ 少女の礼拝)こそがその本来の姿です。少女のプージャーは新月第一日に始まって太陰暦十五日まで続き、それぞれの少女が年齢順に各夜の月(tithi)を表します(註61)。一般にタントリズムの儀式は女性と女神を重視しますが(註62)、クマーリー=プージャーには月と女性の対応関係がとりわけ顕著に認められます。

 月は時間を測る拠り所であり、分類の基準でもあります。このことは語源によるばかりか、古代人の分類によっても確認することができます。インドでは物事を四の倍数で分けることが多いですが、この四は月における四つの状態、すなわち新月、上弦、満月、下弦を反映していると考えられます。エドゥアルト・シュトゥッケン(Eduard Stucken, 1865 - 1936)は 1913年の著作「アルファベットの起源と月の満ち欠け」("Der Ursprung des Alphabets und die Mondstationen", Hinrichs, Leipzig 1913)において、アラビア語の字母と月の満ち欠けの関係を論じています。フリッツ・ホンメル(Fritz Hommel, 1854 - 1936)は 1904年の著作「概説 古代オリエントの地理と歴史」("Grundriß der Geographie und Geschichte des alten Orients", vol. I. Munich, 1904, p. 99 sq.)において、十ないし十一個のヘブライ文字が月の姿を象ることを示しました。月と字形に関する同様の呼応関係はバビロニア語(註63)、ギリシア語(註64)、スカンディナヴィア諸語のルーン文字(註65)にも見られます。字形ではなく音価に基づいて字母と月の対応を論じた最もわかりやすく包括的な例の一つは、古代ギリシアの文法学者ディオニュシオス・トラクス(Διονύσιος ὁ Θρᾷξ)の著述に見出せます。ディオニシウスによると母音は満月に、有声子音は上弦と下弦の半月に、無声子音は新月に対応します(註66)。


月のシンボリズム その三 月とコスモス、月と運命、月の形而上学 に移動する




 註35    Krappe, "La genèse des mythes" 116
     
 註36    広川註 トケラウの原住民。トケラウ(Tkelau)はニュージーランド領の三つの環礁で、ハワイとニュージーランドの中間付近にある。2011年10月の人口は 1,411人。
     
 註37    Edward Burnett Tylor, "Primitive Culture"(1871), II, 70 ; Krappe, 117
     
 註38    広川註 Marco Baistrocchi, "Les portes du ciel : devayâna et pitriyâna", Arche Milan, 1979, ISBN-10 : 8872521017, ISBN-13 : 978-8872521014
     
 註39    Brhad-Aranyaka Upanishad, VI, 2, 16 ; Chândogya Upanishad, V, 10, 1 ; etc.
     
 註40    広川註 ゾロアスター教において、死者の魂はシンヴァット(Cinvat)の橋を渡って地獄尾入り口の上を越える。
     
 註41    広川註 ゾロアスター教において、ガロートマーン(garōtmān/garōdmān 讃歌の家)はアフラ=マズダが住まうところであり、無限の光に満ちている。人の死後、悪しき魂は地獄に落ちるが、善き魂はシンヴァットの橋を渡ってガロートマーンに至り、世の終わりにアフラ=マズダがアートマンに勝利するのを待つ。地獄で救いを待つ魂は、世の終わりにアフラ=マズダが勝利すると解放されて救済を得る。
     
 註42    Dadistan-i-Dinik, 34 ; West, "Pahlavi Texts", II, 76
     
 註43    Franz Cumont, "Recherches sur le symbolisme funéraire des Romains", 179, n. 3
広川註 Franz Cumont, "Recherches sur le symbolisme funéraire des Romains", volume édité par Janine et Jean-Charles Balty, avec la collaboration de Charles Bossu, Academica Belgica, Institut historique belge de Rome,Nino Aragno Editore, Rome, 2015, diffuseur Brepols, CLXV et 548 p.
90 € / ISBN 978-90-74461-78-8
     
 註44    Cumont, 184, n.4
     
 註45    omnia animantium corpora et concepta procreat et generata dissolvit、(Firmicus Maternus, "De Errore", IV, I, 1) フィルミクス・マテルヌスは四世紀のラテン著述家。330年頃に八巻の天体論を著した。
     
 註46    supra lunam sunt aeterna omnia. (Cicero, "De Republica", VI, 17, 17)
     
 註47    Plutarchus, "De facie in orbe lunae", 942 f.
     
 註48    ibid. 944 f.
     
 註49    ibid. 945 c d
     
 註50    Frazer, "The belief in immortality", Vol. I, 65 sq. ; "Folklore in the Old Testament", I, 52 - 65
     
 註51    Frazer, "The belief in immortality", Vol. I, 66 sq.
     
 註52    "Luna per omnes menses nascitur, crescit, perficitur,, minuitur, consumitur, innovatur. Quod in luna per menses, hoc in resurrectione semel in toto tempore." (Sermo 361, "De resurrectione" ; P. L. , 39, col. 1605 ; cf. Cumont, op. cit. 211, n.6
     
 註53    Wilhelm Schmidt, "Der Ursprung der Gottesidee", vol. III, p. 757 sq.
     
 註54    Carl Philipp Hentze, "Mythes et symboles lunaires", 15 s.
     
 註55    Wilhelm Schmidt, "Der Ursprung der Gottesidee", vol. II, p. 235.
     
 註56    Krappe, "La genèse des mythes", III, sq.
     
 註57    "De Iside ", 18
     
 註58    Plutarcus, "De facie", 943 b
     
 註59    Plutarcus, "De facie", 943 d
     
 註60    Giuseppe Tucci, "Tracce di culto lunare in India", p. 424
     
 註61    Giuseppe Tucci, "Tracce di culto lunare in India", p. 425
     
 註62    Mircea Eliade, "Le Yoga", 256 sq.
     
 註63    Hugo Winkler, "Die babylonische Geisteskultur : in ihren Beziehungen zur Kulturentwicklung der Menschheit", Quelle & Meyer, Heidelberg 1907 2e. éd., 1919, p. 117
     
 註64    Wolfgang Schultz, "Zeitrechnung und Weltordnung", p. 89"
     
 註65    Schultz, ibid. ; cf. Helmut Arntz, "Handbuch der Runenkunde", Halle, 1935, p. 232 sq.
     
 註66    Franz Dornseiff, "Das Alphabet in Mystik und Magie", Leipzig 1922, p. 34



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