ピグマリオーン ― オウィディウス 「メタモルフォーセース」(変身) 第十巻 220 - 297行
Pygmalion (Πυγμαλίων) - Ovidius, "Metamorphoses" Liber X, 220 - 297




(上) 金属版インタリオ 「ピグマリオン」("PIGMALION")  中性紙にインク 141 x 96ミリメートル 版元不詳 十九世紀 当店の商品です。


 オウィディウス (Publius Ovidius Naso, 43 B.C. – c. 17 A.D.) は「メタモルフォーセース」(Metamorphoses 「変身」)第十巻において、キプロスの工匠(彫刻師)ピグマリオーンの物語を謳っています。この物語は非常に古くから存在していた変身譚を改変し、文学作品としたもので、オウィディウスの独創ではありません。しかしながらピグマリオーンの物語が今日広く知られるのは、ひとえにオウィディウスのお蔭です。


 「メタモルフォーセース」第十巻は、オルフェウスが謳う詩がその内容となっています。ピグマリオーンの物語は、「メタモルフォーセース」第十巻、第 243行から 297行で謳われていますが、これに先行する第 220行から 242行では、ピグマリオーンが住むキプロスで起こった別の二つの変身譚、すなわちケラスタエ(CERASTAE)とプロポエティデス(PROPOETIDES)の物語が語られます。このうちプロポエティデス(PROPOETIDES)の物語は、ピグマリオーンが現実の女性を厭うようになった理由付けの役割を果たしており、これに続く部分と内容的に関連します。

 本稿では「メタモルフォーセース」第十巻の舞台がキプロスに移った第 220行から、ピグマリオーンの物語が終る第297行までを全訳して示します。オウィディウスの作品は韻文ですが、筆者(広川)の和訳はラテン語の意味を正確に伝えることを主眼としたため、韻文になっていません。文意が伝わり易くするために補った語句は、ブラケット [ ] で示しました。


   220   At si forte roges fecundam Amathunta metallis
an genuisse uelit Propoetidas, abnuet aeque
atque illos gemino quondam quibus aspera cornu frons erat ;
    ところで金属[の鉱石]が豊富なアマトゥース(註1)のことをもしもあなたが問うのであれば、
[この町は]プロポエトゥスの娘たちを生んだことを恥じていることであろう(註2)。あるいはそれと同様に、
かつて額に二本の角が生えた彼(か)の者たちも、[アマトゥースは]拒むであろう(註3)。
         
   223  unde etiam nomen traxere Cerastae.
Ante fores horum stabat Iouis Hospitis ara 
    彼の者どもがケラスタエと呼ばれるのは、次の事ゆえなのだ(註4)。
アマトゥースの入口にヨウィス・ホスペースの祭壇が建っており(註5)、
   225  in luco celebri ; quam siquis sanguine tinctam
aduena uidisset, mactatos crederet illic
lactantes uitulos Amathusiacasque bidentes ;
hospes erat caesus. Sacris offensa nefandis
ipsa suas urbes Ophiusiaque arua parabat
   その場所には多くの人が訪れていた。その祭壇に、もしも誰かが近づき、
それが血で染まっているのを目にしたならば(註6)、そこで奉納され屠殺されたのは
離乳前の子牛たち、あるいはアマトゥースの犠牲羊たちだと信じたであろう(註7)。
[しかし実際は]外国人が殺されたのだ。非道なる生贄に怒った
慈しみ深きウェヌスは、キプロス島にあるご自身の町々も野も
   230  deserere alma Venus. “ Sed quid loca grata, quid urbes
peccauere meae ? quod ” dixit “ crimen in illis ?
Exilio poenam potius gens inpia pendat,
uel nece, uel siquid medium est mortisque fugaeque.
Idque quid esse potest, nisi uersae poena figurae ? ”
   捨て去る気になっておられた(註8)。「それにしても、どの好ましい場所が、[また]私のどの町が、
罪を犯したのであろうか(註9)。その罪は如何なるものであろうか。」と、ウェヌスは語り給うた。
「神を畏れぬ者どもを罰するには、追放と死と、どちらがいっそうふさわしいであろうか(註10)。
あるいはもしも死と追放の中間があれば、それがどのようなものであれ、[その罰し方はどうであろうか。](註11)
そしてそれには、姿を変えさせて罰するしかないであろう。」(註12)
   235  Dum dubitat, quo mutet eos, ad cornua uultum
flexit et admonita est haec illis posse relinqui ;
grandiaque in toruos transformat membra iuuencos.
   彼らをどこまで変えようかと思案しておられるときに、ウェヌスは[彼らの]額の凹凸に目を
留め給うた(註13)。そしてウェヌスは、彼らの額の凹凸角を[角へと成長するままに]残せばよいと思いつき(註 14)、
たいへん大きな体つき[の彼ら]を、獰猛な牡牛に変え給う(註15)。
         
   238   Sunt tamen obscenae Venerem Propoetides ausae
esse negare deam ; pro quo sua numinis ira
    一方でプロポエトゥスの淫蕩な娘たちは、ウェヌスが女神であることを
大胆にも否定した(註16)。このことゆえに、女神の怒りにより、
   240  corpora cum forma primae uulgasse feruntur ;
utque pudor cessit, sanguisque induruit oris,
in rigidum paruo silicem discrimine uersae.
   プロポエトゥスの娘たちは自分の体と美貌を鬻(ひさ)ぐ最初の女たちになったと言われている(註17)。
そしてその結果、[娘たちは]羞恥心を失い、顔の血が固まり、
硬い岩とほとんど違いが無い姿に変えられたのであった(註18)。
         
   243  Quas quia Pygmalion aeuum per crimen agentis
uiderat, offensus uitiis, quae plurima menti
    ピグマリオーンはこの女たちが罪にまみれた生涯を送るのを
目にし(註19)、女の精神に本性的に備わった多くの悪徳を苦々しく
   245  femineae natura dedit, sine coniuge caelebs
uiuebat thalamique diu consorte carebat.
Interea niueum mira feliciter arte
sculpsit ebur formamque dedit, qua femina nasci
nulla potest ; operisque sui concepit amorem.
   思っていたので(註20)、配偶者を持たずに独りで
暮らし、長年、独り寝の夜を送っていた(註21)。
その間、[ピグマリオーンは]雪の如き象牙を驚くべき技で
彫刻して、素晴らしい出来栄えの像とし(註22)、この世に生まれるどのような女も敵(かな)わない
美しい姿を、[その像に]与えた(註23)。そして[ピグマリオーンは]自分が作った像を愛するようになった(註24)。
   250  Virginis est uerae facies, quam uiuere credas,
et, si non obstet reuerentia, uelle moueri ;
ars adeo latet arte sua. Miratur et haurit
pectore Pygmalion simulati corporis ignes.
Saepe manus operi temptantes admouet, an sit
   [像の顔は]本物の乙女そのもので、生きているとしか思えず(註25)、
もしも羞(は)じらいが邪魔をしなければ、動きもしようと思われる。
優れた技が彫り上げた像は、それほどまでに自然な出来栄えである(註26)。
ピグマリオーンは讃嘆し、乙女の像への熱烈な愛を自らの胸の中で味わい尽くす(註27)。
[ピグマリオーンは]両手を像に向かってしばしば伸ばし、
   255  corpus an illud ebur ; nec adhuc ebur esse fatetur.
Oscula dat reddique putat loquiturque tenetque
et credit tactis digitos insidere membris
et metuit, pressos ueniat ne liuor in artus ;
et modo blanditias adhibet, modo grata puellis
   [本物の乙女の]体であるのか、それとも相変わらず象牙であるのかを、何度も触って確かめる(註28)。そしてもはや[乙女の像が]象牙であるとは思わない(註29)。
[像に]接吻を与え、[像からも接吻が]返されたと思う。[像に向かって]話し掛け、[像を]抱く(註30)。
そして像の四肢に触れていると、[自分の]指が[女体の如く柔らかな像に]食い込むように思えてならない(註31)。
[ピグマリオーンは][自分の指で]押さえた[像の]四肢に、青みがかったあざが出ないようにと心配する(註32)。
そして像に向かってその愛らしさを誉めたり、若い女が喜ぶ
   260  munera fert illi, conchas teretesque lapillos
et paruas uolucres et flores mille colorum
liliaque pictasque pilas et ab arbore lapsas
Heliadum lacrimas ; ornat quoque uestibus artus,
dat digitis gemmas, dat longa monilia collo,
   品々を像に贈ったりする(註33)。[たとえば]貝殻、円く滑らかに磨いた宝石、
小さな鳥たち、色とりどりの花々、
百合の花々、色を塗ったビーズ、木から落ち[て見つかっ]た
琥珀[といったものだ](註34)。[ピグマリオーンは][像の]体をあらゆる布地で飾り、
指に宝石[の指輪]を嵌め、首には長い首飾りを懸ける。
   265  aure leues bacae, redimicula pectore pendent.
Cuncta decent ; nec nuda minus formosa uidetur.
Conlocat hanc stratis concha Sidonide tinctis
appellatque tori sociam acclinataque colla
mollibus in plumis, tamquam sensura, reponit.
   片方の耳には幾つもの軽やかな真珠が提がり、胸には何本もの飾り帯が提がっている(註35)。
これらの装いはすべて相応しいものである(註36)。[しかしその一方で、]裸であっても、像が美しいことに変わりはない(註37)。
[ピグマリオーンは]シドンの貝で染められた夜具に、この像と共に寝る(註38)。
そして同衾の妻として話し掛け、[自分たちの]頭を、
[像にも]感覚があるかのように、柔らかな羽根枕で支える(註39)。
         
   270  Festa dies Veneris tota celeberrima Cypro
uenerat et pandis inductae cornibus aurum
conciderant ictae niuea ceruice iuuencae,
turaque fumabant ; cum munere functus ad aras
constitit et timide : “ Si, di, dare cuncta potestis,
   キプロスで最も人出が多いウェヌスの祭礼[の日]が
巡り来た(註40)。そして曲がった角に金を被せられた
何頭もの若い牝牛が、真っ白な頸部を打たれて倒れ、
乳香が煙った(註41)。[ウェヌス女神への]務めを果たし終えたとき、[ピグマリオーンは]祭壇の傍に
立ち、遠慮がちに[祈る](註42)。「神よ。もしも全てを与えることがお出来になるのであれば、
   275  sit coniunx, opto”, non ausus « eburnea uirgo »
dicere, Pygmalion « similis mea » dixit « eburnae ».
   妻が象牙の乙女に似ていることを、私は願います。」とピグマリオーンは言った。
「[妻が]象牙の乙女[であることを、私は願います。]」と言う大胆さは無かったのである(註43)。
         
   277   Sensit, ut ipsa suis aderat Venus aurea festis,
uota quid illa uelint et amici numinis omen,
flamma ter accensa est apicemque per aera duxit.
   優れた女神ウェヌスはご自身の祭礼に御(おん)みずから臨在しておられたので、
それらの祈りが何を求めているのかを感じ取り給うた(註44)。そして好意的な神の徴(しるし)である
炎は、三たび勢いを増して、空中の高いところまで燃え上がった(註45)。
         
   280  Vt rediit, simulacra suae petit ille puellae
incumbensque toro dedit oscula ; uisa tepere est.
Admouet os iterum, manibus quoque pectora temptat ;
temptatum mollescit ebur positoque rigore
subsidit digitis ceditque, ut Hymettia sole
   [祭礼から家に]戻るや否や、かの男は女[の像]のもとに駆け付け、
枕に寄りかかって接吻した(註46)。[すると、女の像は]温かかった(註47)。
[ピグマリオーンは]顔を再び[像に]近づけ、両手も使って胸の部分を調べる(註48)。
象牙に触れると軟らかく、硬さがなくなっている。[指で押しても]
[像は]動かず、指で押した部分が凹む(註49)。それはちょうど、ヒュメーットスの蜜蝋が太陽の光で
   285  cera remollescit tractataque pollice multas
flectitur in facies ipsoque fit utilis usu.
Dum stupet et dubie gaudet fallique ueretur,
rursus amans rursusque manu sua uota retractat ;
corpus erat ; saliunt temptatae pollice uenae.
   軟かさを取り戻すのに似ている。また親指で[幾度も]捏ねられて多様な
形に変形させられ、使われることで軟らかくなるのにも似ている(註50)。
[ピグマリオーンは]驚き、信じがたいと思いつつ喜びながら、勘違いをしているのかもしれないと恐れる。
[そして]再び[像を]愛し、祈り求めた[女]に自分の手で再び触れる(註51)。
[たしかにそれは][人間の]体であった。親指で触れる血管は、脈打っている(註52)。
   290  Tum uero Paphius plenissima concipit heros
uerba quibus Veneri grates agat ; oraque tandem
ore suo non falsa premit ; dataque oscula uirgo
sensit et erubuit timidumque ad lumina lumen
attollens pariter cum caelo uidit amantem.
   そのときパフォスのヘーロス[であるピグマリオーン]は、まことに、言葉を尽くして、
感謝の祈りをウェヌスに捧げた(註53)。そして遂に[ピグマリオーンは、]
[いまや]作り物ではない口を、自分の口で被う(註54)。すると乙女は与えられた接吻を
感じ取り、顔を赤らめる。そして光に向かって用心深く目を
開き、空と一緒に、自分を愛する者を見る(註55)。
         
   295  Coniugio, quod fecit, adest dea ; iamque coactis
cornibus in plenum nouiens lunaribus orbem,
illa Paphon genuit, de qua tenet insula nomen.
   ウェヌス女神は御自身の業であるこの結婚に力を貸し給う(註56)。そして今や
弦月が満月へと九たび変化させられると、
かの女はパフォスを生んだ。島の名前はその娘に因んでいる(註57)。


【偽アポロドーロスのピグマリオーンと、オウィディウスのピグマリオーン】

 ピグマリオーンについては、偽アポロドーロスの「ビブリオテーケー」("BIBLIOTHECA")第三巻十四章三節にも言及があります。「ビブリオテーケー」のこの箇所によると、フェニキア王キニュラース(Cinyras, Κινύρας)はキプロスに来てパフォス(Paphos, Πάφος)を建設し、キプロスの王のひとりであるピグマリオーンの娘メタルメー(Metharme, Μεθάρμη)と結婚し、二人の息子たち(オクシポロス Oxyporos、アドーニス Adonis)、及び娘たちを得ました。娘たちはウェヌスの怒りを買い、外国人と結婚して、エジプトで死にました。

 偽アポロドーロスが伝える説話とオウィディウスの物語を比べると、内容が大きく異なっています。偽アポロドーロスの伝える説話には、メタルメ―をはじめとするピグマリオーンの子供たちが、この王と彫像の間に生まれたというようなことは全く語られていません。一方オウィディウスにおいて、ピグマリオーンの娘の名前はメタルメーではなくパフォス(Paphos)です。またピグマリオーンの他の子供たちについて、オウィディウスは後日譚を含め、何も語っていません(註58)。それゆえオウィディウスが語るピグマリオーンの物語は、その基層に古来伝わる物語を有しつつも、この詩人による創作の要素が大きいと考えられます。


【人間の女になった像の名前について】

 オウィディウスのテキストは、ピグマリオーンが制作し、ウェヌスの力で人間の女になった像の名前を挙げていません。しかしながらこの女(像)は、美術作品等において「ガラテア」(羅 Galatea 仏 Galatée)と呼ばれています。この女(像)がガラテアと呼ばれるようになったのは十八世紀のことで、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712 - 1778)の「ピグマリオーン」("Pygmalion", 1762)を嚆矢とします(註59)。

 ラテン語「ガラテア」はギリシア語「ガラテイア」(希 Γαλάτεια)に由来する名で、「ガラ」(希 γάλα 乳)を語源とし、「乳のように滑らかで白い肌の女」という意味です。ピグマリオーンが彫った像は白い象牙でできていましたから、ガラテア(ガラテイア)は生命を吹き込まれた象牙の美女にふさわしい名前です。


【ジャン=レオン・ジェローム作 「ピグマリオン・エ・ガラテ」】



(上) Jean-Léon Gérôme, "Pygmalion et Galatée", c. 1890, Huile sur toile, 88,9 x 68,6 cm, Metropolitan Museum of Art, New York


 上の写真はジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824 - 1904)が 1890年頃に描いた油彩画「ピグマリオン・エ・ガラテ」(仏 "Pygmalion et Galatée" 「ピグマリオーンとガラテア」)です。この作品において、ジェロームはピグマリオーンが王であったとする偽アポロドーロスの伝承に従わず、本稿に訳出したオウィディウスの物語(「メタモルフォーセース」 第十巻 243行から 297行)から着想を得てこの作品を描いています。

 ジェロームが描くピグマリオーンは、インディゴで染められた衣を着ています。しかるにインディゴの布は奴隷をはじめ、低い身分の人物が着る衣に使われます。キプロスをはじめとする古代地中海世界において、王の衣が青く染められることは決してありません(註60)。したがってジェロームが描くピグマリオーンは、身分の低い工匠です。彫刻の特技を持つ王が、たまたま作業服を着ている瞬間を描いたものではありません。

 しかるにジェロームはオウィディウスの詩を忠実に絵画化しているわけでもありません。ジェロームの絵で、乙女は白い石材から彫り出されていますが、オウィディウスの原詩では、上に訳出した通り(「メタモルフォーセース」第十巻 247, 248行)、像は「ニウェウム・エブル」(niveum ebur 雪の如き象牙)で彫られています。またピグマリオーンは女の像をベッドに横たえたままウェヌスの祭礼に出かけたのであり、像から人間への変身が起こったとき、女はベッドに横たわっていました。ジェロームは文献学的忠実さよりもむしろ自由な発想を重視して、油彩画「ピグマリオン・エ・ガラテ」を制作していることがわかります。


 なお筆者(広川)がこれまでに目にした全ての絵画作品において、像から生まれた女はオウィディウスが謳うように横たわった状態ではなく、身を起こした状態で描かれています。台座の上に据えられた彫像が女に変身する場面を描いた作品も多く、ジェロームの「ピグマリオン・エ・ガラテ」もその一例です。

 絵画においてこの場面がオウィディウスの詩の通りに描かれない理由を考えるに、ベッドに横たわった裸婦が生命を得た瞬間を描いても、単に眠っていた女が目を覚ましたようにしか見えないからでしょう。オウィディウスの作品は詩であるので、彫像が生身の女に変わってゆく様子を時間を追って描写できます。しかしながら絵画をはじめ視覚に訴える芸術では、変身以前の女が彫像であったことが一見して分からなければなりません。それゆえ女はベッドに横たわらず、身を起こして彫像のようなポーズを取り、しばしば台座の上に描かれるのです。

 上述のジャン=ジャック・ルソー作「ピグマリオーン」("Pygmalion", 1762)において、生命を得た女は像の台座から下りて来ます。ルソーがオウィディウスの原典をこのように改変したのも、女が像であったことを視覚的に明示するためでしょう。十八世紀後半のヨーロッパではルソーの影響力が非常に大きかったこと、註59に書いたように、ルソーの小楽劇がヨーロッパ各国で好評を博したことを考慮すれば、台座上の彫像が生命を得るさまを描いた 1770年代以降の絵画作品には、ルソーが大きく影響していると考えられます。




(上) Raffaello Sanzio, "Il Trionfo di Galatea", c. 1512, Affresco, 295 x 225 cm, la Villa Farnesina, Roma


 ジェロームはガラテアの足下に魚の彫刻を描いていますが、これはオウィディウスが「メタモルフォーセース」 第三巻 730行から 899行に謳っている海のニンフ、美しいガラテアの物語に拠ります。ラファエロがこのガラテアを題材にして、ラ・ヴィッラ・ファルネジーナ(La villa Farnesina)に描いたフレスコ画「ガラテアの勝利」("Il Trionfo di Galatea")は、ルネサンス絵画の名作としてよく知られています。海のニンフであるガラテアはピグマリオーンの物語と無関係ですが、ルソー以降、ピグマリオーンの恋人が「ガラテ」(ガラテア)と呼ばれるようになったゆえに、ジェロームはラファエロの名作に対する敬意を籠めて、自作の油彩「ピグマリオン・エ・ガラテ」に魚を描き加えたのであろうと、筆者(広川)は考えます。




(上) "Augusto di Prima Porta" (dettaglio), c. 20 B. C., marmo bianco, 204 cm, i Musei Vaticani


 あるいは、魚のように見えるこの生き物はイルカかもしれません。「ガラテアの勝利」に描かれた二頭のイルカも魚のようで、「ピグマリオン・エ・ガラテ」の生き物に似ています。イルカはウェヌスの象徴です(註61)。したがって像が生身の女に変じたのが、性愛の女神ウェヌスが起こした奇瑞に他ならないことを、ジェロームはガラテアの足下にイルカを描くことにより示しているとも考えられます。




 註1   アマトゥース(Ἀμαθοῦς, AMATHUS)はキプロス南岸の古代都市。キプロスにおけるウェヌスの聖地として、南西岸のパフォス(Πάφος, PAPHOS)に次ぐ地位にあった。プロポエティデスについては、238 - 242行で言及される。
         
 註2   an genuisse uelit Propoetidas
         直訳 プロポエティデスたちを生んだことを[望ましいこととして]欲しているであろうか。
         この "an" は修辞的用法。「あるいは…であろうか」
         
 註3   abnuet aeque atque illos gemino quondam quibus aspera cornu frons erat ;
         直訳 あるいは、かつてその額が二本の角のせいで滑らかでなかった彼(か)の者たちを、[アマトゥースは]同様に拒むであろう。
         
 註4   unde etiam nomen traxere Cerastae.
         直訳 さらにこのことから、ケラスタエは名前を引いてきたのだ。
          「ケラスタエ」(CERASTAE 複数主格)は「角のあるキプロス人たち」を指す固有名詞で、「ケラステース」(CERASTES)に由来する。「ケラステース」はギリシア語の形容詞「ケラステース」(κεράστης 「角がある」の意)をそのままラテン語に借用した語である。
          traxere = traxerunt 直説法完了三人称複数
         
 註5   Ante fores horum
         直訳 この者たちの戸口の前に
         ヨウィス・ホスペース(IOVIS HOSPES)は、外国人を温かく迎えて守護するヨウィス、すなわち外国人の守護神としてのユピテルを指す。ゼウス・クセニオス(Ζεύς Ξένιος)に同じ。
          in luco celebri 人がよく訪れる場所に
         
 註6   quam siquis sanguine tinctam aduena uidisset,
         直訳 近づかれたその祭壇が、血で染められているのを、もしも誰かが見たとすれば、
         siquis = si quis
         
 註7   mactatos crederet illic lactantes uitulos Amathusiacasque bidentes
         直訳 離乳前の子牛たち、あるいはアマトゥースの犠牲羊たちが、そこで奉納され屠殺されたのだと信じたであろう。
          macto, are, avi, atum, v. freq. a. 捧げる、屠殺する
          lacto, are, avi, atum, v. n., v. a. 乳が出る、授乳する;乳を飲む
          vitulus, i, m. dim. 子牛、若駒、アザラシ
          bidens, entis, f. ヒツジ;犠牲獣(特に羊)
         "bidens" (古形 duidens)は、「二歯の獣」、すなわち「歯列が二箇所に分かれている動物」が原意である。羊をはじめ、犠牲獣となる草食の家畜は、下顎の前面に切歯があり、上顎の奥の方と下顎の奥の方に臼歯がある。切歯が生えた下顎の前方と、臼歯が生えた上下顎の後方は、歯が無い領域を間に挟んではっきりと分かれている。
         
 註8   Sacris offensa nefandis ipsa suas urbes Ophiusiaque arua parabat deserere alma Venus.
         直訳 非道なる生贄によって怒らされた慈しみ深きウェヌス自らは、ご自身の町々も、キプロスの野も、捨て去る用意ができていた。
          nefandus = nefarius
          Ophiusius, a, um, adj. キプロスの
         
 註9   loca = loci (pl.)
          peccavere = peccaverunt
         
 註10   Exilio poenam potius gens inpia pendat, uel nece, ...
         直訳 不信仰者は、追放によって、あるいは死によって、[どちらの場合に]いっそう罰を受けるであろうか。
         poenas rei dare/solvere/pendere etc. 或る事の罰を受ける、苦しむ
         この文では exilio(exsilium 追放)と nece(nex 死)がいずれも奪格で並列され、不信仰者を罰して苦しめる手段としての優位性を比較されている。
         
 註11    siquid medium est mortisque fugaeque.
         直訳 もしも何かが死と逃亡の中間であったとすれば、その何かは
         ※ 通常ならば "mortis fugaeque" であるはずのところが、韻律の関係で "mortisque fugaeque" となっている。
         
 註12   Idque quid esse potest, nisi uersae poena figurae ?
         直訳 そしてそれは、もしも変えられた姿という罰でないならば、何であり得るだろうか。
         
 註13   Dum dubitat, quo mutet eos, ad cornua uultum flexit
         直訳 彼らをどこまで変えようかと思案しているときに、[ウェヌスは]額の凹凸へと顔を向けた。
         
 註14  et admonita est haec illis posse relinqui 
         直訳 そして[ウェヌスは]、これらの角が彼らに残され得るということを思い起こさせられた。
         
 註15  grandiaque in toruos transformat membra iuuencos.
         直訳 そして[ウェヌスは]、いっそう大きな彼らの体を、獰猛な若い牡牛へと変え給う。
         grandia membra いっそう大きな体を
 ※ "grandia" は "grandus" の比較級 "grandior" の中性複数対格形。「アマトゥース人たちが有する、普通の人よりも大きな体を」の意。
         
 註16   Sunt tamen obscenae Venerem Propoetides ausae esse negare deam
         直訳 しかるに淫蕩なプロポエティデスはウェヌスが女神であることを大胆にも否定した。
         audeo, ere, ausus sum, v. a., v. n. 大胆にも~する
         上の文を散文の語順に並べ替えれば、"tamen obscenae Propoetids Venerem deam esse ausae sunt."
         プロポエティデス(PROPOETIDES, Προποιτίδες 221行に初出)とは、「プロポエトゥス(PROPOETUS)の娘たち」の意。この娘たちに言及している古代文学者は、オウィディウスのみである。オウィディウスはこの箇所において、女の形に見えるキプロスの奇岩の神話的由来をウェヌスに関連付けて語り、やはりキプロスにおいてウェヌスの力により起こったピグマリオーンの変身物語への繋ぎとしている。
         
 註17  pro quo sua numinis ira corpora cum forma primae uulgasse feruntur
         直訳 このことゆえに、女神の怒りにより、[プロポエトゥスの娘たちは]最初の女たちとして、美貌とともに自分たちの体を、世人に委ねたと言われている。
        上の文を散文の語順に並べ替えれば、"pro quo, numinis ira, [propoedes] primae sua corpora cum forma primae vulgasse feruntur."
         "numinis ira" は奪格。"feruntur" の主語は "propoetides" で、ここでは省略されている。"primae" は省略された "propoetides" と同格の主語。
         "fero" は対格主語と不定詞を伴い、"ferunt"(= ”they say”, „man sagt“, «on dit» 誰それが~すると人々は言う)の形でよく使われる。しかしながらこの箇所のように受動相("ferunt")の場合は、主格と不定詞を伴い、「誰それが~すると言われる」の意。後者、すなわち "fero" が受動相を取る場合、「~する」と「言われる」の主語は同じで、主格に置かれた「誰それ」である。
         "figura" は「姿、形」だが、特に「整った形」「美貌」を含意する。オウィディウスが語るプロポエティデスの説話は、アシュタルテ(アフロディーテー、ウェヌス)に仕える神殿娼婦の起源を、神話的に説明したものと言える。
         
 註18   utque pudor cessit, sanguisque induruit oris, in rigidum paruo silicem discrimine uersae.
         直訳 その結果、羞恥心が後退した。そして顔の血が固まった。[プロポエティデスは]わずかな差異を以て硬い岩に変えられた。
         induresco, ere, durui, v. inch. n. 固まる、硬化する
         silex, licis, m. (f.) 岩、火打石
         この文の動詞はいずれも完了形。文末に "sunt" が省略されている。
         
 註19   Quas quia Pygmalion aeuum per crimen agentis uiderat
         直訳 ピグマリオーンはこの女たちが罪を通して生涯を為しているのを見ていたので
         "agentis" は "quas" と同格。現在分詞はイー(i)幹であるから、複数対格の語形は "agentes" でも "agentis" でもよい。ここでは後者の語形になっている。
         
 註20   offensus uitiis, quae plurima menti femineae natura dedit,
         直訳 [ピグマリオーンは]ナ―トゥーラが女の精神にふんだんに与えた諸々の悪徳によって立腹させられていた。
         "plurima"("plurimum" の複数対格)は、"quae [vitia]" と同格。オウィディウスによると、ナートゥーラ(生み出す力、ピュシス)が女の精神に諸々の悪徳をふんだんに与え、それが女の自然本性(ナートゥーラ)となったのである。
         
 註21   sine coniuge caelebs uiuebat thalamique diu consorte carebat.
         直訳 配偶者を持たずに独りで暮らし、寝台においても長いあいだ[寝床を]分かち合う人を欠いていた。
         "consors"は、「運命(sors)を共にする人」が原意。文脈により、関与者、協力者、兄弟、姉妹等とさまざまに訳せる。ここでは寝床を分け合う妻、あるいは性交の相手のこと。
 なおラテン語 "consortio", "consortium" は "consors" の派生語である。近代語 "consort"(女王の夫)の語源がラテン語 "consors" であることは、言うまでもない。
         
 註22   Interea niueum mira feliciter arte sculpsit ebur
         直訳 その間、[ピグマリオーンは]雪の如き象牙を驚くべき技で巧みに彫刻した。
         "feliciter" はここでは動詞 "sculpsit" を限定する副詞。逐語的直訳文では "feliciter" を「巧みに」と訳したが、文全体としては「彫刻した結果が上出来(felix)であった」という意味である。
         
 註23  formamque dedit, qua femina nasci nulla potest
         直訳 そして[美しい]姿を[その彫像に]与えた。どのような女も、その美しい姿で生まれることはできない。
         "forma" は「形」だが、美しさを含意する。
         
 註24  operisque sui concepit amorem.
         直訳 そして[ピグマリオーンは]自分の労作に対する愛を抱いた。
         印欧語において、心的作用の対象はしばしば属格に置かれる。ここでも愛(amor)が向かう対象を属格(operis sui)で表している。
         opus, operis, n. 作業、仕事;作ったもの  ※ サンスクリット語 "ap-as"、ドイツ語 "üben" と同根。
         concipio, pere, cepi, ceptum, v. a. 懐胎する
         
 註25   Virginis est uerae facies, quam uiuere credas,
         直訳 [像の顔は]本物の乙女の顔だ。[もしもあなたが見るならば、]その顔が生きていると信じるであろう。
         
 註26   ars adeo latet arte sua
         直訳 アルスは自身の業によってこれほどまでに隠れるのだ。
         adeo adv. この程度まで、これほどまでに
          ピグマリオーンが有する彫刻の技術が、完成した作品において、人工の産物であることを露見させるような不自然さをまったく感じさせない域に到達していることを言っている。
         
 註27   Miratur et haurit pectore Pygmalion simulati corporis ignes.
         直訳 ピグマリオーンは讃嘆し、模造された身体に対する情熱を、胸において汲み尽くす。
          「模造された身体」(simulatum corpus)とは、乙女の像のこと。"ignes" はここでは「情熱」の意であり、情熱の対象である「模造された身体」は属格に置かれている。
         
 註28   Saepe manus operi temptantes admouet, an sit corpus an illud ebur.
         直訳 [ピグマリオーンは]触れて試そうとする両手を像に向けてしばしば動かす。[人間の]肉体であるのか、それとも先述の象牙であるのか[を試そうとして]。
         tempto = tento, are, avi, atum, v. freq. a. 何度も触る、繰り返し触る  ※ 時に「試すために触る」、「試しに触ってみる」の意。
         
 註29   nec adhuc ebur esse fatetur.
         直訳 [ピグマリオーンは][乙女の像が]象牙であるとはもはや認めない。
         
 註30    Oscula dat reddique putat loquiturque tenetque
         直訳 [ピグマリオーンは][像に]接吻を与える。そして[接吻が]返されたと思う。[像に向かって]話し掛け、[像を]抱く。
          文頭の "oscula" は "dat" の直接補語でもあり、"reddi" の対格主語でもある。
         
 註31   et credit tactis digitos insidere membris
         直訳 そして四肢が触れられると、[自分の]指が[女体の如く柔らかな像に]食い込むと信じる。
         "tactis mambris" は絶対的奪格。「四肢を触れ合って」とは、すなわち「体を重ねて」、「抱き合って」の意。
         insido, ere, sedi, sessum, v. a., v. n. (cum dat. vel in re)座る、腰を落ち着ける;根付く、固着する、場所を占める
         
 註32   et metuit, pressos ueniat ne liuor in artus.
         直訳 [ピグマリオーンの指で]押さえられた[像の]四肢に、青みがかったあざが出ないようにと心配する。
         metuo, ere, metui, metutum, v. n., v. a. 恐れる、怖がる、懸念する、警戒する
         livor, oris, m. 暗青色の斑や傷;嫉妬
         artus, us, m. 関節;(pl. で)四肢
         
 註33   et modo blanditias adhibet, modo grata puellis munera fert illi.
         直訳 そしてあるいは喜ばせることを言い、あるいは若い女たちが好む贈り物を像にもたらす。
         blanditia, ae, f. 追従、魅惑、愉快、美味
         gratus, a, um, adj. 気に入りの、可愛い、好ましい、有難い、(alci, in/erga alqm.とともに)恩義を感じている
         munus, neris, n. 義務、責任、賦課;業績、成果;好意、親切;贈り物、捧げ物
         
 註34   conchas teretesque lapillos et paruas uolucres et flores mille colorum liliaque pictasque pilas et ab arbore lapsas Heliadum lacrimas
         直訳 [若い女たちが好む贈り物とはすなわち]貝殻、円く滑らかに磨いた宝石、小さな鳥たち、色とりどりの花々、百合の花々、色を塗ったビーズ玉、木から滑り落ちたヘーリアデスの涙である。
         concha, ae, f. 貝、貝殻、貝紫、小箱
         tero, ere, trivi, tritum, v. a. 擦る、研磨する、すり減らす、疲れさせる、頻用する、浪費する
         teres, retis, adj. 楕円形の、円く磨いた、滑らかな
         lapillus, i, m. dim. 小さな石、宝石
         volucer, cris, cre, adj. 飛ぶ、有翼の、速やかな、逃げ去る、儚い、不安定な
         volucris, is, f. (m.) 鳥
         pila, ae, f. 球
         Helladum lacrimae ヘーリアデスの涙
          ヘーリアデス(Ἡλιάδες 「へ―リオスの子ら」の意)は太陽神ヘーリオス(Ἥλιος )がクリュメネー(Κλυμένη)との間に儲けた娘たちで、ファエトーン(Φαέθων)の姉妹に当たる。
 オウィディウスの「メタモルフォーセース」第二巻 340 - 366行によると、ヘーリオスの息子ファエトーンが父の馬車を御し損ね、ゼウスが止むなくファエトーンを撃ち落としたとき、ヘーリアデスは嘆きのあまり木に変じた。また母が娘たちを救おうとしても甲斐なく、娘たちが変じた木の枝からは涙がしたたり落ちて、琥珀となった。
         
 註35   ornat quoque uestibus artus, dat digitis gemmas, dat longa monilia collo, aure leues bacae, redimicula pectore pendent.
         直訳 [ピグマリオーンは][像の]四肢をあらゆる布地で飾り、[像の]指に宝石を与え、[像の]首には長い首飾りを与える。片方の耳には幾つもの軽やかな真珠が提がり、胸には何本もの飾り帯が提がっている。
         monile ,is, n. 首飾り
         baca, ae, f. 漿果、オリーヴの実、真珠
         redimiculum, i, n. 飾り帯、リボン、腕輪
         
 註36   Cuncta decent.
         直訳 すべてが適切である。
         
 註37   nec nuda minus formosa uidetur.
         直訳 裸の像がより少なく美しいようには見えない。
         
 註38   Conlocat hanc stratis concha Sidonide tinctis
         直訳 [ピグマリオーンは]シドンの貝で染められた夜具に、この像を[自分と]共に置く。
         Sidonis, idis, adj. シドンの
         Sidonis concha 貝紫を採るアクキガイ科の貝、シリアツブリボラ(Bolinus brandaris, Linnaeus, 1758)のこと。この貝の鰓下腺(パープル腺)から採れる粘液を日光に曝して、深紅の染料(貝紫)を得る。シリアツブリボラは、ティルス、シドンに産する。
         sterno, ere, stravi, stratum, v. a. 打ち倒す、平らにする、舗装する、まき散らす、蔽う
         stratum, i, n. 蔽い、夜具、寝床
         
 註39    appellatque tori sociam acclinataque colla mollibus in plumis, tamquam sensura, reponit.
         直訳 そして同衾の妻[である像]に話し掛け、[自分たちの]頭を、あたかも感覚があるかのように、柔らかな羽根のうちに寄り掛からせて置く。
         torus, i, m. 長枕、クッション、寝床、性交
         "sensura" は "sentio" の未来分詞中性複数対格。"colla" と同格に置かれている。なお "collum" には「頭部」と「頸部」の二つの意味があるが、ここでは前者の意味で使われている。
         
 註40   Festa dies Veneris tota celeberrima Cypro uenerat
         直訳 キプロスで最も人出が多いウェヌスの祭礼が来た。
         "festa ... tota celebrissima" について。ここで使われている主格 "tota" は、性・数が文の主語と一致し、「まったく…であるS(主語)は」の意。ここでは "celebrissima" を強めている。"totus/tota/totum/toti" は形容詞だが、この用法の場合は「まったく…」と副詞のように訳せる。
         
 註41   et pandis inductae cornibus aurum conciderant ictae niuea ceruice iuuencae, turaque fumabant
         直訳 そして曲がった角において金を被せられた若い牝牛たちが、雪のような頸部において打たれ、倒れた。そして乳香が煙った。
         pandus, a, um, adj. 曲がった
         induco, ere, duxi, ductum, v. a. 着せる
         juvencus, m. 若い牛
         juvenca, f. 若い牝牛
         concido, ere, cidi, v. n. 倒れる、戦死する、没する
         ico, re, ici, ictm, v. a. 打つ
         rys, turis, n. 乳香
         
 註42   cum munere functus ad aras constitit et timide
         直訳 [ウェヌス女神への]務めを果たし終えたとき、[ピグマリオーンは]祭壇の傍に立ち、遠慮がちに[祈る]。
         fungor, gi, functus sum, v, dep. 実行する、果たす、執り行う(cum abl. vel acc.)
         
 註43   "Si, di, dare cuncta potestis, sit coniunx, opto", non ausus "eburnea uirgo" dicere, Pygmalion " similis mea" dixit "eburnae."
         直訳 「神よ。もしも全てを与えることがお出来になるのであれば、妻が象牙の乙女に似ていることを、私は願います。」とピグマリオーンは言った。「[妻が]象牙の乙女[であることを、私は願います。]」と言う大胆さが無かったのである。
         分かりやすい語順に並べ替えると、"Si, di, dare cuncta potestis", Pygmalion dixit, "opto ut sit conjunx mea similis eburnae [virgini]." Non ausus est Pygmalion dicere "[ut sit conjunx mea] eburnea virgo."
         opto, are, avi, atum, v. a. 望む、求める
         
 註44  Sensit, ut ipsa suis aderat Venus aurea festis, uota quid illa uelint
         直訳  黄金のウェヌスはご自身の祭礼に御(おん)みずから臨在しておられたので、それらの祈りが何を求めているのかを感じ取り給うた。
         votum, i, n. 祈願、願望、要求、結婚の誓い、結婚
         この文の "aurea"(aureus 黄金の)は、材質や色ではなく、身体的・精神的卓越性を表す。"Venus aurea"("aurea Venus")という表現は、ウェルギリウス、ホラティウス、ルクレティウス等にも見られる。
         
 註45    et amici numinis omen, flamma ter accensa est apicemque per aera duxit.
         直訳 そして好意的な神の徴(しるし)である炎は、三たび勢いを増して、頂点を空中を通して導いた。
         amicus, a, um, adj. 愛を示す、好意的な ※ "amo" と同根。
         amicum numen 好意的な神 ※ ここではピグマリオーンに味方するウェヌスのこと
         accendo, ere, cendi, censum, v. a. 火を点ずる、明るくする、熱する、刺激する、高める  ※ ここでは祭壇にもともと燃えていた燔祭の火が、三たび明るさと熱さを増したのである。
         
 註46    Vt rediit, simulacra suae petit ille puellae incumbensque toro dedit oscula
         直訳 [祭礼から家に]戻るや否や、かの男は自分のものである若き女のもとに駆け付け、枕に寄りかかって接吻を与えた。
         incumbo, ere, cubui, cubitum, v. n. (cum dat.)横たわる、寄りかかる;身を投ずる、めがけて突進する
          ピグマリオーンは女の像をベッドに横たえたまま、ウェヌスの祭礼に出かけたのである。
         
 註47    uisa [puella] tepere est.
         直訳 [像は]温かいのが見られた。
         tepeo, ere, pui, v. n. 生温かい:惚れている;よそよそしい
         
 註48    Admouet os iterum, manibus quoque pectora temptat
         直訳 [ピグマリオーンは]顔(または、口)を再び近づける。そして両手も使って、[像の]胸を調べる。
         quoque, adv. …もまた
         tempto, are, avi, atum, v. a. 触る、掴む、調べる、試験する、誘惑する
         
 註49   temptatum mollescit ebur positoque rigore subsidit digitis ceditque,
         直訳 触れられた象牙は軟らかくなり、硬さが取り除かれて、[指で押されても][押しのけられずに]元の位置にあり、指に道を譲る。
         ebur, eboris, n. 象牙、象牙細工
         pono, ere, posui, positum, v. a. 脱ぐ、取り除く
         subsido, ere, sedi, sessum. v. n., v. a. 座る、定着する、待ち伏せる、残る、留まる
         像を指で押した際に、像の表面が固くて柔軟さが無ければ、像が向こうへと押しのけられる。しかるに像が人体のように軟らかであれば、押した部分が凹んで指先が沈むだけで、像が押しのけられることはない。像が「元の位置に留まり、指に道を譲る(指に負ける、指で押さえると凹む)」(subsidit digitis ceditque)との詩句は、このような状態を指す。
         
 註50    ut Hymettia sole cera remollescit tractataque pollice multas flectitur in facies ipsoque fit utilis usu.
         直訳 ちょうどヒュメーットスの蜜蝋が太陽によって再び軟化し、さらに親指で[幾度も]捏ねられて多様な形に変形させられ、また使用そのものによって使い易くなるように。
         Hymettus/Hymettos, i, m. ヒュメーットス山(Ὑμηττός)。アテネ近郊にある標高 1,026メートルの山で、蜂蜜と大理石を産する。(Plinius, "Naturalis Historia", liber iv, caput 7, sectio 11)
         Hymettius, a, um, adj. ヒュメーットスの
         cera, ae, f. 蝋、蝋の封印、蝋人形、蝋石盤
         tracto, are, avi, atum, v. freq. a. [traho] 引きずり回す、手で触れる、取り扱う、熟考する、論ずる
         pollex, licis, m. 親指、インチ  pollice utroque laudare 無条件に称賛する
         in multas facies flectitur 多くの(i. e. さまざまな)外観に変形させられる
         et fit utilis ipso usu 使われることで[さらに]使い易くなるように
         ここで「使い易くなる」(fit utilis)というのは、蜜蝋が繰り返し捏ねられて柔らかさを増すことを指している。ウェヌスの祭礼から帰宅したピグマリオーンが像を触れば触るほど、像の軟らかさが増したのである。
         
 註51    Dum stupet et dubie gaudet fallique ueretur, rursus amans rursusque manu sua uota retractat
         直訳 [ピグマリオーンは]驚き、信じがたいと思いつつ喜びながら、思い違いをしていることを恐れる。[そして]再び[像を]愛し、祈り求めたもの[である女]に自分の手で再び触れる。
         falli 間違う、思い違いをする ※ "fallo"の受動相不定詞
         vereor, eri, veritus sum, v. dep. 恐れる
          この文で複数形 "vota" が使われているのは、韻律を調整するため、あるいはピグマリオーンの願いの強さを表すためであろう。
         
 註52    saliunt temptatae pollice uenae.
         直訳 親指で[触って]調べられた血管は、脈打っている。
         salio, ire, salui/salii, saltum, v. n., v. a. 跳ぶ、跳ねる、踊る
         
 註53    Tum uero Paphius plenissima concipit heros uerba quibus Veneri grates agat.
         直訳 そのときパフォスのヘーロスは、まことに、ウェヌスに感謝する最高度に無欠の言葉を荘重に唱えた。
         heros, ois, m. 英雄、半神  ※ ギリシア語ヘーロース(ἥρως)を外来語としてラテン語に移入したもの。ただしラテン語ヘーロス(heros)は単数主格のウルティマが短母音である。
         古典古代の都市国家では、その都市の創設者が半ば神格化され、ヘーロスとして崇拝された。オヴィディウスによると、キプロスの都市名パフォスはピグマリオーンの娘の名に因む。それゆえピグマリオーンは都市の創設者に準ずる地位にある。この箇所でオウィディウスがピグマリオーンを「パフォスのヘーロス」(Paphius heros)と呼ぶのは、この理由による。
         vero, adv. 真に、実に、確かに;つまり;しかし
         concipio, pere, cepi, ceptum, v. a. まとめて述べる、定式に表す、型通りに布告する、荘重に通告する
         
 註54    oraque tandem ore suo non falsa premit
         直訳 そして遂に[ピグマリオーンは、][いまや]偽りではない口を、自分の口で被う。
         ピグマリオーン自身の口は単数形(ore suo)であるが、像の口は韻律の関係で複数形(ora)になっている。
         tandem, adv. 遂に
         premo, ere, pressi, pressum, v. a. 押さえる、圧迫する、被う、包む、埋める
         
 註55    dataque oscula uirgo sensit et erubuit timidumque ad lumina lumen attollens pariter cum caelo uidit amantem.
         直訳 すると乙女は与えられた接吻を感じ取り、顔を赤らめる。そして光に向かって用心深い光(眼光)を揚げ、空と一緒に、自分を愛する者を見る。
         lumen, minis, n. 眼光、眼 
         attollo, ere, v. a. 揚げる、高める、築き上げる、造り上げる、引き起こす
         古典古代から中世までの科学思想では、眼から投射される眼光によって視覚が成立すると考えられていた。オウィディウスはこの説に基づき、彫像が目を開くときの様子を、「用心深い光を揚げつつ」(timidum lumen attollens)と表現している。
 眼光によって視覚が成立するという考えは、現代人から見ると非常に奇妙に思える。もしも眼が光を発しているならば、夜間に物を見ようとしている人や動物の眼から、光が投射される様子が観察できなければならない。しかしながらこの説を採る立場から見れば、夜行性動物のタペタム(照膜)が外からの光をよく反射する様子は、動物の眼そのものが光を発しているように見えたことであろう。
 夜行性動物であるは、タペタムの反射光ゆえに、しばしば「光」や「叡智」の象徴とされる。アポッローン(アポロン Ἀπόλλων)のエピセットのひとつである「リュケイオス」(Λύκειος)は「狼の」という意味であるが、筆者(広川)の考えでは、これはおそらくアポッローンの叡智、あるいは太陽神アポッローンの光が、狼と関連付けられたためであろう。
         pariter cum ... …と一緒に
         
 註56    Coniugio, quod fecit, adest dea 
         直訳 女神は[御自身が]創り給うた[ピグマリオーンと像の]結合に対して、傍に居給う。
         conjugium, i, n. 連結、結合、結婚、夫婦関係、妻、愛人
         assum, adesse, affui, v. n. そばにいる、現れる、与(あずか)る、協力する、味方する、助力する
         
 註57    iamque coactis cornibus in plenum nouiens lunaribus orbem illa Paphon genuit, de qua tenet insula nomen.
         直訳 そして今や、[弦月の]角が欠けるところ無き円へと九たび変化させられると、かの女はパフォスを生んだ。その娘から、島が名付けられている。
         cornu, us, n. 角(つの)、弦月の尖端、支流、支脈、岬
         cogo, ere, coegi, coactum, v. a. 駆り立てる、強いる
         lunaribus cornibus in plenum orbem noviens coactis [弦月の]角が欠けるところが無い円へと九たび変化させられると ※ 絶対的奪格を用いた句
         noviens, adv. num. 九回、九倍
         
 註58  オウィディウスはピグマリオーンの社会的地位に言及しておらず、ピグマリオーンが王であったとする偽アポロドーロスとの間には、この点に関しても不一致が見られる。ただしオウィディウスは、第 290行においてピグマリオーンを「パフォスのヘーロス」(Paphius heros)と呼び、都市国家の歴史における重要な地位をピグマリオーンに与えている。
         
 註59  ルソーの「ピグマリオーン」(1762年頃)は音楽付きのごく短い劇で、ピグマリオーンとガラテア(ガラテ Galatée)だけが登場する。音楽はルソー自身、及びリヨンの音楽家オラス・コワニェ(Horace Coignet, 1735/36 - 1821)による。この作品は 1770年にリヨンで初演された後、1772年3月にパリのオペラ座、1775年にコメディ=フランセーズでも上演され、人気を博した。またイタリア(1773年)、ドイツ(同)、イギリス(1777年)においてもフランス語から訳されて紹介され、好評を得た。「ピグマリオーン」のスコアは長らく失われていたが、1995年に再発見され、翌 1996年12月31日にミラノのカーザ・リコルディから出版されている。
 "Pygmalion / Jean-Jacques Rousseau, Horace Coignet . Pimmalione / Simeone Antonio Sografi, Giovanni Battista Cimador ; edizione dei libretti, saggio introduttivo a cura di Emilio Sala" (Drammaturgia musicale Veneta 22), Ricordi, Milano, 1996, ISBN 8875925003
         
 註60 このことは別稿「青の歴史」で論じた。
         
註61 ヴァティカノ美術館が収蔵する大理石像「プリマポルタのアウグストゥス」("Augusto di Prima Porta", c. 20 B. C., marmo bianco, 204 cm, i Musei Vaticani)には、アウグストゥスの足下に、プットを乗せた小さなイルカが添えられている。このイルカは、アウグストゥスがウェヌスの後裔であることを示している。



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