シャルル・ピレ
Charles Pillet, 1869 - 1960






 シャルル・ピレ (Charles Philippe Germain Aristide Pillet, 1869 - 1960) は典雅なアール・ヌーヴォー様式の作品群で知られるメダイユ彫刻家です。アール・デコの影響は、かなり後期の段階でようやく見られるようになります。


【シャルル・ピレの略歴】

 シャルル・ピレは 1869年7月20日、パリに生まれました。1885年、パリの国立装飾美術学校 (l'École nationale supérieure des Arts Décoratifs, l'EnsAD, "Les Arts déco") に入学しますが、翌年国立装飾美術学校 (l'École nationale supérieure des Beaux-Arts) に移って、立体彫刻をシャピュ (Henri-Michel-Antoine Chapu, 1833 - 1891) に、メダイユ彫刻をシャプラン (Jules-Clément Chaplain, 1839 - 1909) に学びます。

 1890年にローマ賞メダイユ部門のグランプリを獲得しました。サロンへの初出展はローマ留学から戻った後で、1895年に三等、翌96年に二等、1905年に一等のメダルを獲得しています。ピレの作品は1900年のパリ万博でも高く評価され、銀メダルを獲得しました。1911年にはレジオン・ドヌール章シュヴァリエを、1923年にはサロンの名誉賞を得ています。


【有孔コインの逸話】

 第一次世界大戦の勃発をきっかけに、フランス共和国政府は金属の節約につながる有孔コインの導入を決定し、1914年から1946年まで、「ティプ・ランドエ」(Les monnaies du type Lindauer) と呼ばれる一群の硬貨が発行されました。「ティプ・ランドエ」はメダイユ彫刻家エミール・ランドエ (Edmond-Emile Lindauer, 1869 - 1942) がデザインしたもので、フランスの貨幣としてはたいへん珍しい有孔コインです。

 有孔コインの採用が決まり、デザインを決めるコンペティションが行われた 1914年は、財務担当大臣が四回も替わった年でした。コンペティションが開かれたときの大臣が5人のうちの誰であったのか、私は知らないのですが、有孔コインにはシャルル・ピレによるデザインを採用することが決まったまさにその日に大臣が交替し、コンペティションの結果を受けた決定も覆されて、有孔コインのデザインはエミール・ランドエの作品が改めて選ばれました。

 この決定変更にどれだけの影響があったかは分かりませんが、財務担当の官僚が新聞記者やカメラマンを伴ってシャルル・ピレのアトリエを訪れてコンペティションの優勝を伝えても、ピレはまったく関心を示さず、それどころか仕事の邪魔だと言って、訪れた人たちを全員追い出したと伝えられています。

 シャルル・ピレにとって、いったん完成した仕事は既に関心の外にあり、ピレの全身全霊は、次に手掛ける仕事に向けられていたということがよくわかる逸話です。社会的な名誉よりも芸術を追求する姿勢は、芸術家としての天性をうかがわせる半面、大人げない無礼な態度と批判されても仕方がないでしょう。この事件以後、シャルル・ピレのもとにフランス政府からの依頼が来ることはなくなってしまいました。



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