【原画の作者について】
ポール・ドラロッシュ(Paul Delaroche, 1797 - 1856)はフランスの画家・彫刻家です。
ダヴィドの弟子である画家 グロ(Antoine-Jean Gros, 1771 - 1835)のもとで学び、1822年のサロン展に「十字架降架」と「ヨアシュを救うエホシェバ」
を出品しました。「ヨアシュを救うエホシェバ」はジェリコーに絶賛されています。この同じサロン展にはドラクロワの「地獄におけるダンテとヴェルギリウス」も出展されていましたが、ドラロッシュの作品はドラクロワに比べると新古典主義的色彩が強く、グロの強い影響が認められます。
ドラロッシュは1830年にパリ市役所に飾る大作「バスティーユ襲撃」を制作しましたが、この作品はパリ・コミューンのときに焼失しました。
ドラロッシュの代表作は 「若き殉教者」(1855年、カンヴァスに油彩、170 x 148 cm、ルーヴル美術館蔵)です。
(下) Paul Delaroche, "La jeune martyre chrétienne", 1855, 170.5 x 148 cm, le musée du Louvre, Paris
【この版画のテーマについて】
ドラロッシュの作品「ミリアムとモーセ」("Moïse exposé sur le Nil" 原画の制作年、サイズ、所在とも不明)。パピルスの編みかごに入ってナイル川に浮かんでいる幼児は預言者モーセ、パピルスの陰に隠れてその様子を見ている少女はモーセの姉ミリアムです。
旧約聖書「出エジプト記」一章及び二章によると、当時エジプトに滞在していたイスラエル民族の人口が増えてきたことを脅威に感じたエジプト新王国第19王朝のファラオ(セトス一世あるいはラムセス二世、いずれも紀元前1300年前後)は、新生児が男であれば殺すように、イスラエル民族の助産婦ふたりに命じました。しかし助産婦たちはファラオに背いて男の子を生かしておいたので、ファラオは怒り、イスラエル民族の全ての男児をナイル川で溺殺することを全国民に命じました。
モーセの母はモーセが生後三ヶ月になるまで隠して育てていましたが、もはや隠しきれなくなったので、パピルスのかごに防水処置をして、ナイル河畔のパピルスの茂みに浮かべました。
姉のミリアムがどうなることかと様子を見ていると、ファラオの王女(おそらく側室の娘)が侍女たちを連れて水浴びに来てモーセのかごを見つけ、「可哀想に。これはきっとヘブライ人(イスラエル人)の子です」と言いました。ミリアムは王女に近づいて「ヘブライ人の乳母を連れてきましょうか」と提案して母を連れて来、母はモーセが大きくなるまで「乳母」として彼を育てました。
モーセの姉の名前は出エジプト記一、二章には書かれていませんが、民数記26:59に明示されています。なおミリアムはマリアと同じ名前です。ヘブル語のミリアムがギリシア語風に訛るとマリアになります。
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