コリント最後の日

The Last Day of Corinth


フォトグラヴュア  1870年代

原画の作者 トニー・ロベール=フルリ (Tony Robert-Fleury, 1838 - 1912)

画面サイズ  縦 165 mm  横 246 mm



≪この版画のテーマについて≫

 コリントはギリシア本土を南北に分断するコリント湾の最奥部にある都市です。西のイオニア海と東のエーゲ海をつなぐコリント地峡に位置する交通の要衝であり、古代ギリシア最大の富裕な都市としてホメロスの詩(850 B. C.)にも謳われています。じっさい紀元前350年から 250年の間、コリントはアテネをしのぐ人口と繁栄を誇っていました。

 紀元前2世紀のローマはカルタゴを相手に数次にわたるポエニ戦争を戦います。第3次ポエニ戦争のときに、アカイア同盟の中心都市であったコリントはローマの隙を突いてその支配を脱しようと試みました。ローマは直ちに反撃し、紀元前 146年、ムンミウスに率いられたローマ軍はコリントを攻略、全市を焼き払いました。このフォトグラヴュアは、そのときの様子を描いています。


 美しかったコリントは破壊し尽くされ、すべての建物に火がかけられて燃え盛るなかを、ローマ軍が我が物顔に行軍しています。女性たちは数か所に集められ、奴隷として連行されるのを待ちながら嘆き悲しんでいます。青年男性、壮年男性の姿が見えないのは、ひとり残らずローマ軍に殺されたからです。


 コリントは愛と美の女神アフロディーテー(ヴィーナス)崇拝をはじめさまざまな宗教活動や芸術活動が盛んな都市でした。ローマがコリントで掠奪したおびただしい数の美術品はローマに運ばれ、その美しさでローマ人を驚かせます。

 ムンミウスは美術に関心がある人ではなかったのですが、彼がコリントで掠奪したアリステイデスの絵を、美術品収集家であったペルガモ王アッタロス2世が60万デナリという大金で買い取ったことに驚き、アッタロス2世から絵を無理やり買い戻してローマのケレス神殿に飾りました。これはローマの公共の場に初めて飾られた外国の絵となりました。(大プリニウス「博物誌」35 の24による)


≪原画の作者について≫

 トニー・ロベール=フルリ(Tony Robert-Fleury, 1838-1912)は画家ジョゼフ・ニコラ・ロベール=フルリ(Joseph Nicolas Robert-Fleury, 1797-1890)の息子です。サロン展に初出展した 1866年と翌1867年に続けて入選し、4年後に描いた「コリント最後の日」は最優秀作品として国家に買い上げられ、リュクサンブール美術館に納められました。1873年にはレジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエを受賞、1880年にはリュクサンブール美術館の天井画を描きます。

 ロベール=フルリはフランス美術家協会の総裁を務め、多数の有名な画家を育てました。この作品の原画はオルセー美術館に収蔵されています。


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 本体価格 42,000円

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