ジャン=レオン・ジェローム作 「カエサルの前のクレオパトラ」 特殊技法による高品質フォトグラヴュール 1881年

Cléopâtre devant César / Cleopatra before Caesar


原画の作者 ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérome, 1824 - 1904)


画面サイズ  縦 184 mm  横 140 mm



 「シン・コレ」(仏 chine collé)という特殊な技法で刷られた高品質のフォトグラヴュール。フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームが 1865年頃に描いた油彩「カエサルの前のクレオパトラ」(Cléopâtre devant César, )を、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアにあった版元、ジョージ・バリー(George Barrie)が複製し、1881年に刷った作品です。

 ジェロームの原画は失われており、原画をこのうえなく忠実に再現した本品は、貴重な資料となっています。


《紀元前一世紀のローマについて》

  古代ローマは最初期には王国でしたが、紀元前六世紀末にエトルリア人の王を追放して以来、共和制が敷かれていました。しかし紀元前1世紀にはスパルタクスの乱をはじめ様々な反乱が相次いでローマの混乱は頂点に達し、元老院の権威が低下しました。この状況を背景に、紀元前46年、天下を平定したユリウス・カエサル(Julius Caesar, c.100-44 B.C.)がローマの支配者となります。カエサルの時代、元老院はまだ力を持っていました。しかしカエサルは元老院の権威を無視して独裁に走ったために暗殺されてしまいます。


 カエサルの暗殺後、オクタヴィアヌス(Octavianus, 63 B.C.-14 A.D.)がローマの西半分、アントニウス(Antonius, 82-30 B.C.)がローマの東半分を分担して統治することになりました。こうしてアントニウスはクレオパトラと出会います。ふたりは熱烈な恋愛に陥って結婚し、クレオパトラはアントニウスの子供を三人産んでいます。

 恋愛だけなら良かったのですが、アントニウスは自分が管轄するローマの東部諸州をクレオパトラに(つまりエジプトに)勝手に与えました。またクレオパトラを愛するあまり、もうひとりの妻であったオクタヴィアヌスの姉には見向きもしませんでした。こうしてオクタヴィアヌスとアントニウスの仲は決裂し、紀元前31年、オクタヴィアヌスはアクティウム沖の海戦でアントニウス・クレオパトラの連合艦隊を破りました。これによってプトレマイオス王朝は滅亡し、エジプトはローマ領になりました。

 アントニウスとクレオパトラはアレクサンドリアに逃れました。翌年オクタヴィアヌスがアレクサンドリアに進軍したとき、アントニウスはクレオパトラが死んだという誤報を信じて自殺し、クレオパトラもその後を追うように自殺しました。伝説では毒蛇に乳房を噛ませたと言われています。


 いっぽう凱旋したオクタヴィアヌスはローマ全土に君臨します。オクタヴィアヌス自身は皇帝を名乗りませんでしたが、彼は強力な独裁者であり、実質的には皇帝と見なして差し支えありません。このとき以降、ローマは共和制を捨てて帝国となったのです。


≪この作品のテーマについて≫




 クレオパトラ七世(Cleopatra VII, 69-30 B.C.)はエジプト新王国プトレマイオス朝最後の女王です。父王の死によって、当時十七歳のクレオパトラは十二歳の弟プトレマイオス十三世と結婚し、エジプトの王位を継承します。

 プトレマイオス十三世は王位を独占しようと試みて、姉であり妻であるクレオパトラを在位三年目に王位から追い落としましたが、この頃ローマのユリウス・カエサルが政敵ポンペイウスを追ってアレクサンドリアに進軍してきたので、クレオパトラはカエサルの助けを借り、弟を殺させてエジプトの王位に返り咲きました。

 ふたたびエジプト女王となったクレオパトラは、当時十一歳であった別の弟プトレマイオス十四世と結婚したあと、ローマに行ってカエサルの愛人となり、カエサルの子供を産みました。

 カエサルが暗殺されると、クレオパトラはエジプトの共同統治者である弟プトレマイオス十四世を毒殺し、カエサルとの間にできた息子とともにエジプトを統治します。このすぐ後に、クレオパトラはアントニウスと出会い、アクティウム沖の海戦に敗れた後、アントニウスとともに自殺します。これによってエジプトは滅び、ローマによる地中海全域の支配が完成します。


 ジェロームの作品に描かれているのは、カエサルとクレオパトラが出会うシーンです。当時弟プトレマイオス十三世によってエジプトの王座から追い落とされていたクレオパトラは、カエサルに後ろ盾になってもらいたいと考えていましたが、弟の監視の目があるためにカエサルに近づくことができませんでした。そこで彼女は思い切り刺激的な服装を身にまとって自分を献上品の絨毯に包み込ませ、カエサルの元に運ばせました。そしてカエサルの目の前で広げられた絨毯から姿を現したのです。

 カエサルはこの劇的な出会いでクレオパトラに完全に心を奪われてしまいました。ときにカエサルは五十二歳、クレオパトラは二十一歳でした。


《本品の版画技法について》

 本品の版画技法、すなわち版の制作に使われている技法は、古典的フォトグラヴュールです。これは金属の平版を用いる版画技法で、写真の原理を応用したものですが、明度を無段階に表現する再現性は、写真よりもはるかに優れています。技術的に未発達であった十九世紀の写真は言うに及ばず、デジタルカメラによる現代の写真においても、極端に明るい部分や暗い部分は写真でうまく再現できません。明るい部分は真っ白に色が飛び、暗い部分は真っ黒に潰れてしまいます。これに対してフォトグラヴュールは明暗の階調を、肉眼で見えるとおりに、無段階的に正確に再現します。

 フランス語「フォトグラヴュール」、英語「フォトグラヴュア」は同じ綴りで、グラビア印刷(photogravure)と同じ言葉です。しかしながら現代のグラビア印刷は、ほとんどの場合、輪転機によるオフセット印刷であるのに対して、十九世紀のフォトグラヴュール(フォトグラヴュア)は平版による古典的な版画です。それゆえアンティーク・フォトグラヴュール(古典的フォトグラヴュール)は、現代のグラビア印刷とは比べ物にならない精細度を誇ります。





 上の写真は本品に描かれたクレオパトラの顔を拡大しています。下の写真は現代の画集から採った美術印刷の例です。これら二枚の写真は同一の縮尺で、定規のひと目盛りは一ミリメートルです。これを見ると明らかなように、古典的フォトグラヴュールには現代の印刷物に見られる網点が存在しません。




 版画の精細度は、版の細密さによると同時に、画像を転写する紙の質にも大きく左右されます。それゆえフォトグラヴュールにはきめの細かな高級紙が使われます。フォトグラヴュールに使われる紙の質を究極まで高めたのが、「シン・コレ」と呼ばれる技法です。「シン・コレ」(chine collé)とはフランス語で「ライス・ペーパー貼り付け技法」というほどの意味です。

 「シン・コレ」においては、サポート(英 support 台紙の役割を果たす厚めの紙)に、ライス・ペーパー(極薄の東洋紙)を貼り付けます。版画はライス・ペーパーに刷られています。版画を台紙に直接刷らず、ライス・ペーパーを貼り付ける理由は、ライス・ペーパーが西洋紙よりも格段にきめ細かであるからです。ライス・ペーパーによるシン・コレは、古典的フォトグラヴュールが誇る最高度の細密性を、最大限に引き出してくれます。





 古典的フォトグラヴュールは極めて優れた版画技法であり、描写の細密さ、及び明暗の再現の正確において並ぶものがありません。唯一の弱点は、色相の区別です。フォトグラヴュールは単色の版画であるゆえに、色相の違いを表現できません。分かりやすい事例を引けば、隣り合う二色の明度が同じであれば、色相が全く異なっていても、色の境界を判別できないのです。

 それゆえフォトグラヴュールは、写真の原理による版画ではあっても、写真のように機械的に制作することはできず、エングレーヴィングエッチングメゾティント等の技法を部分的に混用し、手作業による大幅な修正を版に加えて、単色版画ゆえの弱点を補う必要があります。手作業による修整は、色相の区別できないゆえの弱点を補うだけでなく、版画画面に一層の深みを出すためにも行われます。

 本品においてもクレオパトラが腰に纏う明色の布に隣り合うヌビア人奴隷の暗色の肌に、メゾティント用ロッカーが適用されています。メゾティント用ロッカーは、他の暗部にも使われているほか、床においては明部にも適用されて質感を出しています。ここに指摘した修整はあまりにも精密で、写真には写りませんので、版画の実物にてお確かめください。


《原画の作者について》




 ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérome, 1824-1904)はフランスの画家・彫刻家です。 1847年のサロン展に出品した油彩作品「闘鶏」が、有名な作家・詩人であり有力な批評家でもあった テオフィル・ゴーチエ(Theophile Gautier, 1811-1872)に称賛されたことがきっかけで、広く知られるようになりました。エジプト、トルコ、北アフリカを旅行し、オリエントをテーマにした作品を数多く発表しています。ジェロームが描く女性像はアングルの女性像のように古典的でありながらも、より自然なポーズが特徴です。

 本品は版画画面の下部に「カエサルの前のクレオパトラ」(Cleopatra before Ceasar)の画題と、ジャン=レオン・ジェロームのサインが書かれています。これらの文字もフォトグラヴュールによります。なお上述したように、ジェロームによる原画は失われており、現在は模写及び版画でしか見ることができません。


《額装について》




 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、赤色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装の価格は 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは青や緑、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





58,000円  額装をご希望の場合、別料金にて承ります。

電話 (078-855-2502) またはメールにてご注文くださいませ。




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