パーカー 《デュオフォールド》
Parker "Duofold"
「デュオフォールド」(DUOFOLD) は大型サイズの万年筆(註1)で、パーカー社が1921年に発売して以来、今日まで存続している同社の最高級モデルです。アーサー・コナン・ドイル卿愛用の万年筆であり、また1945年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で日本の降伏文書の調印式が行われた際、ダグラス・マッカーサー元帥が使用した万年筆としても知られています。
【「デュオフォールド」の歴史 --- 1921年から20世紀中頃まで】
「デュオフォールド」が発売された1921年当時、どの社の万年筆も黒い硬質ゴム製で、価格も 2.75ドルと均一でした。ところがパーカー「デュオフォールド」は、他社製品と同様に硬質ゴム製でありながら、濃く鮮やかなオレンジ色で、どの社の製品よりも大きく、他社製品よりも多量のインクを吸い込むことができました。発売時の価格は他社製品よりもはるかに高価で、およそ7ドルでした。
ちなみに「デュオフォールド」とは「二倍」という意味ですが、吸い込むインクの量すなわち一回分のインク補給で書くことのできる文字数が従来の製品よりもずっと多かったこと、他のモデルに比べてはるかに高価であったことが、この商品名の由来であろうと思われます。
1926年、「デュオフォールド」はパーマナイト("Unbreakable Permanite" デュポン社製セルロイドの商標名)を採用し、オレンジ色のペン軸の両端を黒で引き締めたデザインとなりました。オレンジと黒の眼に鮮やかな組み合わせは「スカーレット・タニジャー(scarlet
tanager アカフウキンチョウ)のように美しい」("Rivaled the beauty of the Scarlet Tanager")
と宣伝されて、人気に一層の拍車がかかりました。
Scarlet Tanager, Piranga olivacea, from John James Audubon's
"The Birds of America"
当時はボールペンが実用化されておらず、インクを使う筆記具と言えば、つけペン以外には万年筆しかありませんでした。したがって万年筆市場を巡ってメーカー各社は激しい競争を繰り広げました。パーカー「デュオフォールド」の最も重要なライバルはシェーファー社製「ライフタイム」(Lifetime)
で、これは鮮やかな緑色のセルロイド製ペン軸を採用した大型万年筆でした。他のライバルとしては、ワール=エバーシャープ社が1929年にセルロイド製ペン軸の大型万年筆「パーソナル・ポイント」(Personal
Point) を発売しましたし、硬質ゴム製ペン軸からの切り替えが遅れたウォーターマン社も1930年にはセルロイド製ペン軸を採用し、カラフルな「パトリシャン」(Patrician)、「レイディ・パトリシア」(Lady
Patricia) を発売しました。
「デュオフォールド」はオレンジに加えて少数の黒を、続いてシェーファー「ライフタイム」に対抗するためにグリーンを、翌1927年にはラピス・ラズリとマンダリン・イエローを、さらに1928年には上級モデルとしてパールと黒の組み合わせを発売しました。さらに1929年には両端に向けて細くなる流線形デザインにモデルチェンジが行われました。
シェーファー「ライフタイム」の広告。1921年12月
ワール=エバーシャープ「パーソナル・ポイント」の広告。1930年
ウォーターマン「レイディ・パトリシア」の広告。1930年11月
世間の耳目を集める出来事と連動させるのは、効果的な広告手法のひとつです。1927年5月、単身ニューヨークを飛び立ったチャールズ・リンドバーグは、33時間29分30秒後に無事パリに着陸し、初の大西洋横断無着陸飛行に成功しました。また翌年6月にはアメリア・イアハート
(Amelia Earhart, 1897 - 1937) が単身でフェアチャイルドFC2W2に乗り込み、女性飛行士として初めて大西洋横断無着陸飛行の快挙を成し遂げました。この時代の人々は飛行機に熱狂し、テクノロジーがもたらすであろう明るい未来への希望に酔いました。
アメリア・イアハート
1927年以降、パーカーは3000フィート上空を飛ぶ飛行機から「デュオフォールド」を投げ落として、パーマナイト製ペン軸が壊れないことを証明するという宣伝を各地で行いました。日本でも1960年頃にシチズンが腕時計をヘリコプターから落とし、耐震装置の性能を証明していたことがありますが、エンターテインメントの要素を取り入れたこのような宣伝には大きな効果がありました。
パーカー「デュオフォールド」の広告。1927年
1928年、ケネス・パーカーはアメリア・イアハートの飛行機を 18,230ドルで買い取りました。フェアチャイルドFC2W2は、両翼を折り畳んで機体に密着させることが可能でした。これは駐機スペースが小さくて済むということ以外に、離陸が困難な場所に着陸せざるを得ない場合にはたいへん便利な機能です。すなわち着陸した飛行機の翼を折り畳めば、馬なりトラクターなりで牽引して狭い道を通り、離陸に適した場所まで移動させることができたのです。
1928年11月、アメリアはパーカーに譲った愛機に「デュオフォールド」(The Duofold) という愛称を付けました。この飛行機は全米の主要都市を回り、万年筆の販売業者たちを体験飛行に招待してパーカー社製「デュオフォールド」を売り込み、「デュオフォールド」の売り上げは順調に伸びました。(註2)
パーカー社の万年筆はヨーロッパでも製造・販売されていましたが、特にイギリスとデンマークで製品が作られていました。ヨーロッパ製のパーカーはアメリカ製のモデルとは微妙に異なっており、コレクターの間では稀少品とされて、アメリカ製のものに勝る人気を誇っています。
【「デュオフォールド」の歴史 --- 1987年から現在まで】
「デュオフォールド」の人気はアメリカ本国よりもむしろヨーロッパ諸国において長く続き、1960年代まで製造が続きました。1970年代からしばらくの間、「デュオフォールド」は市場から消えましたが、1987年、パーカー社が創業百周年を迎える直前に万年筆、ボールペン、ペンシルの記念セット、「デュオフォールド・センテニアル」が発売され、パーカー社のフラッグシップ・モデルとして華々しい復活を遂げました。後にはひとまわり小さなモデル「デュオフォールド・インタナショナル」がこれに加わりました。
「デュオフォールド・センテニアル」「デュオフォールド・インタナショナル」はともに老舗ブランドに相応しいクラシカルなデザインですが、ボタン・フィリング式(ボタンを押下してインクを吸い上げる方式)であった20世紀前半のモデルとは異なり、コンヴァーターまたはカートリッジを使用する方式に変更されています。
註1 現在ではボールペンも「デュオフォールド」シリーズに加わっていますが、1921年に発売されたのは万年筆です。
ボールペンが発明されたのは1888年ですが、当初は万年筆と同様の粘性が低い水性インクを使用したため、ペン先から出るインクの量を制御するのが難しく、実用化は遅れました。速乾性の油性インクを使用する現在と同様のボールペンが発明され、特許が取得されたのは1938年のことです。
註2 ちなみに1929年、リチャード・バード (Richard Byrd) が23日間で世界を一周するという記録を打ち立てた際に使われたのも、フェアチャイルドFC2W2でした。このときバードはウォーターマンの万年筆を携行し、同社の広告塔の役割を果たしました。
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