スブ・トゥウム・プラエシディウム(御身の庇護の下に)、スブ・トゥアム・ミセリコルディアム(御身の憐れみの下に)
SUB TUUM PRÆSIDIUM, SUB TUAM MISERICORDIAM, Ὑπὸ τὴν σὴν εὐσπλαγχνίαν
(上)
"VOICE VOTRE REFUGE" (Pradine pl. 94) 119 x 70 mm, 1951
当店の商品
「スブ・トゥウム・プラエシディウム」("SUB TUUM PRAESIDIUM" ラテン語で「御身が庇護の下に」の意)、あるいは「スブ・トゥアム・ミセリコルディアム」("SUB
TUAM MISERICORDIAM" ラテン語で「御身が憐れみの下に」の意)は、聖母マリアに捧げる最古の祈りで、三世紀中頃に遡ることができます。この祈りはコプト教会、東方正教会、カトリック教会において現在でも行われています。
【「スブ・トゥウム」を記した最古の資料】
マンチェスター大学図書館の前身、ジョン・ライランズ・ライブラリ (the John Rylands Library) は、世界で最も美しい図書館のひとつとして知られています。この図書館は建物が美しいだけでなく、数千点に及ぶ古代のパピルス文書資料「ライランズ・パピライ」(the
Rylands Papyri) によって知られています。「ライランズ・パピライ」は正典福音書に関する最古の資料群をはじめとするキリスト教資料、文学資料、行政資料を含む非常に重要なコレクションで、ギリシア語、エジプト語、コプト語、アラビア語のものを含みます。
このコレクションに含まれるギリシア語の「パピルス 470」(下の写真)は、ジョン・ライランズ・ライブラリが 1917年に購入したエジプト由来の資料群に含まれる
18 x 9.4センチメートルの断片で、「スブ・トゥウム」の最古の資料です。
papyrus 470
オックスフォード大学セイント・ジョン・カレッジのコリン・H・ロバーツ教授 (Prof. Colin H. Roberts) は、1938年に出版したカタログ
(
"Catalogue of the Greek and Latin Papyri in the John Rylands Library,
III, Theological and literacy Texts, Manchester 1938") で、「パピルス 470」の年代を四世紀と考えました。「スブ・トゥウム」のなかで、マリアは「テオトケ」(Θεοτὸκε 神の母よ)と呼びかけられていますが、ロバーツ教授にはマリアのこの称号が三世紀に遡るとは考えられなかったのです。しかるにロバーツ教授と共同でオクシリンコス・パピルス
(Oxyrhynchus Papyri) を校訂したエドガー・ローベル教授 (Prof. Edgar Lobel, 1888 - 1982)
は、純粋な考古学的証拠に基づき、「パピルス 470」の年代を 250年から 280年の間としました。現在では「パピルス 470」の制作年代は、ローベル教授が判断したとおり、三世紀中頃と考えられています。
「パピルス 470」の断片的なギリシア語から完全なテキストを復元し、日本語訳を付けて示します。「パピルス 470」における "C"
は "Σ" を表します。日本語訳は筆者(広川)によります。
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ΠΟ
ΕΥCΠΛ
ΚΑΤΑΦΕ
ΘΕΟΤΟΚΕΤ
ΙΚΕCΙΑCΜΗΠΑ
ΕΙΔΗCΕΜΠΕΡΙCTAC
AΛΛΕΚΚΙΝΔΥΝΟΥ
... ΡΥCΑΙΗΜΑC
MONH
... HEΥΛΟΓ |
|
ὑπὸ τὴν σὴν
εὐσπλαγχνίαν
καταφεύγομεν
Θεοτὸκε· τὰς ἡμῶν
ἱκεσίας μὴ παρ-
ίδῃς ἐν περιστάσει
ἀλλ᾽ ἐκ κινδύνου
λύτρωσαι ἡμᾶς
μόνη ἁγνὴ
μόνη εὐλογημένη |
|
御身の
憐れみの下(もと)に
私たちは逃れます。
神を産み給いし御方よ。私たちの
懇願を、
困難な状況において拒み給わず、
危険から
私たちを解き放ち給え。
清らかなるただ一人の御方、
祝福されたるただ一人の御方よ。 |
「パピルス 470」が制作された三世紀中頃のローマ帝国では、デキウス帝(在位 249年から 251年)及びヴァレリアヌス帝(在位 253年から
260年)によってキリスト教に苛烈な迫害が加えられました。上の訳ではパピルス六行目の「ペリスタシス」(περιστάσις 原義「周囲を取り巻く状況」)を「困難な状況」としましたが、この断片からは、当時のエジプトに住むキリスト教徒たちが、周囲の敵対的状況から守り給え、と聖母に願った真摯な祈りが伝わってきます。
「パピルス 470」の内容に関してとりわけ注目すべきは、「テオトケ」(Θεοτὸκε 「神を産み給いし御方よ」)という呼びかけの言葉です。「テオトコス」(Θεοτόκος ギリシア語で「神を産んだ人・女性」)、「
デイー・ゲニトリークス」(DEI GENITRIX/GENETRIX ラテン語で「神を産んだ女性」)というマリアの称号が正統教義に則っていると正式に決議され、不動のものになったのは、431年のエフェソス公会議においてでしたが、この称号は四世紀には広く用いられていました。
特にアレクサンドリア学派においては、オリゲネス (Origenes, 184/185 - 253/254) が現在では失われた「ローマ書注解」でこの語を使っていたことが、コンスタンティノープルのソクラテス
(Σωκράτης ὁ Σχολαστικός, c. 380 - c. 450) による記述 (
"Historia Ecclesiastica" VII. 32) から知られていましたし、オリゲネスの弟子であるアレクサンドリア司教ディオニシウス (Dionysius Alexandrinus,
+ 264) もサモサタのパウロス (Paulus de Samosata, c. 200 - c. 275)に宛てた 250年頃の書簡で「テオトコス」の語を使っています。
「パピルス 470」の発見は、少なくとも三世紀中頃のエジプトにおいて、「テオトコス」の称号が神学者の独占物でなく、一般信徒にも広く用いられていたことを証明しています。
【「スブ・トゥウム」の現行テキスト】
「スブ・トゥウム」の古写本は、ギリシア語、ラテン語、コプト語、シリア語、アルメニア語のものが伝わっています。現代のシリア教会とアルメニア教会は「スブ・トゥウム」を唱えていませんが、正教会、カトリック教会、コプト教会では現在でも唱えられています。
カトリック教会に関して見ると、ラテン語版にはローマ典礼で使われる版とミラノ典礼で使われる版があります。ローマ典礼 RITUS ROMANUS
の「スブ・トゥウム」と、ミラノ典礼 RITUS MEDIOLANI (アンブロシウス典礼 RITUS AMBROSIANUS)の「スブ・トゥウム」、及びそれぞれの日本語訳を示します。日本語訳は筆者によります。
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RITUS ROMANUS |
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日本語訳 |
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RITUS AMBROSIANUS |
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日本語訳 |
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Sub tuum præsidium confugimus,
sancta Dei Genitrix.
Nostras deprecationes ne despicias
in necessitatibus,
sed a periculis cunctis
libera nos semper,
Virgo gloriosa et benedicta. |
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御身の庇護の下(もと)に私たちは逃れます。
神を産み給いし聖なる御方よ。
私たちの懇願を、
困難な状況において拒み給わず、
さまざまな危険から
私たちを常に解き放ち給え。
栄光に満ちて祝福されたるおとめよ。 |
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Sub tuam misericordiam confugimus,
Dei Genitrix.
ut nostram deprecationem ne inducas
in tentationem,
sed de periculo
libera nos,
sola casta et benedicta. |
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御身の憐れみの下に私たちは逃れます。
神を産み給いし御方よ。
私たちの懇願を、
誘惑に遭わせ給わず、
危険から
私たちを解き放ち給え。
清らかにして祝福されたるただ一人の御方よ。 |
ラテン語版「スブ・トゥウム」の言葉は、ローマ典礼とミラノ典礼で以下のように異なっていることがわかります。
「スブ・トゥウム」の冒頭は、ミラノ典礼では「パピルス 470」と同様に「御身の憐れみ (ミセリコルディア) の下に」(Sub tuam misericordiam)
となってますが、ローマ典礼では「御身の庇護(プラエシディウム)の下に」(Sub tuum praesidium) と唱えられます。これはミラノ典礼版が主にギリシア語版に依拠しているのに対し、ローマ典礼版がコプト語版に依拠しているからです。
ローマ典礼が「パピルス 470」と同様に「 私たちの懇願を困難な状況において拒み給わず」と唱える箇所が、ミラノ典礼は「 私たちの懇願を誘惑に遭わせ給わず」と変化しています。これは「主の祈り」の影響でしょう。
ミラノ典礼が「パピルス 470」と同様に「私たちを解放し給え」と唱えるのに対して、ローマ典礼では「私たちを常に解放し給え」と唱え、「センペル」(semper 常に)の語が付加されています。この「センペル」は本来はこれに続く「ウィルゴー」(virgo おとめ、処女)にかかって「センペル・ウィルゴー」(semper Virgo 永遠の処女)の句を構成していたはずです。「センペル」が「ウィルゴー」と切り離されたのは、一説には、ラテン語の詞を東方聖歌に無理やり合わせたためであろうと考えられています。
「スブ・トゥウム」の最後の部分は、ミラノ典礼では「清らかにして祝福されたるただ一人の御方よ」(sola casta et benedicta)
と唱え、「パピルス 470」の該当箇所 (μόνη ἁγνὴ μόνη εὐλογημένη) と一致しています。しかしながらローマ典礼では「栄光に満ちて祝福されたるおとめよ」(
Virgo gloriosa et benedicta) と唱え、「カスタ」(casta 清らかな、貞淑な)が「グロリオーサ」(gloriosa 栄光に満ちた)に置き換わっています。877年頃に筆写されたと考えられる「コンピエーニュ交唱歌集」(
"Antiphonaire de Compiègne") や、やはり古い年代に属するドミニコ会版では「祝福されたるおとめよ」(Virgo benedicta) とのみ唱えられることから、「グロリオーサ」は後世に挿入された句であることがわかります。
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