よきすすめの聖母 (マーテル・ボニー・コーンシリイー、マーテル・デー・ボノー・コーンシリオー)
MATER BONI CONSILII, MATER DE BONO CONSILIO, Madonna del Buon Consiglio, Notre-Dame de Bon Conseil



 Pasquale Sarullo, "Madonna Boni Concilii"


 ローマの中心部からおよそ40キロメートル東、ジェナッツァーノ(Genazzano ラツィオ州ローマ県)にあるアウグスチノ会の聖堂に、壁から剥離したフレスコ画「よきすすめの聖母」(MATER BONI CONSILII マーテル・ボニー・コーンシリイー)があります。

 「よきすすめの聖母」があるのはジェナッツァーノ聖堂内のブーレーズ礼拝堂です。この礼拝堂に、壁からわずかに突出した石材の帯があり、「よきすすめの聖母」はこの石材に乗るような形で、ガラス、金属、大理石の枠に守られて安置されています。画像のサイズは縦45センチメートル、横40センチメートルほどです。

 「よきすすめの聖母」は、不思議な縁起にまつわる伝承、及び病気治癒をはじめとする数々の奇蹟譚により奇蹟の聖母子像とされ、カトリック世界において広く崇敬されています。「よきすすめの聖母」の称号はロレトの連祷にも加えられています。「よきすすめの聖母」の祝日は4月26日です。


【「よきすすめの聖母」の起源に関する伝承】

 ジェナッツァーノにはウェヌス神殿の跡に建てられた5世紀の聖堂があり、「よきすすめの聖母」というのはもともとこの聖堂の名前でした。「よきすすめの聖母」聖堂は長年月のうちに廃墟に等しい状態になっていましたが、1356年にアウグスチノ会が管理することとなりました。打ち捨てられたこの聖堂に、「よきすすめの聖母」の画像が現れた経緯に関して、次の伝承が伝わっています。


 聖ブレーズ礼拝堂の「よきすすめの聖母」


 聖母子像出現の当時、ペトルッチア (Petruccia) という80歳の未亡人がいました。信心深いペトルッチアはアウグスチノ会第三会に所属しており、ジェナッツァーノの聖堂を補修・改築するためにすべての財産を投げ打ちました。聖堂の改築は聖ブレーズ礼拝堂から始まったのですが、礼拝堂の壁にはまだ何も描かれていませんでした。ペトルッチアの寄進にもかかわらず、聖堂改築の資金は不足し、1467年の時点で聖堂にはまだ屋根もありませんでした。しかしペトルッチアは聖母と聖アウグスティヌスの執り成しにより、神が援けてくださると信じていました。

 この年の聖マルコの祝日(4月25日)、人々が晩課のために「よきすすめの聖母」聖堂に集まっていると、妙なる音楽とともに輝く雲が降りてきて聖ブレーズ礼拝堂の祭壇を覆い、イタリアじゅうの教会の鐘が鳴り響きました。雲が間もなく消え去ったあとには、祭壇近くの壁の前、現在と同じ位置に、これまで無かった聖母子の画像が留まっていました。

 一方、この奇蹟の直前に、アルバニア北部のスクタリ Scutari (現在のシュコダル Shkoder)でも不思議な出来事が起こっていました。当地の聖堂でふたりのアルバニア人が聖母子の画像に祈っていたところ、画像がひとりでに壁から離れ、雲に包まれてイタリア方面へと飛び去ったのです。ふたりのアルバニア人は飛び去った聖母子像を求めてローマ周辺の聖堂を訪ね歩き、ジェナッツァーノで遂にこれを見出しました。スクタリの聖母子像はアルバニアを支配していたトルコ人による冒とくを避けるため、神慮によってスクタリを離れ、ジェナッツァーノに移って来たのでした。

 ペトルッチアは「よきすすめの聖母」の執り成しにより聖堂の改築が完成したのを見届けて、1470年に亡くなりました。アウグスチノ会ではペトルッチアを「よきすすめの聖母」の画像の下に埋葬し、その働きを記した碑文を設置して、老婦人を顕彰しました。


【「よきすすめの聖母」の作者と製作年代】

 「よきすすめの聖母」聖堂は1957年から1959年にかけて修復されましたが、修復に先立って詳しい調査が行われました。この調査の結果、聖ブーレーズ礼拝堂の壁面にかつて大きなフレスコ画が描かれていたこと、フレスコ画は上に漆喰を塗られ、バロック期の祭壇が前に置かれて見えなくなっていること、有名な聖母子像はこのフレスコ画の一部であることが判明しました。


 フレスコ画の作者は国際ゴシック様式を代表する画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ (Gentile da Fabriano, c. 1375 - 1427) 、製作年代は1417年から1431年の間と考えられています。

 下の写真はジェンティーレが聖ブーレーズ礼拝堂壁画と同時期に製作したテンペラ画「マギの礼拝」で、ジェンティーレの代表作です。


(下) Gentile da Fabriano, "L'Adorazione dei Magi" o "Pala Strozzi", 1423, tempera, oro e argento su tavola, 203 x 282 cm, Galleria degli Uffizi, Firenze




 ジェンティーレは聖ブーレーズ礼拝堂の壁に大きなフレスコ画を描きましたが、1467年よりも以前のある時点で、この作品の上に漆喰が塗られました。ジェナッツァーノ聖堂改築にともなって、聖ブーレーズ礼拝堂の壁に棚状の石板が挿入された際、漆喰の上塗りが剥がれて、その下から聖母子のフレスコ画が現れたものと思われます。この出来事は聖堂改築を神が嘉(よみ)し給う徴(しるし)と捉えられ、あたかも天来のものであるかのように突然現れた聖母子像は、当初「天国の聖母」と名付けられましたが、やがて聖堂の本来の名前である「よきすすめの聖母」の名で呼ばれるようになりました。


【「よきすすめの聖母」巡礼の歴史】

 ジェナッツァーノの「よきすすめの聖母」を巡っては、聖母の眼が変化して喜びに輝いたり悲しげな色を帯びたりした、病気が癒された、霊的な恩寵が降った等、多数の奇蹟譚が語られて、早くから巡礼の対象となりました。教皇ウルバヌス8世 (Urbanus VIII, 1568 - 1623 - 1644) は1630年に巡礼し、教皇インノケンティウス11世 (Innocentius XI, 1611 - 1676 - 1689) は 1682年に「よきすすめの聖母」を戴冠しました。教皇ベネディクトゥス14世 (Benedictus XIV, 1675 - 1740 - 1758) は 1753年に「よきすすめの聖母」の信心会を認可し、教皇レオ13世 (Leo XIII, 1810 - 1878 - 1903) は自身がその会員でした。この聖母の白いスカプラリオを認可して贖宥を認め、また「よきすすめの御母」の称号をロレトの連祷に加えたのも、レオ13世です。教皇ピウス12世 (Pius XII, 1876 - 1839 - 1958) は自らの教皇位を「よきすすめの聖母」の庇護の下に置いています。

「よきすすめの聖母」の名が各国語(伊、仏、葡、独、英)で書かれたイタリアのクロモ。1900年頃。


 1962年、ローマで第二ヴァティカン公会議が開かれましたが、教皇ヨハネス23世 (Ioannes XXIII, 1881 - 1968 - 1963) は公会議開催の数日前にジェナッツァーノを訪れ、公会議に参加する人たちのために聖母の執り成しを祈願しました。1993年4月22日には、教皇ヨハネ=パウロ2世 (Ioannes-Paulus II, 1920 - 1978 - 2005) はアルバニア訪問に先立ってジェナッツァーノを訪れ、アルバニア出身のマザー・テレサとともに、アルバニア訪問の祝福を祈りました。


【福者ステファノ・ベッレシーニ】

 ジェナッツァーノの「よきすすめの聖母」に縁(ゆかり)の深い人物に、アウグスチノ会の福者ステファノ・ベッレシーニ師 (Beato Stefano Bellesini, OSA., 1774 - 1840) があります。

 ベッレシーニ師は俗名をルイジ・ジュゼッペ・ベッレシーニ (Luigi Giuseppe Bellesini) といい、1790年にアウグスチノ会に入会、1794年に終生誓願を立てました。1797年にローマで叙階され、生地トレントのアウグスチノ会付属礼拝堂付司祭になりますが、1810年に修道院が閉鎖されると、教育の機会に恵まれない貧しい家庭の子供たちのために学校を作り、知育と宗教教育のみならず衣食に関しても、師を頼る子供たちの世話に励みました。

 ベッレシーニ師はトレントの教育界において重要な人物となっていましたが、1817年に当地を辞してローマに移ったあと、ジェナッツァーノの教区司祭となりました。





 1839年、当地にコレラが流行すると、ベッレシーニ師は教区民の治療と救霊に献身しました。1840年1月23日、「よきすすめの聖母」聖堂で聖務中に瀕死の病人のもとに呼ばれたベッレシーニ師は、内陣の階段を降りる際に転倒し、その夜高熱を出して床につきました。熱が引くと患者を助けるためにすぐに病院に出掛け、二日に亙って司祭の職務をこなしましたが、1月26日、師自身の健康状態があまりにも悪いのを心配した仲間のアウグスチノ会士たちはベッレシーニ師を説得して床に就かせました。

 ベッレシーニ師はそのままコレラを発症し、翌2月4日に亡くなりました。「よきすすめの聖母」聖堂内にはベッレシーニ師に捧げた礼拝堂が造られ、師の遺体はそこに安置されています。


 ベッレシーニ師は教皇ピウス10世 (Pius X, 1835 - 1903 - 1914) により、1904年12月27日に列福されました。アウグスチノ会におけるベッレシーニ師の祝日は2月3日です。

 「よきすめの聖母」は妊産婦の守護聖女として知られます。「よきすすめの聖母」の絵を産婦の腹部に置くと、安産を得られると伝えられます。




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