Huiusmodi autem veritati, cui ratio humana experimentum non praebet, fidem adhibentes non leviter credunt, quasi indoctas fabulas secuti, ut 2 Petr. 1-16, dicitur. | しかるに、人間の理性がこの真理に対する証明を提供しないとしても、この真理を信じる者たちは(註1)、よく考えずに信じているわけではない。愚かな作り話に聴き従っているのではない。それは「ペトロの手紙 第二」 1章 16節でも言われている通りである(註 2)。 | |||
Haec enim divinae sapientiae secreta ipsa divina sapientia, quae omnia plenissime novit, dignata est hominibus revelare: quae sui praesentiam et doctrinae et inspirationis veritatem, convenientibus argumentis ostendit, dum ad confirmandum ea quae naturalem cognitionem excedunt, opera visibiliter ostendit quae totius naturae superant facultatem; videlicet in mirabili curatione languorum, mortuorum suscitatione, caelestium corporum mirabili immutatione; et, quod est mirabilius, humanarum mentium inspiratione, ut idiotae et simplices, dono spiritus sancti repleti, summam sapientiam et facundiam in instanti consequerentur. | なぜなら、神の智慧にのみ知られるこれらの事柄(註3)を人に対して明らかにすることを、すべてのことを最大限に知り給う神の智慧ご自身が良しとし給うたからである。神の智慧は、神がましますこと(註4)を、教えと啓示の真なることを、[それらの事柄を示すという目的に]ふさわしい諸々の証拠によって明らかにし給う。自然本性に従う認識を超越した諸々の事柄を証拠づけるためであれば、自然本性全体の能力を超える御業を可視的な形で示し給う。すなわちさまざまな病の奇跡的癒し、死者たちの蘇生、諸々の天体の奇跡的変化において[示し給うの]であるが、さらに驚くべきは、人間の精神への示し(イーンスピラーチオー)においてである。白痴や無教養の者たちも、聖霊の賜物に満たされれば、最高の智慧と弁舌の才を、瞬く間に得るのである。 | |||
Quibus inspectis, praedictae probationis efficacia, non armorum violentia, non voluptatum promissione, et, quod est mirabilissimum, inter persecutorum tyrannidem, innumerabilis turba non solum simplicium, sed sapientissimorum hominum, ad fidem Christianam convolavit, in qua omnem humanum intellectum excedentia praedicantur, voluptates carnis cohibentur et omnia quae in mundo sunt contemni docentur; quibus animos mortalium assentire et maximum miraculorum est, et manifestum divinae inspirationis opus, ut, contemptis visibilibus, sola invisibilia cupiantur. | これらのことをよく考えれば、先に述べた証明の有効性が[わかる](註5)。武器の暴力に曝されても、さまざまな快楽の約束を与えられても、また最も驚くべきは迫害者たちの暴虐の中にあっても、教養無き者たちのみならず、最も知恵ある人々までもが数えきれない群れとなってキリスト教信仰へと馳せ参じた。キリスト教信仰においては、人間の知性全体を超越する諸々の事柄が明らかにされ、現世のさまざまな快楽が制御され、地上にあるすべての事物が蔑まれる[べき]であると説かれる。死すべき者たちの魂がこれらのことに賛同するのは驚くべき諸事のうちの最大事である。可視的諸事物が蔑(さげす)まれ、不可視のものだけが欲せられるのは、神による示し(イーンスピラーチオー)の明らかな御業(みわざ)である。 | |||
Hoc autem non subito neque a casu, sed ex divina dispositione factum esse, manifestum est ex hoc quod hoc se facturum Deus multis ante prophetarum praedixit oraculis, quorum libri penes nos in veneratione habentur, utpote nostrae fidei testimonium adhibentes. | しかるに、かかる事態は不意に起こるのでも偶発的に起こるのでもなく、神の配剤によって起こる。これが神の配剤であるのは明らかである。なぜならば、かかる事態が起こることを、預言者たちによる数多くの預言によって、神は以前から予告しておられたから。預言者たちの書物はわれわれの信仰の証言に合致するゆえに、我々の許(もと)で尊重されている。 | |||
Huius quidem confirmationis modus tangitur Hebr. 2-3 quae, scilicet humana salus, cum initium accepisset enarrari per dominum, ab eis qui audierunt in nos confirmata est, contestante Deo signis et portentis et variis spiritus sancti distributionibus. | このことが確かなこととして伝えられた方法について、「ヘブライ人への手紙」 2章 3節には次のように述べられている。「これ(すなわち、人間の救い)は、始まったときには主を通して語られ、それを聞いた人々からわたしたちへと、確かなこととして伝えられた。 さまざまな印と不思議な出来事、聖霊の多様な賜物によって、神も[このことを]証明しておられる。」 | |||
Haec autem tam mirabilis mundi conversio ad fidem Christianam indicium certissimum est praeteritorum signorum: ut ea ulterius iterari necesse non sit, cum in suo effectu appareant evidenter. Esset enim omnibus signis mirabilius si ad credendum tam ardua, et ad operandum tam difficilia, et ad sperandum tam alta, mundus absque mirabilibus signis inductus fuisset a simplicibus et ignobilibus hominibus. Quamvis non cesset Deus etiam nostris temporibus, ad confirmationem fidei, per sanctos suos miracula operari. | しかるに世はキリスト教信仰へと驚くべき回心を為したのであるが、この回心はこれまでに起こったさまざまな印のうちで最も確かな証拠である。それらの印は、結果が明らかに現れているゆえに、さらに繰り返される必要は無かろう。というのは、教養も身分も無い人々によって、かくも困難なる諸事を信じるように、かくも難しき諸事を行うように、かくも高き諸事を望むように、驚くべき印が無くても世界が導かれるならば、あらゆる印よりもさらに驚くべきことであろう。信仰を確かにするために、諸聖人を通してさまざまな奇跡を為すことを、神は我々の時代においても止め給わないのであるが。 | |||
Hi vero qui sectas errorum introduxerunt processerunt via contraria: ut patet in Mahumeto qui carnalium voluptatum promissis, ad quorum desiderium carnalis concupiscentia instigat, populos illexit. Praecepta etiam tradidit promissis conformia, voluptati carnali habenas relaxans, in quibus in promptu est a carnalibus hominibus obediri. | しかしながら数々の誤りを含む諸派を導入した人々は、逆の道を進んだ。これはマホメットを見れば明らかである。肉の欲は肉体的快楽の約束を求めるが、マホメットはそのような約束によって人々を誘惑したのだ。マホメットはその約束と合致した教説を説き、肉体的欲求に対して手綱を緩めた。マホメットに従ったのは肉体的快楽を求める人々であったが、その理由がマホメットの教説にあることは明白である(註6)。 | |||
Documenta etiam veritatis non attulit nisi quae de facili a quolibet
mediocriter sapiente naturali ingenio cognosci possint: quin potius vera
quae docuit multis fabulis et falsissimis doctrinis immiscuit. Signa etiam
non adhibuit supernaturaliter facta, quibus solis divinae inspirationi
conveniens testimonium adhibetur, dum operatio visibilis quae non potest
esse nisi divina, ostendit doctorem veritatis invisibiliter inspiratum:
sed dixit se in armorum potentia missum, quae signa etiam latronibus et
tyrannis non desunt. |
さらにマホメットは真理の教えを述べる際、中程度の知的能力の人なら誰でも自然本性的能力によって容易に認識し得ることしか述べなかった。さらにそればかりか、マホメットは自らが教える真なる事どもを、多数の作り話や全く虚偽の教えと混ぜ合わせた。さらにマホメットは、自然本性を超える仕方で為された印を、[教えに]付け加えることもしなかった。神による示し(インスピラーチオー)にふさわしい証拠は、そのような印によってのみ付け加えられるのであるが。ある教師が神からのものでしかあり得ない可視的働きを為すならば、それは教師が神からの示しを可視的でない仕方で受けていることを示す(註7)。しかしながらマホメットは、自分が武器の力において遣わされたと語った。武器の力[で勝利する]という印なら、盗人や暴君にも備わっている。 | |||
Ei etiam non aliqui sapientes, in rebus divinis et humanis exercitati, a principio crediderunt: sed homines bestiales in desertis morantes, omnis doctrinae divinae prorsus ignari, per quorum multitudinem alios armorum violentia in suam legem coegit. | これに加えて、ある智者たちは、神に関する事柄や人間に関する事柄において訓練を重ねてきたゆえに、最初からマホメットを信じなかった。理性を持たない動物のような、砂漠から出たことがない人々、神のあらゆる教えについて全く無知な人々が、[マホメットを]信じたのである。そしてそのような多数の人々を通して、武器の暴力により、他の人々を無理強いし[、イスラム教へ改宗させ]たのだ。 | |||
Nulla etiam divina oracula praecedentium prophetarum ei testimonium perhibent: quin potius quasi omnia veteris et novi testamenti documenta fabulosa narratione depravat, ut patet eius legem inspicienti. Unde astuto consilio libros veteris et novi testamenti suis sequacibus non reliquit legendos, ne per eos falsitatis argueretur. Et sic patet quod eius dictis fidem adhibentes leviter credunt. | さらにまた、先に現れた預言者たちによるどの預言も、マホメットへの証言を示さない。そればかりかむしろ、旧約と新約のすべての証拠を、[マホメットは]偽りの作り話で歪曲したのであって、そのことはマホメットの法を調べる者に明らかである。それゆえ[マホメットは]狡猾な慎重さにより、新約及び旧約に含まれる諸々の書物を読むことを、自身に従う者たちに許可しなかった。それらの書物を通して、偽りを明らかにされないようにである。以上のことゆえに、マホメットが言うことに信を置く者たちは、よく考えずに信じているのである。 |
註1 fidem adhibentes non leviter credunt. (直訳) [この真理に]信仰を適用する者たちは、軽々しく信じているのではない。
註2 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。(「ペトロの手紙 第二」 1章 16節 新共同訳)
註3 Haec divinae sapientiae secreta (直訳) 神の智慧[のみ]に対して取り置かれているこれらの事柄
註4 "quae " は "ipsa divina sapientia"。トマスが再帰代名詞 "sui"
を使っているのは、「スンマ・テオロギアエ」第一部第三問で論じられているように、神が如何なる意味でも複合でなく単純であるから、すなわち「神」と「神の属性」(ここでは「神の智慧」)がレアリテル(realiter
実体的)に区別できないからである。
神について論じるとき、「神」と「神の智慧」を概念的に区別することは可能である。しかしながら神は単純である(複合でない)ゆえに、「神」と「神の智慧」は同一の実体である。それゆえこの訳文「神の智慧は…明らかにし給う。」の主語を置き換えて、「神は…明らかにし給う。」と言い換えることができる。
註5 Quibus inspectis, praedictae probationis efficacia
(直訳) これらのことをよく考えれば、先に述べた証明の有効性が存する。 ※ 後半に "est" が省略されている。
註6 in quibus in promptu est a carnalibus hominibus obediri
(直訳) [マホメットが]肉的な人々によって服従されたことは、明白に、その教説のうちにある。
註7 dum operatio visibilis quae non potest esse nisi divina, ostendit doctorem
veritatis invisibiliter inspiratum.
(直訳) 神からのものでしかあり得ない可視的働きは、神からの示しを可視的でない仕方で受けた教師を示す。