ファヴェルネの聖体の奇跡
le miracle eucharistique de Faverney
(上) ファヴェルネ修道院と、奇跡を起こした聖体顕示台。
ブルゴーニュ公国の小さな町ファヴェルネ (Faverney) は、現在のフランス東部、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏オート=ソーヌ県にあります。ここにはフランス革命時代の
1789年まで、ベネディクト会修道院ノートル=ダム・ラ・ブランシュ(Notre-Dame la Blanche フランス語で「白き聖母」の意)がありました。(註1)
この修道院で、1608年 5月 26日午前三時頃から翌 27日午前十時頃までの三十時間以上に亙り、ふたつの聖体が顕示台ごと空中に浮かび続けるという出来事が起こり、千人以上の人々に目撃されました。1864年
5月 16日、教皇ピウス九世はファヴェルネの出来事が奇跡であることを公式に認定しました。
聖体に関する奇跡はカトリック教会において古い時代からたびたび起こっています。近年では 1996年にブエノスアイレスで二件の奇跡が起き、いずれも聖体が人間の筋肉組織と血球、DNAを有する心筋に変化しました。1999年にルルドでミサが行われた際には聖体が浮かび上がり、その様子はテレビカメラに収められました。ファヴェルネの出来事も、このような奇跡の一つです。
【奇跡の詳細】
聖霊降臨の主日を翌日に控えた 1608年 5月 24日の晩課の際、ファヴェルネ修道院の院長は、修道院付属礼拝堂の仮祭壇(註2)に、
ルリケールを兼ねた聖体顕示台(註3)を置きました。周囲には数本の蝋燭が常夜灯として灯され、教皇クレメンス八世 (Clemens VIII, 1536 -
1592 - 1605) による免償の小勅書と、小勅書の公開を許可したブザンソン大司教(註4)の書簡が、聖体顕示台の前に置かれていました。翌日はいつも通りの聖体礼拝が行われ、晩課のあと、聖堂は閉じられました。
(上) ファヴェルネの奇跡を描いた 19世紀の小聖画
その夜の午前三時頃、聖具係が朝課の鐘を鳴らしに聖堂に行くと、聖堂内部に煙が充満し、仮祭壇は焼け焦げ、崩れていました。知らせを受けた修道士たちが駆けつけ、教皇の小勅書と大司教の書簡が焼け残っているのを見つけました。ひとりの修練士が目を挙げると、聖体顕示台が元通りのところに見えましたが、1.6メートルほどの高さに浮かんだ状態でした。修道士たちは宙に浮かぶ聖体顕示台の真下にとりあえず聖体布を広げ、蝋燭を点けて、ファヴェルネの南南東十五キロメートル、ヴズー(Vesoul フランシュ=コンテ地域圏オート=ソーヌ県)にあるカプチン・フランシスコ会修道院から修道士たちを呼んで奇跡の証人としました。この日の夕方には、ブザンソン大司教に報告書が提出されました。
翌日、近隣教区の全司祭がファヴェルネ修道院聖堂に集まり、立て続けにミサが行われました。午前十時頃、顕示台の下に灯されていた蝋燭がひとりでに消え、何度も火を点けなおしましたが、うまく点きませんでした。このとき宙に浮いた聖体顕示台が突然揺れて下降を開始し、広げられた聖体布の上に下りました。顕示台は三十時間以上に亙って空中に浮かんでいたことになり、千人以上がこの奇跡を目撃しました。顕示台に納められたふたつの聖体に、火事の影響は認められませんでした。
【教会の反応】
同じ年の 5月 26日から 6月 4日にかけて、教区裁判所の検事たちが、七名の修道士を含む約五十名から聴取し、その結果に基づいて、同年 7月
10日、ブザンソン大司教フェルディナン・ド・リィ師 (Mgr. Ferdinand de Rye, 1550 - 1636) は、ファヴェルネで奇跡が起きた事実を公表しました。同年
12月 18日には、奇跡を起こしたふたつの聖体のうちのひとつが、ドル(Dole フランシュ=コンテ地域圏ジュラ県)のノートル=ダム参事会教会
(
Collégiale Notre-Dame de Dole) に運ばれました。同教会ではこの聖体を安置するために、1609年から 1612年にかけて、内陣に接する南側に礼拝堂「ラ・サント・シャペル」を作りました。もう一方の聖体は、現在もファヴェルネに安置されています。
ブザンソン大司教マチュ師 (Mgr. Jacques-Marie-Adrien-Césaire Mathieu, 1796 - 1875)
の推薦により、1864年 5月 16日、教皇ピウス九世はファヴェルネの出来事をカトリック教会公認の奇跡としました。
註1 修道院はフランス革命期に破壊されましたが、1896年から 1908年にかけて再建され、1911年から 1967年まで神学校として使われました。修道院と付属聖堂は現在も残っており、文化財として保護されています。
註2 聖体礼拝等の際に、臨時に聖体を安置するための祭壇。主祭壇の福音側(向かって左側)に置かれていました。
註3 この「ルリケールを兼ねた聖体顕示台」とは、銀のリュニュル(lunule 顕示台に嵌め込む円盤状の聖体容器)と、その下にガラスの管状容器が組み合わさったものでした。銀のリュニュルには朝のミサで聖別されたふたつの聖体が、ガラスの管状容器には聖アガタの指が、それぞれ安置されていました。
註4 ファヴェルネはブザンソン大司教区に属します。当時のブザンソン大司教はフェルディナン・ド・リィ師 (Mgr. Ferdinand de Rye,
1550 - 1636) で、1586年以来この地位にありました。
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