カシアの聖リタ
Ste Rita de Cascia




 カシアの聖リタ (Santa Rita da Cascia, 1381 - 1447) は俗名マルゲリータ・ロッティ (Margherita Lotti 結婚後は Margherita Lotti Mancini) といい、イタリア中央部、ウンブリア州ペルージャ県にある小村カシアのロッカポレーナ (Roccaporena) 地区に生まれました。幼少の頃から信仰心が篤く、修道女となることを希望していました。

 当時のイタリアは政情不安で、ヴェンデッタが横行し、修道院のなかといえども安全ではありませんでした。そのようなわけで、両親は信心深い人たちでしたが、娘の意思に反して、12歳のマルゲリータを名家マンチーニ家に嫁がせました。有力な夫の許に嫁ぐのが、身の安全を図る上で最上の策であると判断したのです。マルゲリータの夫パオロ・マンチーニは不信心かつ暴君的な人物でしたが、マルゲリータは屈辱的な結婚生活に耐えて二人の息子を生み、育てました。

 夫パオロは妻の影響でやがて信仰に心を向けるようになりましたが、そのころ仲間に裏切られて待ち伏せに遭い、殺害されてしまいました。マルゲリータは父の復讐を誓う息子ふたりを止めようとしましたが、ふたりは耳を貸しません。マルゲリータが神に助けを求めたところ、息子たちは復讐を遂げないうちに亡くなり、殺人の罪を犯すことを免れました。

 孤独な身の上となったマルゲリータは祈りと慈善にいそしみ、カシアのアウグスチノ会修道院の修道女となることを希望しました。マルゲリータの信仰の篤さはよく知られていましたが、修道女のひとりが夫パオロの殺害に関わった一族の出身であったゆえに、修道院内の平和が乱されることを恐れた修道院は、マルゲリータの入会を三度まで断りました。そこでリタは自ら直接かけあって、マンチーニ家と、マンチーニ家に対立する勢力を調停し、今後は互いに復讐せず平和に暮らすことを文書によって誓約させました。マルゲリータはこの文書を修道院に示し、36歳のときにようやく入会を許されました。


 聖リタは救い主イエズス・キリストが世の罪を贖うために受けた苦しみを分かち合いたいと強く望んでいました。ある日、聖リタが磔刑像の前で祈っていると、茨の冠の棘が外れ、聖リタに向かって飛んできて額に刺さりました。このときの傷は聖リタが亡くなるまでの15年間、額にあって血を流し続けました。図像において、聖リタは額に傷を受けた姿で表されます。

 晩年の聖リタは、4年にわたってベッドに寝たきりになりました。聖リタが亡くなる少し前、聖女の出身地ロッカポレーナから修道院を訪れた人が、「必要な物はありませんか」と聖女に尋ねると、聖女は両親の家の庭に咲く薔薇の花とイチジクの実を欲しがりました。季節は 1月で、薔薇の花やイチジクの実が見つかるわけはありませんでしたが、それでも訪問者が聖女の生まれた家に行くと、一輪の薔薇と、熟れたイチジクが見つかりました。このできごとゆえに、聖リタの図像には薔薇とイチジクが描かれる場合があります。


 聖リタは絶望的な状況にある人を助ける守護聖人です。聖リタの祝日は 5月 22日です。



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