ヴェトナムの殉教聖人
Les Saints Martyrs du Viet Nam, + de 1745 à 1862
(上) パリ外国宣教会 (La Société des Missions Étrangères) に属するヴェトナムの殉教者33名が、1909年5月2日に列福された際の記念カード。
1988年6月19日、当時の教皇ヨハネ=パウロ2世により、1745年から1862年にかけてヴェトナムで殉教した117名のカトリック信徒が列聖されました。この殉教者たちを「ヴェトナムの殉教聖人」(Les
Saints Martyrs du Viet Nam) と呼んでいます。
【カトリック教会による東アジアの教化と、ヴェトナムにおけるカトリック迫害】
15世紀末以降、ポルトガルとスペインは東アジア各地に商館を設けましたが、カトリックの宣教師たちはこれらの商館を拠点として各地へ布教を試みました。1622年には教皇グレゴリウス15世
(Gregorius XV, 1554 - 1621 - 1623) の命により布教聖省 Sacra Congregatio de Propaganda
Fide(現在の福音宣教省 Congregatio pro Gentium Evangelisatione)が創立され、1660年から1662年にかけて、三名の代牧区司教が東アジアに向けてフランスを出発しました。この三名のうち、コトランディ師
(Mgr. Ignace Cotolendi, 1630 - 1662) は途中マチリパトナム(東インド)で病没しましたが、パリュ師 (Mgr.
François Pallu, 1626 - 1684) とランベール・ド・ラ・モト師 (Mgr. Pierre Lambert de la
Motte, 1624 - 1679) はシャム(タイ)のアユタヤで合流し、1665年、当地に聖ヨセフ神学院 (le Séminaire de
Saint-Joseph) を設立しました。この神学院はマレーシアのペナンにあるカトリックの神学校カレッジ・ジェネラル (The College
General) の前身にあたります。
コトランディ師、パリュ師、ランベール師は、アジアに赴任する以前から、外国への宣教師を養成するための学校をパリに設立する計画を立てていました。この計画に従って1663年に設立されたのが、パリ外国宣教会の前身にあたる「外国宣教学院」(Séminaire des Missions Étrangères) で、パリ外国宣教会本部が現在置かれているバック通りの同じ場所に所在していました。
19世紀初頭、ベトナムは阮(グエン)朝により、現在の国土にほぼ等しい領域が統一されました。阮朝の初代皇帝である嘉隆(ザーロン)帝 (Gia
Long, 1762 - 1802 - 1820) はフランスとカトリックに対して友好的でしたが、1820年に帝位を継いだ嘉隆帝の第四子、明命(ミンマン)帝
(Minh Mang, 1791 - 1820 - 1841) は清朝に倣った中央集権的な国づくりを推し進め、1833年にはカトリックに対する迫害を開始しました。1836年には7名のヨーロッパ人宣教師が帝の命により殺害されています。
明命帝を継いだ長男紹治(ティエウチ)帝 (Thieu Tri, 1807 - 1841 - 1847)、及びその息子である嗣徳(トゥドゥック)帝
(Tu Duc, 1829 - 1847 - 1883) も、カトリック禁教令を引き継ぎました。特に嗣徳帝はいったん緩和されていたカトリックへの迫害を強化し、1848年には国外退去の命に従わない信徒の殺害を開始しました。これにより多数の宣教師が斬首され、その遺体は聖遺物にならないように、河に沈められました。嗣徳帝による迫害は、1858年、フランスとスペインがサイゴンを占領し、1862年の壬戌条約でカトリック布教が認められたことにより、ようやく終息しました。
【殉教者たちの列福と列聖】
現在「ヴェトナムの殉教聖人」(Les Saints Martyrs du Viet Nam) と呼ばれている117名のカトリック信徒は、四回に分けて列福されたのち、1988年6月19日に全員まとめて列聖されました。
すなわち、1798年から1853年にかけて殉教した63名が、1900年5月27日、教皇レオ13世によって最初に列福されました。この63名にはヴェトナム人殉教司祭アンドレ・ドゥン=ラク師が含まれます。
次に 1906年5月20日、8名のドミニコ会関係者が列福されました。この8名は1745年から1861年に殉教した人たちで、1773年に殉教した司祭ヴァンサン・リエム師
(St. Vincent Liem, 1732 - 1773) を含みます。師はヴェトナム人最初の殉教者です。
次いで 1909年5月2日、教皇ピウス10世により、1841年から1861年にかけて殉教した21名が列福されました。うち4名がフランス人(エチエンヌ=テオドール・キュエノ師、ピエール=フランソワ・ネロン師、ジャン=テオファン・ヴェナール師、ジャン=ピエール・ネエル師)、17名がヴェトナム人です。なお、この日は他に12名の中国人も列福されています。
最後に 1951年4月29日、教皇ピウス12世により、1857年から1862年にかけて殉教した25名が、「ヴェトナムのドミニコ会殉教者、あるいは安南の殉教者」(Les
Martyrs Dominicains du Viet Nam ou Les Martyrs d'Annam) として列福されました。
四次に亙って列福されたこれらの殉教者は、1988年6月19日、教皇ヨハネ=パウロ2世により、ローマにおいて全員が列聖されました。このうち10名がフランス人で、全員がパリ外国宣教会の宣教師です。11名はスペイン人ドミニコ会士で、うち6名が司教です。残りの96名はヴェトナム人で、14名の修道女を含みます。(註)
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