モンスの聖ギスラン
St. Ghislain/Guislain de Mons, Apôtle du Hainaut
聖ギスラン (St. Ghislain de Mons, + 681) はドイツ出身と思われるベルギーの隠者です。現在のエノー州モンス(Mons,
Hainaut)近郊にあたる地域のウルシドングス(Ursidongus)と呼ばれていた僻地に定住し、聖ペテロと聖パウロに捧げた礼拝堂を建て、ふたりの弟子とともに開墾に従事しつつ布教に努めました。
カンブレ司教、聖オーベール(St. Aubert de Cambrai, + c. 667)は聖ギスランにカンブレへの出頭を命じ、ウルシドングスに隠遁している理由を尋ねましたが、のちには保護を与えることを約しました。そのおかげで聖ギスランは修道院を拡張し、増し加わる弟子たちに霊的指導を与えることができました。モンスの起源である修道院の創立者、聖ワルトルードまたは聖ウォドリュ
(St. Waltrude, Ste. Waudru de Mons, + c. 688) も聖ギスランの弟子の一人です。
聖ギスランの礼拝堂と修道院を中核にしてできたのが、現在のモンス行政区内の町、サン=ギスラン(Saint-Ghislain)です。聖ギスランがモンスに来る前の経歴はまったく不明です。
伝説によると、聖ギスランが衣を脱いで森を開墾しているとき、フランク王ダゴベルト二世(Dagobert II, 650 - 679)が同じ森で狩をしました。付近では母熊が小熊に授乳していましたが、狩におびえた二頭の熊たちは聖人の衣を離れた場所にくわえて行き、その下に隠れて助かりました。
聖人が鷲に導かれて衣の場所まで行ったところ、そこは墓のように小高く盛り上がった土地で、修道院を建設するのに最適の場所でした。この場所こそ聖人が修道院を建てたウルシドングスで、ウルシドングスとは「熊の墓」という意味です。
この伝説に基づいて、聖ギスランの図像では、聖人の側に熊と鷲を描いたものが多く見られます。
民間伝承では「聖ギスランの日が晴れだと、その年の冬は雨が多い」(仏 Temps sec à la Saint-Ghislain nous annonce
un hiver d'eau plein.)と言われています。聖ギスランの祝日は、聖人が亡くなった日である 10月9日です。