南フランス、マルセイユの港を見下ろす高台に、19世紀後半に建造されたバジリク・ノートル=ダム=ド=ラ=ガルドの巡礼記念メダイ。
透かし細工の蓋に大きくあしらわれた十字架、錨(いかり)、ハートは、それぞれ信仰、希望、愛を表します。十字架が信仰の象徴であることは、説明不要でしょう。錨が希望を象徴するのは、下に示した「ヘブライ人への手紙」6章
19節の聖句によります。
わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
(新共同訳)
「錨」は「魚」や「善き羊飼い」と並んで、初期キリスト教徒に最も愛用された象徴的図像のひとつです。下の写真はローマの聖セバスティアヌスのカタコンベに見られるキリスト教徒の線刻で、墓碑銘
(ATIMETVS AVG VERN VIXIT ANNIS VIII MENSIBVS III EARINVS ET POTENS FILIO)
の左に錨、右に魚を刻んでいます。
ちなみに魚はキリストの象徴ですが、これは「イエズス・キリスト、神の子、救い主」というギリシア語のフレーズにおいて、各単語の頭文字を並べると、「魚」(イクテュス)という単語ができることによります。愛が心臓形(ハート形)で表されるのは、かつて魂が心臓に宿ると考えられていたからです。「愛」の象徴には通常のハート形を使う場合がほとんどですが、本品においてはあらゆる愛のうち最も強い愛、すなわち神の愛を象徴する「最強のハート形」ともいうべき図像、キリストの聖心が用いられています。茨に取り巻かれたキリストの聖心からは、人知を超えた強い愛が炎となって噴き出しています。
この蓋をスライドさせると、バジリク・ノートル=ダム=ド=ラ=ガルド(ノートル=ダム=ド=ラ=ガルドのバシリカ)の写真が現れます。写真はバシリカの鐘楼側から撮影されていて、鐘楼の頂上にはマルセイユ市民を見守る「ラ・ボンヌ・メール」(優しい聖母さま)、ノートル=ダム・ド・ラ・ガルド(守護の聖母)の像が見えます。写真は金属枠の付いたガラスに保護されており、ガラスの金属枠は爪でロケットの本体部分に取り付けられています。この爪を起こすとガラスが外れ、写真を入れ替えることも可能ですが、あまり何度も繰り返すと爪が折れますから、注意が必要です。
写真は経年劣化によってセピア色に変色し、画像が薄くなっています。19世紀はアルブミン・プリントの時代でしたが、バシリカの写真を顕微鏡で拡大しても紙の繊維は見えませんので、本品はゼラチン・シルバー・プリントであろうと思われます。1890年代にはアルブミン・プリントとゼラチン・シルバー・プリントが伯仲していましたから、このロケットの製作年代も1890年代から20世紀初頭にかけてのアール・ヌーヴォー期ということになりましょう。ロケットの蓋を取り巻くロープのデザインが左右非対称であるのも、時代を席捲したアール・ヌーヴォーの影響と考えることができます。
ロケットの裏側は、中央にある盾形のスペースに、次の言葉がフランス語で手彫りされています。
Souvenir de Notre-Dame de la Garde ノートル=ダム・ド・ラ・ガルド巡礼記念
盾形はロカイユ (rocaille) と呼ばれるタイプのロココ風の図形に載っており、メダイ周辺には小さなパルメット文が隙間無く並んでいます。
このメダイあるいはロケットはブロンズに銀めっきを施したものですが、突出部分のめっきが部分的に剥がれている程度で、特筆すべき問題は無く、たいへん良好なコンディションです。当時のガラスに封じ込められたセピア色の写真が、アール・ヌーヴォーの時代、ベル・エポックのフランスの香りをいまに伝えています。