1932年11月29日から 1933年1月3日まで、ベルギーにある人口 8,500人ほどの町ボーラン (Beauraing) において、5人の子供たちに聖母マリアが出現しました。最初の出現、及びその翌日の出現の際、聖母は寄宿学校の近くにある鉄道橋の上で空中に浮かんでいました。聖母は丈の長い衣を着て、長いヴェールをかぶっていました。頭からは幾条もの細い光線が発していました。聖母は祈るような形に両手を合わせ、ほほ笑んでいました。ボーランの聖母に対する崇敬は、1943年2月2日に承認されました。
このメダイの表(おもて)面には、右腕にロザリオを掛けて祈るように手を合わせるボーランの聖母を浮き彫りにし、周囲にフランス語で「ボーラン巡礼記念」(souvenir de Beauraing) と記しています。聖母は長い衣と長いヴェールを身に着けています。頭からは多数の光条が発出しています。
裏面には聖母が出現した場所の風景を浮き彫りにしています。裏面の浮き彫りは立体的でないにもかかわらず、現地の風景を写真のように写し取っており、たいへん優れた作品といえます。
ボーランの聖母の出現後、1933年から1935年までは、イエズスの愛を記念する「購いの聖年」とされました。しかしながら聖年が始まった
1933年にはヒトラー内閣が成立し、1935年3月16日にヒトラーはドイツの再軍備を宣言します。同年9月15日にはニュルンベルクにおけるナチ党大会でニュルンベルク法
(Nuernberger Gesetze)
が制定されてナチのハーケンクロイツ(鉤十字旗)が正式のドイツ国旗となり、ユダヤ人に対する本格的な迫害と絶滅政策が始まります。
第二次世界大戦当時、ボーランがあるベルギーは中立国でしたが、1940年5月10日、ドイツ軍はベルギーに侵攻しました。激しい戦闘の末、5月28日、ベルギー軍は数千名の戦死者を出して降伏し、ドイツはベルギーを通ってフランスに攻め込みます。イエズス・キリストと聖母の願いである愛による世界支配とは正反対の、憎しみによる世界支配が間もなく実現し、未曾有の規模の大戦が始まる前夜に、聖母はボーランに現れ給うたのです。
(下) 聖母出現の舞台となったボーランの寄宿学校、「聖心の聖母寄宿学園」(Pensionnat Notre-Dame du Sacre-Coeur)
古い絵葉書から
聖母出現を記念して制作されたメダイのなかでも、「不思議のメダイ」や「ルルドの聖母のメダイ」は多くの種類があります。しかしながら「ボーランの聖母のメダイ」は非常に稀少で、めったに見つかりません。「ボーランの聖母のメダイ」を見たのは、私自身、本品で三点目です。
本品の保存状態はきわめて良好です。数十年前に制作された真正のヴィンテージ品にもかかわらず、表面に磨滅はほとんど見られません。裏面の浮き彫りもたいへん美しく、風景彫刻として芸術の域に達しています。