感染症からの守護聖人 愛犬家の守護聖人 《聖ロックよ、コレラから守り給え 28.8 x 20.0 mm》 十九世紀のフランス社会を映す真鍮製メダイ フランス 十九世紀中頃または後半


突出部分を含むサイズ 縦 28.8 x 横 20.0 mm



 中世以来、西ヨーロッパで最も人気がある聖人のひとり、モンペリエの聖ロックのメダイ。真鍮を打刻して制作されています。





 伝統的図像表現において、聖ロックは貧しい巡礼の身なりで表されます。巡礼姿はサンティアゴ(聖ヤコブ)と似ていますが、聖ロックは多くの場合犬を連れ、脚にできた腺ペストの傷痕を露出しています。

 本品の浮き彫りにおいて、聖ロックはペストから癒されたことを感謝し、また病者への祝福を求めて、神に祈っています。聖人の額のあたりには天上から祝福の光が射しており、聖人の祈りが神に届いていることがわかります。浮き彫りを囲むように、執り成しを願う祈りの言葉がフランス語で刻まれています。

  Saint Roch, priez pour nous.  聖ロックよ、我らのために祈りたまえ。

 聖人の後ろにいるのは、ロケ(Roquet)という名前の犬です。ロケは聖人を養うためにパンを咥えて聖人の許に来ています。ロケは常に聖ロックとともに図像に表されることから、フランス語ではいつも一緒にいるひとたちのことを「聖ロックと犬みたいだ」(仏 C'est St. Roch et son chien.)と言います。またふたつのものが不可分であることを「聖ロックが好きならその犬も好き」(仏 Qui aime St. Roch, aime son chien.)と言います。





 メダイの裏面には、次の言葉がフランス語で刻まれています。

  Saint Roch, préservez-nous du choléra.  聖ロックよ、我らをコレラから救いたまえ。


 本来聖ロックと関係がある病気はコレラではなくてペストであって、二つの病気は原因菌が異なります。しかしながら細菌が病原性を持つこと、各種の病気にはそれぞれに対応する病原体があることは、十九世紀も終わりに近づいてようやく確かめられた事実でした。それ以前の医学では澱んだ空気や沼の瘴気をミアスマ(希 μίασμα 瘴気)と呼んで、これに流行病の原因を求めていたのです。したがって当時の人々にとってはペストもコレラも根は一つであり、聖ロックはそれらのあらゆる流行病から守ってくれる守護聖人と考えられました。





 コレラはもともとインドの風土病でしたが、大英帝国のアジア侵略に伴ってヨーロッパに持ち込まれました。フランスでは 1832年、1848 - 49年、1853 - 54年、1865 - 66年、1883 - 84年、1892 - 94年に流行し、1832年には十万人、1849年には十五万人の死者を出しています。その後の流行による死者は漸減しましたが、十九世紀を通してみると五十万人のフランス人がコレラで亡くなりました。

 コレラ菌は患者の糞便から川に流れ出し、その水が飲用されることで新しい人に感染します。十九世紀中頃までのパリでは飲料水をセーヌから汲んでいましたが、セーヌの水は飲用に適する硬度の上限を五倍ほども上回っていた上に、あらゆるゴミや汚物が投棄されて恐ろしく不潔でした。1853年にセーヌ県知事となったジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン(Georges-Eugène Haussmann, 1809 - 1891)はこれを重大な問題と考え、全長 131キロメートルの水道でデュイス川(Dhuis マルヌの支流)からパリに導水する計画を立てました。この工事は 1863年に始まり、1865年に水の供給が開始されました。同年にはヴァンヌ川の水を引く全長 173キロメートルの水道が計画され、1874年に完成しました。その後もアーヴル川、ロワン川、リュナン川、ヴルジ川等から水道が引かれ、パリのために潤沢な水量が確保されました。

 コレラを発症すると激しい脱水に見舞われ、それまでまったく健康であった人が、およそ二日後にはミイラのような死体になります。コレラの犠牲者は天然痘や結核の犠牲者よりも少なかったのですが、患者の悲惨な死に方は恐怖の的となり、非常に大きな社会的影響を及ぼしました。清潔な水がパリに供給されるようになったのは、コレラをはじめとする感染症流行の結果といえます。





 1883年、コレラ菌(Vibrio cholerae)はロベルト・コッホ(Robert Koch, 1843 - 1910)によってコレラの病原と同定されました。マックス・フォン・ペッテンコーファー(Max Josef von Pettenkofer, 1818 - 1901)はコレラの病因についてコッホの細菌説に反対し、自身を実験台にしてコレラ菌を飲んだことで知られています。コレラの病因についてはフォン・ペッテンコーファーの実験後も医学界で論争が続き、最終的にはコッホ説が認められました。

 コッホ説の勝利は、コレラの病原がミアスマではなかったことを意味します。しかしながらミアスマを不潔な環境と言い換えるならば、これはコレラが発生する必要条件に一致します。コレラ菌が存在しても、ミアスマ(不潔な環境)が無ければコレラは流行しません。社会が感染症を征圧するために最も強力な武器は環境整備であって、十九世紀の衛生学に最大の貢献をしたフォン・ペッテンコーファーの業績は、現在でも高く評価されています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品は十九世紀のフランスで、数次に亙ってコレラが流行したいずれかの時期に制作されたものです。今日では上下水道をはじめとする社会基盤の整備、効果的な防疫、治療法の確立、抗生物質の使用によって、ヨーロッパでコレラが大規模な流行を起こすことはなくなりました。しかしながら病原菌やウイルス、とりわけ RNAウイルスの進化は早く、我々はいつの時代も感染症への対応に追われています。わが国で聖ロックのメダイを目にすることはめったにありませんが、聖ロックはフランス、イタリアを初め、ヨーロッパ全域で心のよりどころとなっており、その信心の広がりはペストやコレラ、麦角病がたびたび流行して社会に壊滅的打撃を受けたヨーロッパの人々の、神に対する真摯な祈りを映しています。







 本品は百数十年前のフランスで制作されたメダイで、美しいパティナ(古色)により真正のアンティーク品ならではの趣(おもむき)を獲得しています。本品は民衆の切なる願いを映す小さな美術品であるとともに、近代的衛生学と細菌学の誕生を間近に控えた時代の歴史的実物資料でもあります。

 聖ロックは流行病から守ってくれる守護聖人であり、犬と愛犬家、皮膚や膝に病気がある人、障害者、いわれ無き中傷に苦しむ人、外科医、ネクタイ職人、墓掘り人夫、古物商、巡礼者の守護聖人です。聖ロックの祝日は 8月 16日です。





本体価格 9,500円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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