1930年代ないし 40年代頃にフランスで制作されたマグダラのマリアのメダイ。指先に載るサイズの作品ですが、フランスの信心具制作に使用される最も高級な素材、800シルバー(純度 800/1000の銀)でできており、小さな高級品といえます。800シルバーを示す「蟹」のポワンソン(ホールマーク)が、上部の突出部分に刻印されています。
メダイの表(おもて)面には、マグダラのマリアの横顔を精緻な浮き彫りで表しています。マリアは裸ですが、豊かな髪がほどかれて、かつて男性に人気のあった聖女の体を隠しています。美しい女性として描かれたマリアは、肉感的な頬や唇のみならず、髪に覆われて見えない項(うなじ)や肩の女性らしい丸みに至るまで、あたかも生身の聖女が眼前にいるかのように完璧に再現されています。
マリアの顔の高さはおよそ 3ミリメートルです。小さすぎて肉眼では細部の判別が困難ですが、浮き彫りの下部、長い髪が体の前後に垂れかかるあたりには、髪が分かれた隙間から裸の肩が露わになっています。キリストに捧げるナルドの香油を前に、マリアは天を仰ぎ、いまはただ神にのみ心を向けて祈っています。
本品は極小サイズであるゆえに彫刻家のサインがありませんが、マグダラのマリアの浮き彫りは、リヨンのメダイ彫刻家であるリュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868) の原作に、ジャン・バティスト・ポンセ (Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901) が手を加えたものです。卓越した才能の持ち主であるにもかかわらず、惜しくも夭逝したメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナンの作品は、19世紀が終わりに近づく頃、同郷の芸術家ジャン・バティスト・ポンセの手によって現代風(すなわち19世紀末風)の典雅さが加えられて、数々の美麗なメダイとなりました。
本品の浮き彫りにはガラス・エマイユが掛けられ、神秘的な深みが表現されています。浮き彫りにエマイユを掛ける技法を「エマイユ・シュル・バス=タイユ」と呼びます。縦横数ミリメートルの小さな画面に正確にエマイユを掛けるのは、たいへん難しいことです。
本品のエマイユには青色のガラスが使用されています。美しく澄んだスカイブルーは、マグダラのマリアがマリア・ヤコベ、マリア・サロメ等と共に流れ着いたといわれる南仏ブロヴァンス、カマルグの空を思い起こさせます。また天空の色である青は天国の象徴であり、キリストの足を悔悟の涙で濡らしたマリアが、いまは天に挙げられて神と共にあることを表しています。
メダイの形は円形が多いですが、本品は上部の突出部分を除けば八角形です。キリスト教では神が天地創造に要し給うた日数「七」を「完全数」、すなわち物事の完結性、完全性を象徴する数と考えますが、「八」は「七」の次の数であるゆえに、物事の新たな始まり、新生、生まれ変わり、新しい命の象徴とされます。全身を水中に浸す洗礼が行われていた時代に、洗礼堂が八角形のプランで建てられていたのも、「八」が有するこの象徴性ゆえです。したがって八角形の中央にマグダラのマリアを配し、青色のエマイユを施した本品の意匠は、悪霊に憑かれ、また売春婦であったともされるマリアに、神が無限の愛と恩寵によって新しい命を与え、天地の隔絶を超えて御許に引き上げ給うたことを表現しています。
メダイの裏面には「ラ・サント・ボーム巡礼記念」(souvenir de la Sainte Baume) と記されています。「ラ・サント・ボーム」とはプロヴァンスのフランス語で「聖なる洞窟」という意味で、マグダラのマリアが隠修生活を送ったとされる洞窟のことです。「ラ・サント・ボーム」はサン=マクシマン=ラ=サント=ボームのマグダラのマリアのバシリカの近くにあります。
本品は数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、古い年代にもかかわらず良好な保存状態です。罪にまみれたマグダラのマリアは地上にあるすべてのキリスト教徒の象徴であり、マリアを完全な救いへと引き上げ給う神の愛を形象化した本品は、キリスト教メダイの小さな名品といえましょう。