マルグリット=マリ・アラコック (Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) は、1920年、教皇ベネディクトゥス15世により列聖されました。本品はおそらく列聖の頃に制作されたもので、一方の面にマルグリット(マーガレット)を模(かたど)り、指先に載るサイズと相俟(あいま)って、たいへん可愛らしいデザインです。しかしながらもう一方の面の彫刻は人間技とは思えないほどに細密で、いまから百年近く前のフランスにおいてのみ制作し得た、現代では再現できない美術品水準の信心具であることがわかります。
メダイの一方の面は、立体的な浮き彫りにより、マルグリットの花を模っています。マルグリットの花はいうまでもなくマルグリット=マリの象徴です。花の彫刻は小さなサイズを忘れさせる力強く大胆な表現で、パレ=ル=モニアル修道院において、初めは周囲に理解されずとも、神とキリストの愛に信頼して聖心の信心を広め、フランス国王ルイ14世にまで書簡を送ったマルグリット=マリの「神に支えられた強さ」、空の鳥、野の花を守り給うのと同様に聖女を支えて導き給うた「神の摂理の確かさ」を視覚化しています。
フランス語「マルグリット」(marguerite) は、ギリシア語「マルガリーテース」(μαργαρίτης)、ラテン語「マルガリータ」(MARGARITA)
に由来し、もともとは真珠という意味です。「マタイによる福音書」 13章45節から46節には次のように書かれています。
マタイ 13:45 - 46 | 45 Πάλιν ὁμοία ἐστὶν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν ἀνθρώπῳ ἐμπόρῳ ζητοῦντι καλοὺς μαργαρίτας: 46 εὑρὼν δὲ ἕνα πολύτιμον μαργαρίτην ἀπελθὼν πέπρακεν πάντα ὅσα εἶχεν καὶ ἠγόρασεν αὐτόν. | また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 |
聖書において、「真珠」はこの上もなく貴重で高価なものであり、上記引用箇所において「天の国」「救い」を表します。したがって本品の意匠であるマルグリット(真珠)も、これと同様に、キリストによる救いを表しています。
なお本品のマルグリットの浮き彫りは、21枚の花弁があるようです。マルグリットの花弁はいずれもフィボナッチ数である13枚、または 21枚であることが多いので、この作品はおそらく実物の花を前にして写生的に制作したものであろうと推測できます。必ずしも細部まで写実的に作られてはいませんが、まさに「写生」の言葉どおり、活き活きとした花の生命を写し取った優れた小品に仕上がっています。
メダイのもう一方の面には、パレ=ル=モニアル修道院の礼拝堂においてキリストの出現を受けるマルグリット=マリを、驚くべき細密浮き彫り彫刻で表しています。
神秘思想家の常として、マルグリット=マリはその生涯に亙り、神、キリスト、聖心、諸聖人と、ほとんど日常的といえるほどに交感していましたが、なかでも1673年12月から1675年6月までの一年半の間に三度の「大きなアパリシオン(出現)」を経験し、聖心に対する信心を広めるように神から命じられています。三度の大きなアパリシオンのうち、「キリスト」が出現した、とマルグリット=マリ自身が書き遺しているのは、1674年に起こった二度めのアパリシオンです。このメダイに浮き彫りにされているのはおそらく二度目のアパリシオンで、胸に燃える聖心から発する強烈な光輝に包まれたキリストの姿は、二度めのアパリシオンを記録した聖女自身の記述に拠っています。
この浮き彫りにおいて、修道女マルグリット=マリは礼拝堂の床に跪き、体の前で合わせた両手を首のあたりまで挙げ、ややのけぞるように上方を見上げています。マルグリット=マリの前には祈祷書が投げ出されており、聖女が脱魂状態に陥っていることがわかります。修道衣やヴェールの襞はたいへん自然で、衣の下には当時
20歳代であったマルグリット=マリの女性らしい体つきが見て取れます。
修道院内のミサを写実的に表すならば、修道女は後方に見える格子の向こう側にいるはずで、マルグリット=マリが格子の手前(一般信徒側)に描写されている点は史実と異なります。しかしながらそもそもキリストの幻視はマルグリット=マリの心のなかで起こったことであり、キリストが三次元空間の中に物体化して出現したわけではありませんから、キリストと聖女の空間的位置関係は重要ではありません。キリストが聖女に対して精神の信心を広めるように命じ給うたこと、聖女がキリストに全身全霊を捧げ、その命に従おうとしていることこそが大切なのです。
この面の浮き彫りは信じがたいほど細密です。上の写真は実物の面積を数百倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。キリストの顔や手、聖心、またマルグリット=マリの顔や手足、投げ出されてページが開いた祈祷書などの細部は、いずれも
1ミリメートルに満たないサイズです。祭壇や内陣障壁、背景に見える柱頭などの細部もおろそかにされていません。キリストは祭壇の手前、内陣障壁の上あたりに浮かび、さらに手前に聖女が跪いていることもよくわかります。
それにしても、この面はなぜこれほどまで精密に、パレ=ル=モニアル修道院礼拝堂の内部を再現しているのでしょうか。キリストの幻視がマルグリット=マリの心の中で起こったことであるならば、キリストと聖女の姿のみを表しても良いように思えます。またマルグリット=マリが格子の修道女側ではなく一般信徒側にいるように敢えて表現されていることと、礼拝堂各部が精密、正確に表現されていることの間にも、一見したところ矛盾が感じられます。
本品を制作したメダイユ彫刻家が、礼拝堂内部をこれほどまでに精密に再現した理由は、キリストの出現がマルグリット=マリの病的幻覚でも錯覚でもなく、神が定め給うた救済の経綸(けいりん 摂理)のなかで、聖女の身に実際に起こったということを示すためです。すなわちキリストの幻視はマルグリット=マリの心の中で起こったことですが、その内的性格にかかわらず、現実の礼拝堂で起こった客観的事実なのです。神はマルグリット=マリを選び、実際に聖女に現れ給うて、聖女を神の器と為し給うたのです。
本品の二つの面の浮き彫りは、異なる表現方法によりつつも、いずれも優れた作品となっています。すなわち力強く大胆な花の彫刻は、空の鳥、野の花を守るようにマルグリット=マリを支え給い、聖心の信心を広める器として用い給うた「神の摂理の確かさ」を視覚化しています。またパレ=ル=モニアル修道院礼拝堂内部を精密に再現した裏面は、キリストがマルグリット=マリに対して実際に現れ給うたことを示すため、内的事実を三次元空間の出来事として視覚化したものなのです。
本品は百年近く前に制作された真正のアンティーク品ですが、驚くほど良好な保存状態です。突出部分にも磨滅は無く、鋳造当時のままの状態で細部まで保存されています。