十七世紀フランスの修道女、聖ジャンヌ・ド・シャンタル(Ste. Jeanne de Chantal, 1572 - 1641)のメダイ。 ジャンヌ・ド・シャンタルは貴族の未亡人で、フランソワ・ド・サール(仏 François de Sales 伊 Francesco di Sales 羅 Franciscus Salesius,
1567 - 1622)とともに聖母訪問会を設立したことで知られています。本品はジャンヌを天上の栄光に満ちた聖人としてではなく、普通の女性として描き出しています。
本品の表(おもて)面には、修道女姿のジャンヌ・ド・シャンタルが浮き彫りにされています。ジャンヌは胸にクロワ・ペクトラルを下げています。クロワ・ペクトラル(仏
croix pectorale)とはフランス語で「胸のクロス」という意味で、教皇、枢機卿、司教、修道院長などの高位聖職者のみが身に着ける十字架で、ジャンヌは聖母訪問会の総長であったゆえに、これを身に着けています。
ジャンヌの浮き彫りを囲むように、「聖ジャンヌ・ド・シャンタル」(仏 SAINTE JEANNE DE CHANTAL)と刻まれています。メダイの下部、ジャンヌの右上腕部あたりにある「ロワール」(LOIRE)の文字は、メダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)のサインです。
わが国で「メダイ」と称される信心具のメダイユでは、聖人像に後光を付けるのが普通です。しかるに本品の浮き彫りにおいて、ジャンヌは後光を有しません。それゆえジャンヌは俗人ではない修道女の姿で描かれつつも、一般信徒から縁遠い聖人ではなく、むしろ修道者となった親族や友人、知人ように身近に感じられる女性として表現されていることが分かります。
近代以前の子供は、現代とは比べ物にならないぐらい高い確率で亡くなりました。ジャンヌ・ド・シャンタルが生きた十七世紀は宗教戦争の時代で、社会的環境は一層劣悪でした。ジャンヌは裕福な貴族の妻でしたから、物質的な不自由さは少なかったかもしれません。しかしながらパルモア病院(神戸にある世界最初の周産期病院)の三宅廉医師が戦時中と終戦後の産婦を統計的に研究して明らかにしたように、「いつ何が起こるか分からない」という不安や怯えは、栄養不足よりも大きな悪影響を母乳の分泌に及ぼします。きっとそのような理由もあってジャンヌは何人もの子供に先立たれ、末娘が生まれたのと同じ年には最愛の夫まで亡くしています。
このような悲嘆を通して、若きジャンヌは辛い立場にある人々の苦しみ、悲しみを身を以て知り、生涯を慈善に捧げることを決心したのでした。1610年、末子にして三女のシャルロットが九歳で亡くなると、ジャンヌはフランソワ・ド・サール師を共同設立者として聖母訪問会(l'Ordre
de la Visitation de Sainte-Marie)を作り、病者や貧者を訪問し、世話をする活動を始めました。
ジャンヌ・ド・シャンタルはフレミオ家という貴族の出身です。ジャンヌ・ド・シャンタルとはフランス語で「シャンタルのジャンヌ」という意味で、シャンタルは領地の名です。ジャンヌ・ド・シャンタルの正式な洗礼名(俗名)は、ジャンヌ=フランソワーズ・フレミオ(Jeanne-Françoise
Frémyot/Frémiot)といいます。
本品の裏面にあしらわれているのはフレミオ家の紋章です。紋章の周囲には、フレミオ家に伝わる格言がラテン語で刻まれています。
SIC VIRTUS SUPER ASTRA VEHIT. こうして徳は星々よりも高くに導く。
当時の貴族社会では、幼い子弟を「奉献の子」として修道院に預け、一族の為に祈りを捧げさせる慣習がありました。しかしながらジャンヌは奉献の子ではなく、ごく普通に結婚し、夫を愛し、何人もの子供を産んだ女性でした。
このメダイは表(おもて)面の肖像に後光を付けず、裏面には宗教に無関係なフレミオ家の紋章、及びフレミオ家の格言をあしらって、ジャンヌの「普通の女性」としての側面を強調しています。ともすれば一般信徒からは縁遠く感じられる聖人としてではなく、むしろ信仰の先達である普通の女性としてジャンヌを描く本品の意匠には、俗人の日常生活と宗教の間を繋ぎ、「観想修道会に身を置かずとも、日常生活を通して神に近づくことができる」というメッセージが籠められています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は二十世紀半ばのフランスで制作された品物で、ジャンヌ・ド・シャンタルの没後三百周年(1941年)または列聖二百周年(1967年)の記念メダイと思われます。いずれの年に作られたにせよ数十年前のヴィンテージ品ですが、古い年代にもかかわらず、突出部分もほとんど磨滅していません。本品の保存状態は極めて良好で、特筆すべき問題は何もありません。