稀少品 エドモン・ベッケル作 「パリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」 ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの油彩に基づく美麗メダイ 直径 15.3 mm


突出部分を除く直径 15.3 mm

フランス  1920 - 30年代頃



 パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴと、その聖遺物箱のメダイ。パリのメダイユ彫刻家、エドモン・ベッケルによる美しい作品です。





 メダイの片面には背筋を伸ばした聖女の立ち姿が刻まれています。静謐さと精神性が溢れるこの聖女像は、十九世紀後半のフランス画壇を代表する画家、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ (Pierre Puvis de Chavannes, 1824 - 1898) の作品です。

 ピュヴィス・ド・シャヴァンヌはフランス政府の依頼に応じ、1893年から98年にかけて、パンテオンの柱間四つ分に新たな作品を制作しました。


(下) Puvis de Chavannes, "Ste. Geneviève ravitaillant Paris", "Ste. Geneviève veillant sur Paris endormi", 1893 - 98, huile sur toile, Panthéon, Paris




 柱間四つ分のうち、三つ分は一続きで、クローヴィスの父であるサリ族の王シルデリク1世が464年にパリを攻囲し、市中に食糧が無くなったとき、決死の覚悟で船を仕立ててトロワから食糧を運び込んだパリの守護聖女ジュヌヴィエーヴを描きます。「パリに食糧をもたらす聖ジュヌヴィエーヴ」("Ste. Geneviève ravitaillant Paris") には、画家自身による次の言葉が添えられています。

  Ardente dans sa foi et sa charité, Geneviève, que les plus grands périls n'ont pu détourner de sa tâche, ravitaille Paris assiégé et menacé de la famine.

  信仰と愛に燃えるジュヌヴィエーヴは、如何に大きな危険に遭っても使命を貫いて、包囲され飢餓に瀕するパリに食糧を運ぶ。



 もうひとつの柱間部には、「眠るパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」("Ste. Geneviève veillant sur Paris endormi") を描きます。この作品には、画家自身による次の言葉が添えられています。

  Geneviève, soutenue par sa pieuse sollicitude, veille sur Paris endormi.

  ジュヌヴィエーヴは、子を想う信仰深き母の愛情を以って、眠れるパリを見守っている。






 "soutenue par sa pieuse sollicitude" を直訳すると「敬虔な配慮に支えられて」となりますが、"sollicitude"(配慮、世話)というフランス語は、母が幼い子供を心配してあれこれと世話を焼くような場合に使われる言葉であり、守護されるべきパリを常に気に懸ける守護聖女ジュヌヴィエーヴの、母のように強い愛情と優しさを感じさせます。


 パンテオンの作品はピュヴィス・ド・シャヴァンヌの画業を集大成した最晩年の作品であり、画家自身、友人宛ての手紙の中で次のように書いています。

  Je vais choyer le Panthéon quand j'en aurai fini avec l'Hôtel de Ville Je veux en faire mon testament.

  市役所(訳注 パリ市役所のこと)の仕事が終わったら、パンテオンにじっくりと取り組むつもりだ。パンテオンを、私の最後の作品にしたいと思っている。






 とりわけ最後の作品となった「眠るパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」は、類い稀な傑作として広く知られています。聖ジュヌヴィエーヴのモデルを務めたピュヴィス・ド・シャヴァンヌの妻マリ・カンタキュゼーヌは、画家がこの作品を制作している途中の1898年8月に亡くなりましたが、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは妻の死の直後、同年9月10日に、次のように書いています。

  J'ai un peu repris mon travail, et je rêve au jour où j'en aurai fini avec mon Panthéon. Il me semble qu'après je n'aurai plus qu'à me coucher. C'est une sensation qui me poursuit. Rien n'est plus naturel et plus logique: ayant beaucoup travaillé, j'ai bien droit au repos sans en déterminer d'avance la durée.

  少しずつ仕事に戻っている。パンテオンの作品が完成する日のことを夢に見ている。その後は横になるだけだろう。そういう気がしてならないのだ。これはまったく当然で論理的だ。これまでたくさん働いたのだから、前もって期限を決めずに休息する権利があるはずだ。






 ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは最後の力を振り絞って「眠るパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」の制作を進めました。1898年9月22日には次のように書いています。

  Heureusement mon travail n'en est que très peu atteint, tout marche régulièrement. Je ne laisserai pas de traînards; c'est ce qui me soutient.

  幸いなことに、仕事の遅れはほとんど取り戻せている。すべて順調に進んでいる。落後するのは我慢がならない。その気持ちが私の支えだ。



 「眠るパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」を完成させたピュヴィス・ド・シャヴァンヌには、もはや力が残っていませんでした。ヌイイのアトリエから退いたピュヴィス・ド・シャヴァンヌはそのまま床に就き、1898年10月24日、すなわち妻の死の2カ月後、閑静なヴィリエ通りのアパルトマンで、妻の後を追うように亡くなりました。遺体はヌイイに埋葬されました。

 ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが完成させた最後の二点は、1899年の初頭、パンテオンの壁面に取り付けられました。





 ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの「パリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」を浮き彫り彫刻に再現したのは、パリのメダイユ彫刻家エドモン・ベッケル (Édmond Becker, 1871 - 1971) です。メダイの周囲には次の言葉がフランス語で記されています。

  E. B. d'après Puvis de Chavannes  ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの原画に基づき、エドモン・ベッケルが彫刻


 ベッケルは弱冠二十歳であった 1892年にサロン展に初出展し、未だ二十代であった1900年、高級宝飾店ブシュロンがパリ万国博覧会に出品した作品のデザインによって、金メダルを受賞しました。また1911年のサロン展では一等(プルミエール・クラス première classe)を受賞しています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖女の顔の高さはおよそ一ミリメートル、手足のサイズは一ミリメートル未満です。昔のこととて小柄であったに違いないジュヌヴィエーヴですが、パリを見守ってすっくと立つ姿は、己を棄てて神のために生きる聖女の頼もしさ、常人の及ばない強さを感じさせます。

 本品の元になったのはピュヴィス・ド・シャヴァンヌによる二次元の絵画ですが、メダイユ彫刻家エドモン・ベッケルは類い稀な芸術的才能と卓越した職人的技量により、眠るパリを見守る聖女を三次元の世界に呼び出しています。





 メダイのもう一方の面には聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物容器が非常に精緻な浮き彫りで表現され、次の言葉がフランス語で記されています。

  Chasse de Sainte Geneviève.  聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物容器


 451年にアッティラ (Attila, c. 406 - 453) の率いるフン族がガリアに侵入し、パリの人々も浮き足立ちますが、当時20代後半か30歳そこそこの若さであった修道女ジュヌヴィエーヴは、神を信頼して悔い改めの業を為すように人々に勧め、そうすればパリは救われると説きます。パリの人々はジュヌヴィエーヴに従い、フン族はパリを攻めずにオルレアンに向かいました。

 464年にシルデリク (Childeric I, c. 440 - c. 481) がパリを攻囲して市中に食料がなくなったときも、ジュヌヴィエーヴは船を使って包囲を突破し、トロワからパリに穀物を運び込みました。上に示したピュヴィス・ド・シャヴァンヌの左側の作品は、このときの様子を描いたものです。またジュヌヴィエーヴは、捕虜となった兵士を人道的に扱うようにシルデリクに願い出ています。ジュヌヴィエーヴの愛と自己犠牲はシルデリクの息子クローヴィス (Clovis I, c. 466 - 511) を動かし、捕虜たちは後に解放されました。


 ジュヌヴィエーヴは死後に聖女とされ、パリの守護聖人と崇められるようになりましたが、その遺体の大部分は革命のさなかの1793年にグレーヴ広場で焼却されてしまいました。その後 1871年のパリ・コミューンで、遺体の焼け残った部分もあらかた失われましたが、1885年、教会はパンテオンを聖ジュヌヴィエーヴ教会として聖別しました。今日パンテオンは国民廟としても教会としても使われています。聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物は指の骨一個だけが残り、パリのサン=テティエンヌ=デュ=モン教会 (l'Église Saint-Étienne-du-Mont) に安置されています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物容器、すなわち聖女の遺体を入れた棺は、単身廊式バシリカのような形をしています。本品メダイにおいて、メダイユ彫刻家エドモン・ベッケルは驚くべき精緻さで聖遺物容器を再現しています。二次元に近い浮き彫りでありながらも、完全な三次元性の表現に成功した出来栄えは、エドモン・ベッケル個人の芸術的才能もさることながら、メダイユ彫刻の国フランスの文化的伝統に裏付けられています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品はパリに生きた画家がパリの守護聖女を描いた生涯最後の作品を、生粋のパリっ子であるメダイユ彫刻家が浮き彫りで再現した「フランスそのもの」のようなメダイです。直径 1.5センチメートル余りのサイズは大きすぎず小さすぎず、上品なペンダントとしてご愛用いただけます。

 数十年前に制作された真正のヴィンテージ品ですが、保存状態はたいへん良好であり、特筆すべき問題は何もありません。突出部分にも特筆すべき磨滅は無く、鋳造当時のままの状態で細部まで残っています。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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