フランシスコ会の紋章をオック十字と組み合わせた珍しいメダイ。二十世紀前半、おそらく 1920年代頃のフランスで作られた品物です。直径二十八ミリメートルという大きなサイズに関わらず、十字架部分が透かし細工になっているために、軽やかな印象を与えます。
オクシタニア(l'Occitanie 現在の南フランス)のラングドック (le Languedoc) 地方は、中世においてトゥールーズ伯家に支配されていました。クロワ・オクシターヌ(仏
une croix occitane オック十字)はトゥールーズ伯家の紋章にある十字架で、ギリシア十字のように全ての腕木の長さが等しく、各腕木の先端部に三つずつ、合計十二個の小球が付きます。これらの小球は十二使徒を表すと言われます。クロワ・オクシターヌは、現在ではオクシタニア、そのなかでも特にラングドックの象徴となっています。
ラングドックはカタリ派の地として知られます。
十世紀後半以来、西ヨーロッパでは分離派(改革派、異端派)の運動が頻発しました。この動きは十一世紀後半のグレゴリウス改革期にいったん沈静化しますが、十二世紀初頭になると各地で分離派(異端派)が復活しました。
異端のイメージが強いカタリ派は、その実態において福音的プロテスタントの先駆に他なりません。ルター派やカルヴァン派は武力においてカトリック側と互角に戦ったゆえに、カトリック側に殲滅されず、現在まで存続しています。これに対してカタリ派はカトリック側と戦って敗北したゆえに、教会組織が壊滅に追い込まれました。カタリ派をめぐる事の成り行きは、我が国の切支丹の状況とたいへん似ています。
インノケンティウス三世は弱冠三十六歳で教皇位に昇りつめた人物で、何事に対しても意欲的な性格でした。この教皇はアルビジョワ十字軍を呼びかけ、カタリ派が多いラングドック地域で住民の殲滅を進めました。我が国では島原の乱(1637
- 38年)の際に島原半島南部の住民が皆殺しになり、小豆島などの天領や九州各藩から農民を移住させたほどでしたが、ラングドックではこれと同様のことが起こったのです。カトリック側がラングドックをほぼ平定すると、インノケンティウス三世はここに教皇直属の異端審問所を置き、フランシスコ会とドミニコ会に運営を委ねました。
しかしながらこれら二つの修道会のうち、フランシスコ会は1280年頃までに、主流派である修院派(仏 conventuels コンベンツァル会)と、清貧に徹しようとする聖霊派(仏
spirituels)に分裂しました。両派の対立は十三世紀末から激化し、1318年にはあくまでも清貧を主張して教皇に従わない聖霊派フランシスコ会士四名が異端と宣告され、マルセイユで火刑に処せられるに至りました。
聖霊派フランシスコ会(仏 franciscains spirituels)は異端審問制度を批判し、清貧と禁欲、使徒的生活を志す同志とも言うべき分離派(カタリ派)を修道院に匿いました。異端審問に反対した闘士として最もよく知られる聖霊派フランシスコ会士は、ベルナール・デリシウ(Bernard
Délicieux, c. 1260 - c. 1320)です。ベルナール・デリシウは、1319年、異端審問を妨害した等の嫌疑により、ドミニコ会のベルナール・ギイ(Bernard
Gui, c. 1261 - 1331)から有罪を宣告され、翌 1320年、カルカソンヌの獄中で亡くなりました。モンペリエ、トゥールーズ、ベジエには、ベルナール・デリシウの名を冠した街路があります。
小さき兄弟会(フランシスコ会)とほぼ同時代の改革派として、ワルド派があります。アッシジの聖フランチェスコ(1182 - 1226)はカトリック教会が認める聖人中の聖人であり、ときに第二のキリストとさえ呼ばれます。これに対してピエール・ワルド(1140 - c. 1218)のワルド派は、フランチェスコの小さき兄弟団と同様の心性により、同様の使徒的生活を送ったにも関わらず、カタリ派と同様に、カトリック教会によるによる殲滅的殺戮の対象となりました。
カトリック教会がワルド派を武力で絶滅させたのは、彼らの思想にモンタニスム(羅 MONTANISMUS 仏 le montanisme)、すなわち堕落した聖職者を通して与えられる秘跡は無効であるとする考えを感じ取ったからです。思想の結果である行動だけを取り上げれば、これはカトリック教会のいわゆる堕落を批判するか否かの違いにしか見えません。しかしながらここには神学上の重要な問題が関わっています。すなわち小さき兄弟団は秘跡の有効性が神の力による(羅
EX OPERE OPERATO)と考えたのに対し、ワルド派は秘跡の有効性が聖職者の徳性による(羅 EX OPERE OPERANTIS)と考えたのです。カトリック教会が聖霊派フランシスコ会士たちを火刑に処したのも、聖霊派の思想のうちにモンタニスムへの接近を感じ取ったからに他なりません。
あらゆる改革派は、保守派への批判から生まれる以上、保守派の徳性の低さを批判しがちです。しかしながら聖職者の徳性が低いという批判は、カトリック教会内部の心ある人々にも共有されていたのであって、そのような批判自体は殺戮の理由にはなりませんでした。カトリック教会がワルド派、カタリ派、フランシスコ会聖霊派に死の宣告を下したのは、秘跡の有効性に関して、彼らのうちにモンタニスムの匂いを嗅ぎ取ったからです。
カトリック教会への批判は経済的損失に繋がりますから、教会としてはそれを避けたいと言う本音もあったでしょう。実際、三百年後の分離派(ルター派)は露骨なモンタストでしたが、ルター派は軍事的に強かったために、カトリック教会は彼らを絶滅させることに失敗しました。その結果カトリック教会は「教皇庁の牝牛」とあだ名されていたドイツを喪い、大きな経済的打撃を受けました。しかしながら少なくとも建前において、カトリック教会が分離派に対して行った徹底的な殺戮には、神学的な根拠があったのです。
本品メダイの盾形部分には、ラテン語でコーンフォールミタース(羅 CONFORMITAS)、フランス語でコンフォルミテ(仏 conformité)と呼ぶフランシスコ会の紋章があしらわれ、その下にクリストグラム(仏
christogramme キリストを象徴する記号)のひとつであるイオタ・エータ・シグマを付しています。イオタ・エータ・シグマはイエースース(希
Ἰησοῦς 救い主の名)の最初の三文字で、本来はギリシア語アルファベットですが、西ヨーロッパではラテン・アルファベット(ローマン・アルファベット、ローマ字)に似た異体字がよく使われます。本品のイオタ・エータ・シグマも、ラテン・アルファベットのアイ・エイチ・エスと同じ字形になっています。
コーンフォールミタース、コンフォルミテは、いずれも「一致」という意味で、受難し給うイエスの裸の腕と、粗い修道衣を着た聖フランチェスコの腕が、十字架を背景に交差しています。イエスの手には釘の孔が、フランチェスコの手には聖痕による孔が、いずれも大きく口を開けています。
コーンフォールミタース(コンフォルミテ)という名称は、十四世紀のフランシスコ会士ピザのバルトロメオ(Bartholomaeus Pisanus,
1338 - 1401)が著した「聖フランチェスコの生と、我らの救い主イエスの生の一致」(羅 De Conformitate vitae Beati Francisci ad vitam Domini Jesu redemptoris
nostri)という本に由来します。同書によると、フランシスコ会の聖人ボナヴェントゥラ(St. Bonaventura, c. 1221 - 1274)は枢機卿になったとき、小さき兄弟会の全会員がキリストに連なることを願いました。枢機卿ボナヴェントゥラはこの願いゆえに、キリストの右腕とフランチェスコの左腕を付け根で重ねてV字形に開大させ、扇でいえば要に当たる部分に一本の釘を打ち付けた図像を、自身の紋章としました。
この紋章はボナヴェントゥラの列聖を描いた十五世紀のフランドル絵画にも登場しており、当時既に広く認知されていたことが分かります。この紋章が発展し、交差する腕の意匠に変化したのが、現在知られている図像です。
コーンフォルミタース(コンフォルミテ)をオック十字と組み合わせた本品を手に取るとき、筆者(広川)はラングドックの改革派(カタリ派)信徒を匿ったフランシスコ会士を思い起こします。彼らはカトリック教会に属する修道士でしたが、使徒的生活を我が事として真摯に求め、改革派の生き方に同情と連帯を感じました。彼らもまた、改革派(カタリ派)の人々と同様に、火刑になっても信念を曲げませんでした。フランシスコ会とラングドック、二つの象徴を組み合わせた本品メダイは、地上にあって大きな力に翻弄されつつ、純粋な信仰のみを追い求めた人々へのオマージュ、小さな記念物といえましょう。
メダイの裏面には次の言葉がフランス語で記されています。
Loue soit Notre Seigneur Jésus Christ toujours. 我らの主イエス・キリストに永遠の讃美あれ。
本品の裏面は縁がわずかに高まり、鋳ばりが残っていることから、打刻ではなく鋳造で制作された品物であることが分かります。鋳造によるメダイユ制作は鋳型から抜いた後にも研磨の工程があり、打刻に比べて数倍の手間がかかります。二十世紀のメダイは産業的な量産品も多いですが、本品は半ば手作業でひとつひとつ制作された作品であり、心を込めて作られた工芸品といえましょう。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品はいまからおよそ百年前のフランスで制作された品物ですが、古い年代にかかわらず、保存状態は極めて良好です。浮き彫りは細部までよく保存され、突出部分にも磨滅はほとんど認められません。
クロワ・オクシターヌ(オック十字)とフランシスコ会の紋章の組み合わせはたいへん珍しく、バランスの取れた意匠と細密浮き彫りの出来栄えは、小さな本品を本格的な美術工芸品へと高めています。視覚的に軽やかな透かし細工はペンダントとして愛用しやすく、どのような色の服装ともよく馴染みます。特筆すべき問題は何もなく、お買い上げいただいた方には末永くご愛用いいただけます。
本体価格 21,800円 販売終了 SOLD
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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