中世以降音楽の守護聖人とされるようになった聖セシリアのメダイ。聖セシリアは二世紀末から三世紀中頃の殉教者で、ラテン語でサンクタ・カエキリア(SANCTA CAECILIA 聖カエキリア)、フランス語でサント・セシル(Sainte
Cécile 聖セシル)、イタリア語でサンタ・チェチリア(Santa Cecilia 聖チェチリア)といいます。メダイ表(おもて)面の右端にはフランス語で「サント・セシル」の文字が、左端には彫刻家ペナンのサイン
(PENIN) が、それぞれ刻まれています。裏面には白百合が浮き彫りにされています。
表(おもて)面には「オルガンを奏でる聖セシリア」が浮き彫りにされています。オルガンの上にはクルシフィクスの基部が見えます。神の愛はクルシフィクスから発出する光として視覚化されています。セシリアは神の愛に照らされてオルガンを奏でつつ、クルシフィクスを見上げています。オルガンは両手を使って演奏できる鍵盤数がありますが、セシリアは右手を鍵盤から放して胸のあたりに挙げています。神に向かって右手を差し出そうとしているようにも見えますし、右手を胸に当てて祈ろうとしているようにも見えます。聖女の傍らに描かれた白百合は、純潔を象徴するとともに、殉教者セシリアがキリストに選ばれた花嫁であることを表します。
聖セシリアがオルガンと共に描かれるようになったのは14世紀で、これは聖セシリアの祝日である11月22日の聖務日課(修道院で行われる定時の祈り)のうち、朝課(午前3時の祈り)の際に唱えられる次の一節に由来します。
CANTANTIBUS ORGANIS CAECILIA VIRGO IN CORDE SUO SOLI DOMINO DECANTABAT DICENS, FIAT, DOMINE, COR MEUM ET CORPUS MEUM IMMACULATUM, UT NON CONFUNDAR. | オルガンが鳴り響く中、おとめカエキリアは心の中で主にのみ向かって祈り、次のように言った。主よ。私の魂と体を汚れ無きものとしてください。私が恥を見ることが無いように。(広川訳) |
この言葉はもともと詩篇119篇80節を敷衍(ふえん)したものです。
FIAT COR MEUM IMMACULATUM IN JUSTIFICATIONIBUS TUIS, UT NON CONFUNDAR. | わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう。(新共同訳) |
したがって本品に浮き彫りにされたセシリアは、「主よ。私の魂と体を汚れ無きものとしてください」、「わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように」と祈っているのです。
(上) Raffaello, "L'Estasi di santa Cecilia", c. 1514, olio su tavola trasportata su tela, 236 x 149 cm, Pinacoteca Nazionale, Bologna
セシリアをオルガンと共に描いた作品のうち、最も有名なのはラファエロ (Raffaello Sanzio, 1483 – 1520) の油彩板絵「聖セシリアの脱魂」でしょう。この作品には死を象徴するもの(メメントー・モリー)のひとつである楽器が多数描かれ、聖セシリアの手にも携帯用オルガンが見えます。「携帯用オルガン」(伊 organo portativo, organetto 仏
orgue portatif)は、単旋律の聖歌を奏でる小さなオルガンで、鍵盤の反対側にふいごが付いており、奏者はこれを動かしながら演奏します。近代語の「ポルタティーヴォ」「ポルタティフ」は、ラテン語の「ポルトー」(PORTO FEROの反復動詞 「身に着ける」「持ち運ぶ」の意)に由来します。「オルガーノ・ポルタティーヴォ」とは、「手に持つオルガン」という意味です。
この作品において、オルガンをはじめとする諸々の楽器は地上の感覚的世界を象徴しています。ラファエロは楽器を壊れた状態に描くことで、ここに描かれている聖人たち、すなわち向かって左から右に、使徒パウロ、使徒ヨハネ、セシリア、アウグスティヌス、マグダラのマリアの魂が「エクスタシス」(ἔκστασις 脱魂、恍惚)の状態にあること、すなわち地上の感覚的な喜びを超越し、天上から響くハルモニアにのみ耳を傾けていることを強調的に表しています。
ラファエロがオルガンを地上の感覚的世界に結び付け、メメントー・モリーとして描いているのに対し、本品を制作したメダイユ彫刻家ペナンは、オルガンを賛美の道具としてむしろ神と天上界に結び付け、肯定的意味を籠めて描いています。オルガンの側面には聖人の像が彫られています。
ここに彫られているオルガンは、聖堂内の身廊前部に置かれる「据え置き型オルガン」(伊 organo positivo 仏 orgue positif)です。近代語の「ポジティーヴォ」「ポジティフ」等は、ラテン語の動詞「ポーノー」(PONO,
-ere, posui, positum 「置く」の意)のスピーヌム幹あるいは完了分詞幹に形容詞語尾が付いた形で、「(手に持たずに)置くオルガン」という意味です。大抵の据え置き型オルガンはアップライト・ピアノを少し高くしたぐらいのサイズで、大オルガンよりもはるかに小さく、移動が可能です。据え置き型オルガンには本品に彫られているような独立式のものもありますし、別の台に載せて使われるものもあります。鍵盤はほとんどの場合一段です。しかしながら携帯用オルガンと比べると、据え置き型オルガンの音域は広く、両手を使ってポリフォニー(多声)音楽を演奏することができます。
(上) 多色刷り石版による小聖画 110 x 59 mm (額のサイズ 149 x 111 mm 厚さ 14 mm) イタリア 1982年頃 当店の商品です。
ところでラファエロ作「聖セシリアの脱魂」にはさまざまな楽器が描かれていますが、ラファエロはそのなかから携帯用オルガンを選んでセシリアに持たせています。ラファエロがセシリアに携帯用オルガンを持たせた理由は、聖務日課の祈りに出てくるのがオルガンであるということに加えて、美術表現において諸々の楽器を代表するのが携帯用オルガンであるという事情によります。携帯用オルガンは音楽を擬人化した女性像「ムシカ」(MUSICA)
のアトリビュートとして、写本挿絵などに最もよく描かれる楽器です。ラファエロはセシリアに持たせた携帯用オルガンによって、地上の音楽全てを象徴しています。携帯用オルガンが象徴する音楽は地上のものとは限らず、携帯用オルガンを持つ奏楽天使の図像もよく見られます。上の作品はフラ・アンジェリコによる奏楽天使で、フィレンツェのサン・マルコ美術館に収蔵されています。
ラファエロがセシリアとともに描いたオルガンは、それゆえ、楽器の代表ともいえる携帯用オルガンでした。これに対してペナンの作品では、セシリアは据え置き型オルガンを演奏しています。ペナンはこの作品において、なぜ携帯用オルガンではなく据え置き型オルガンを採用したのでしょうか。筆者(広川)はその理由を、本品が信心具であるゆえと考えます。
既に述べたように、携帯用オルガンの演奏者は左手でふいごを動かしながら、右手で単旋律の音楽を演奏します。これに対して据え置き型オルガンは音域が広く、両手を使ってポリフォニー音楽を奏でることができます。据え置き型オルガンのふいごはオルガンの裏側にあり、奏者とは別の人がふいごを操作します。演奏者は鍵盤を操作してパイプの弁を開閉させ、ふいご係が送る空気を、神を賛美する音楽、祈りの音楽に変えます。
聖人のメダイは、その聖人に執り成しを求めるための信心具です。聖人は信徒の祈りを神に取り次ぎ、信徒は聖人と共に神を賛美します。聖セシリアのメダイを持つ人は、聖セシリアに執り成しを求め、聖セシリアと共に神を賛美します。このメダイにおいてオルガンのふいごを動かしているのは、聖セシリアに執り成しを求める人自身です。優れたメダイユ彫刻家であるペナンは、聖女に据え置き型オルガンを弾かせることにより、聖女に執り成しを求める人を聖セシリア伝の世界に参加させ、神への祈りと賛美を聖セシリアと共に捧げさせているのです。
本品の直径は 15.7ミリメートルです。お使いのモニタの設定にもよりますが、上の写真は実物の面積を数十倍から百倍以上に拡大しています。定規のひと目盛は1ミリメートルです。
聖女の横顔の高さは 2ミリメートル弱ですが、目鼻立ちはたいへん整っています。クルシフィクスに目を注ぎ、口を開いて賛美している様子もよくわかります。セシリアは薄絹のヴェールを被り、チュールの袖が付いた花嫁衣装を着ています。白百合のような純白のドレスを通して、胸の膨らみや肩の丸みなど、女性らしい体つきがよく表現されています。セシリアの髪の流れ、衣の襞、聖堂の奥行、天から降り注ぐ光など、画面のすべてが迫真の臨場感を以て表され、指先に載るサイズのミニアチュール彫刻であることを忘れさせます。
このメダイは数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、突出部分に摩耗は無く、細部まで制作当時の状態で残っています。数ある「聖セシリアのメダイ」のなかでも最も優れた作例のひとつであり、信心具の域をはるかに超えて、十分に美術工芸品と呼べる水準に到達しています。フランスで極度に発達したメダイユ芸術の神髄を示すミニアチュール彫刻であり、名品中の名品といっても過言ではありません。