西暦 249年頃にアレクサンドリアで殉教した女性聖アポリーヌ(Ste Apolline d'Alexandrie アレクサンドリアの聖アポローニア)、及びイタリアの聖地ロレトで崇敬される聖母子像ノートル=ダム・ド・ロレト(Notre-Dame
de Lorette ロレトの聖母)を主題に、百五十年以上前のフランスで制作された真鍮のメダイ。 北フランスにある二つの町の教会が共同で制作した珍しい品物です。特に聖アポリーヌ(聖アポローニア)のメダイは稀少で、長年に亙ってメダイを扱ってきた筆者も、本品がようやく二点目の入手です。
オー=ド=フランス地域圏パ=ド=カレー県の小さな町バイエンエム=レ=エペルレク(Bayenghem-lès-Éperlecques)は、フランス本土の北東端付近に位置します。この町には十八世紀に建てられたサン=ヴァンドリル教会(l'Église
saint-Wandrille)があります。本品の聖アポリーヌは、この聖堂に安置される彩色像を写しています。
本品に浮き彫りにされた聖アポリーヌ(聖アポローニア)は緩やかな衣を身に纏い、修道女が使うような縄で腰の部分を括(くく)っています。頭部には長い髪を隠すヴェールの代わりに、殉教の栄冠を象徴する冠あるいはティアラを戴きます。右手に持つナツメヤシの葉は、頭上に戴く冠と同じく、殉教者の栄光を象徴します。左手に持つやっとこ(ペンチ)は、聖アポローニアのアトリビュート(英
attribute 持物 じぶつ)です。聖女に執り成しを求めるフランス語の祈りが、浮き彫りを囲むように刻まれています。
Sainte Apolline, priez pour nous. 聖アポリーヌよ、我らのために祈り給え。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。メダイに打刻された浅浮き彫りをサン=ヴァンドリル教会の聖アポリーヌ像と比べると、像の全体的な姿勢は言うに及ばず、持ち物の細部や個々の衣褶(いしゅう 衣の襞)に至るまで、元の丸彫り像を完全に再現していることが分かります。
もう一方の面にはイタリアにある有名な聖母子像ノートル=ダム・ド・ロレト(Notre-Dame de Lorette ロレトの聖母)を、打刻による浅浮き彫りで描いています。聖母子に執り成しを求めるフランス語の祈りが、メダイの周囲に刻まれています。
Notre-Dame de Lorette, patronne de Macou, priez pour nous. マクゥの守護聖女なるロレトの聖母よ。我らのために祈り給え。
オー=ド=フランス地域圏ノール県のコンデ=シュル=レスコー(Condé-sur-l'Escaut)は、ベルギーに接するフランスの町です。この町の最もベルギーに近い部分がマクゥ(Macou)で、昔はコンデとは別の村でした。マクゥにはノートル=ダム・ド・ロレト教会(l'Église
Notre-Dame de Lorette)があります。ロレトの聖母はマクゥの守護聖人です。
マクゥの教会がロレトの聖母に捧げられ、この聖母がマクゥの守護聖人になった経緯については不詳です。しかしながらノール県の西隣、パ=ド=カレー県のアブラン=サン=ナゼール(Ablain-Saint-Nazaire ノール=パ=ド=カレー地域圏)にはノートル=ダム=ド=ロレト教会があって、十九世紀当時は巡礼者を集めていました。フランス北東端のこの地域でロレトの聖母が慕われているのには、アブラン=サン=ナゼールの聖地「ロレトの聖母の丘」(la colline de Notre-Dame de Lorette) が影響していると思われます。
「ヨハネによる福音書」一章によると、イエスは神のことば(希 λόγος ロゴス)です。イエスは三位一体の第二位格「子なる神」でもあります。しかるにイエスは聖母マリアの息子でもあります。マリアの子としてのイエスは神ではなく、半神でもなく、完全な人間(まったくの人間)です。キリスト論ではこのことを神人二性の位格的結合
(羅 unio hypostatica) と呼びます。
位格的結合とは、イエス・キリストが「神性と人性の二性において混合せず、変化せず、分かたれず、分離せずに」(羅 in duabus naturis
inconfuse, immutabiliter, indivise, inseparabiliter)存在する、という意味です。この位格的結合は理解しがたく思えますが、要するに「マリアの子としてのイエスは神ではなく人間である」ということを言っています。
ノートル=ダム・ド・ロレトが纏(まと)う長寸の衣は釣鐘に似た形状で、聖母子は一体となって衣に包まれています。これはキリストが救済の経綸(けいりん 神の計画)にしたがって人性を備え給い、マリアの子として、すなわち人間の赤ん坊として、お生まれになったことを視覚化しています。聖母子を一体にして包む衣は、十六世紀末に生まれた表現です。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。この面の打刻は聖アポリーヌの面にも増して細密です。聖母子の顔や衣の刺繍など、いずれも数分の一ミリメートルの細部が、極めて丁寧に表現されています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
聖アポリーヌは歯科医師の守護聖人、ロレトの聖母は旅行者と飛行士の守護聖人です。上で説明したように、本品の聖アポリーヌはパ=ド=カレー県の教会にある像を写し、ロレトの聖母はノール県の村の守護聖人として呼びかけられています。聖アポリーヌ、ロレトの聖母はいずれもヨーロッパ全域で篤く崇敬される守護聖人ですが、本品は特にオー=ド=フランス地域圏(旧パ=ド=カレー地域圏)に縁(ゆかり)の深いメダイとなっています。
聖アポリーヌ像を安置するバイエンエム=レ=エペルレクのサン=ヴァンドリル教会は、巡礼地として知られているわけではありません。マクゥ(現コンデ=シュル=レスコー)のノートル=ダム・ド・ロレト教会についても、事情は同じです。したがって本品はおそらくただ一度、ごく限られた数だけが打刻されたものです。
バイエンエム=レ=エペルレクのサン=ヴァンドリル教会は十八世紀の建物ですが、後陣が完成したのは 1857年です。またマクゥのノートル=ダム・ド・ロレト教会が建ったのは、1863年です。したがって本品は、サン=ヴァンドリル教会の後陣完成とノートル=ダム・ド・ロレト教会の建設を記念して、1863年に制作されたメダイであることが分かります。バイエンエム=レ=エペルレクのサン=ヴァンドリル教会と、マクゥのノートル=ダム・ド・ロレト教会の間には、それぞれの主任司祭を通して緊密な関係があったのでしょう。
本品はいまから百五十年以上前、わが国でいえば幕末期のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。打刻による浅浮き彫りは非常に細密で、細部まで良く残っています。ロレトの聖母のメダイはあまり見かけることがなく、聖アポリーヌのメダイはさらに稀少です。大規模な巡礼地ではない北フランスの小さな町で、教会の慶事を記念して制作された本品には、カトリック信仰が日常生活の背骨となっていた十九世紀フランスの精神風土が、ミニアチュール彫刻となって記録されています。