二十世紀初頭のフランスに如何にも相応しいアール・ヌーヴォーのメダイユあるいはペンダント。イエス・キリストの横顔を浮き彫りにした円形メダイユを、流水あるいは植物の曲線をかたどる日本風の枠で囲んでいます。枠の最上部付近に見られる検質印は、純度
800/1000の銀無垢製品を示します。本品は枠が透かし細工となっているせいで、見た目の大きさに反して軽量であり、日々ご愛用いただけます。
本品は一枚の銀板を打ち抜いたのではなく、円形メダイと曲線の枠をそれぞれ別に制作し、鑞(ろう)付けによって一体化しています。円形メダイの片面には、直線的でアリアルな十字架、及び十字架型の意匠と組み合わせた後背を背景に、イエス・キリストの横顔を浮き彫りにしています。
円形メダイのこの面は、周辺部から中央に向かって緩やかな凹状になっています。このためイエスの横顔はいっそう立体的な浮き彫りに仕上がっています。また同じ理由によって突出部分の摩滅は抑制され、救い主の目鼻立ちや髭、肩に掛かる髪などの細部がよく保存されています。キリストの前方、あご先あたりに、メダユール(仏
médailleur メダイユ彫刻家)のイニシアルが刻まれています。
円形メダイのもう片面には、枯れた茨が浮き彫りにされています。茨をはじめ棘のある植物は神からの離反、罪、罪が結果としてもたらす魂の死を象徴します。茨の上部は環状になっており、イオタ・エータ・シグマと十字架を組み合わせたモノグラムが重ねられています。
キリストを象徴する記号をクリストグラムと総称します。イオタ・エータ・シグマ(ΙΗΣ)はイエースース(Ἰησοῦς)の最初の三文字で、クリストグラムのひとつです。イオタ・エータ・シグマはギリシア語の大文字で
"ΙΗΣ" と書きますが、シグマ(Σ)は異体字(S)で代用されることがあり、シグマの音価をエス(S)で表す西ヨーロッパにおいて、この現象はとりわけ顕著です。また西ヨーロッパではイオタの代わりにカロリング小文字ヨット(j)及びその大文字形(J)が頻用されます。フランスで制作された本品のモノグラムも西ヨーロッパ的な特徴を備えており、ギリシア・アルファベットのイオタ・エータ・シグマ(ΙΗΣ)は、ラテン・アルファベットのイ・アシュ・エス(IHS)にしか見えません。
説明が少し長くなりましたが、要するに本品に彫られたイ・アシュ・エス(IHS)の三文字はイオタ・エータ・シグマ(ΙΗΣ)と等価であって、イエスを表すクリストグラムです。本品ではクリストグラムと十字架が組み合わされていますが、これは受難のイエス・キリストの意味に他なりません。そうであってみれば、クリストグラムに重なって環状に見える茨はイエスが受難の際に被り給うた茨の冠であり、茨の全体は枯死した生命樹の隠喩であることに気づきます。
「ダニエル書」四章に記録されたバビロン王ネブカドネツァルの夢には、大地の中心に生える大木が登場します。王の夢に出てきた大木を、預言者ダニエルはネブカドネツァル自身と解釈しました。「ダニエル書」の当該箇所は十六世紀のイエズス会士ガスパル・デ・ロアルテ(Gaspar
de Loarte, S. J.,1498 - 1578)が 1570年にローマで出版した著書「救い主キリストの御受難を黙想するための手引きと助言、ならびに御受難に関する幾つかの黙想」("Instruttione e avisi per meditare la passione di Christo Nostro Redentore; con alcune Meditationi di essa", per il P. Gaspar Loarte Dottor Teologo, della Cpmpagnia di Giesu, Roma,
1570)に取り上げられました。この本はヨーロッパじゅうで広く読まれたのみならず、キリシタン時代のわが国でも訳出され、1607年、長崎のイエズス会で印刷された「スピリツアル修業」に、第二篇「御パシヨンの観念」として収録されています。
デ・ロアルテ師はネブカドネツァルの大木を「地の中心で十字架に架かり給うたキリスト」(Christo crocifisso nel mezzo
della terra)の前表と解釈しました。キリストの十字架、あるいは十字架上のキリストこそは生命樹であって、美しい葉を繁らせ、甘い実を実らせます。その蔭には全ての生命あるものが安らいます。
パリのビブリオテーク・ナシオナル・ド・フランス(フランス国立図書館)に、「フランス語写本 No. 1036」が収蔵されています。この写本の物語では、人祖アダムの子のひとりであるセトが、死期が迫った父アダムの求めにより、救いをもたらす聖油を貰うためにエデンの園を訪れ、生命の樹と思われる大木をケルビムから見せられます。生命の樹は泉の傍らにあって、泉から流れ出る水は四本の大河となり世界を潤していましたが、セトが目にした生命の樹は枯れたようになっていました。
これに対してネブカドネザル二世の夢に出てきた生命樹は、たいそう美しい葉を鬱然と繁らせ、美味なる果実をたわわに実らせています。デ・ロアルテ師はこの生命樹を、救い主の前表、あるいは救い主が架かり給うた十字架の前表と解釈しました。この解釈に従うならば、生命樹が美しい葉を繁らせて、美味な果実をたわわに実らせる様子は、救い主の内に充溢する生命(「ヨハネによる福音書」十四章六節)を表すとともに、救い主の受難によって救世が達成される事実を示しているといえます。
翻って本品の浮き彫りを見れば、生命樹は枯れた茨として表されています。枯死した生命樹は死を象徴します。しかしながら枯死した生命樹と重なるように、本品には月桂樹が彫られています。注意深く観察すると、月桂樹は枯死した生命樹の手前に彫られています。この位置関係は、茨の上部にあるクリストグラムと共通しています。環状の茨が茨の冠を想起させることは先ほど述べたとおりですが、クリストグラムは茨の環に環に囲まれてはおらず、その手前で輝いています。
よく知られている通り、月桂樹は勝利を象徴します。それゆえ枯死した生命樹の上に月桂樹を重ねた意匠は、死に対するキリストの勝利を表します。これと同じく、茨の冠の上に受難のキリストを重ねた意匠も、キリストが十字架上において救世を達成し、死に勝利し給うたことを表します。
メダイのこの面と曲線の枠には、テ・エム(TM)またはエム・テ(MT)のイニシアルと 1916年6月22日(22, Juin, 1916)の日付が、ビュラン(仏
burin 彫刻刀)を使った美しい手彫りで刻まれています。これは子どもの名前と洗礼またはコミュニオン・ソラネルの日付です。1916年は第一次世界大戦中に当たります。
現在の先進国では、生まれた子供のうちのほとんどが、幼少期を無事に通過して大人になります。しかしながら本品が作られた近代のヨーロッパでは状況が違いました。本品が作られた時代を二十年ほど遡った1890年頃の統計では、英仏独をはじめとする西ヨーロッパ諸国においておおよそ
15パーセントの子供が一歳になるまでに、20パーセントの子供が二歳になるまでに、25パーセントの子供が五歳になるまでに亡くなりました。生きて成人できる子供は50パーセント弱です。この頃に子供を持っていた親自身の世代は状況がさらにひどく、1850年頃でいえば、上述の死亡率が各年代ともおよそ5パーセントずつ上がります。特にヨーロッパ・ロシア(Европейская
часть России ロシアのヨーロッパ部分)では、1896年から97年の統計で見ても、42.2パーセントの子供が五歳になるまでに死んでいます(
Coale, A.J. and Demeny, P., "Regional Model Life Table and Stable Populations", Princeton University Press, Princeton, 1966)。
要するに第一次世界大戦以前のヨーロッパは、たとえ平時であったとしても、子供が死ぬのはごく普通のことでした。運が悪ければ、五人、六人と産んだ子供が全員幼児期に死んだり、十人産んでもひとりしか成人しないというようなことも、充分にあり得たのです。このような時代の親たちは、子供はいつ死んでもおかしくないものと半ばあきらめつつも、できることなら愛しいわが子が無事に成長してくれるように強く願い、祈りました。本品裏面のイニシアルと日付には、とりわけフランス全土が戦場となった殺戮戦の時代において、子供の安全と幸福を何よりも強く願った親の祈りが籠められています。
曲線の枠上部に突出した環状部分には、フランスにおいて純度 800/1000の銀を示す検質印が刻印されています。
近代フランスにおいて、第一次世界大戦期までのヨーロッパは貧富の差が極端に大きく、銀無垢製品は普通の人々にとってなかなか手に入れることができない高価な品物でした。フランスをはじめこの時代のヨーロッパでは富の大半が富裕層に集中していました。たとえば
1910年のフランスにおいて、上位一パーセントの富裕層が富の70パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位十パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を90パーセントの国民が分け合う状況でした。一部の富裕層以外は、全員が下層階級というように、社会が極端に二極分化していたのです。それゆえ信心具の素材として銀は極めて高級で、ふつうはブロンズ製メダイのめっきにのみ使われました。本品はこのような時代に作られた銀無垢メダイであり、大多数の人々にとって、めったなことでは手に入らない品物でした。
この時代の銀無垢メダイは、小さく薄い作例がほとんどです。しかるに本品は突出部分を含む縦が 28.8ミリメートル、横が 23.1ミリメートルと大きなサイズであるうえに、十分な厚みがあります。突出部分に見られる軽度の磨滅は、本品が死蔵されず、大切に愛用された品物であることを物語っています。
第一次世界大戦以前のフランスでは未だ世俗化が進まず、新生児の洗礼に始まって葬儀に至るまで、人々はカトリック教会に庇護されて人生の各段階を通過しました。コミュニオン・ソラネルは一人前のカトリック信徒になる儀式ですが、それはすなわち一人前の若者として社会から認められるということでもありました。フランスの子どもにとって、コミュニオン・ソラネルは一生に一度の特別な機会であったのです。めっきではない銀無垢の本品には、子どものこれからの人生に幸多かれと祈る両親の愛が籠められています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、さらにひと回り大きなサイズに感じられます。
アンティーク品の魅力は同じ物が手に入らないことに加え、品物が作られたときの社会の在り方や時代精神が、意匠や材質に反映されていることです。また未販売の新品にはないアンティーク品の魅力は、ひとつひとつの品物が固有の歴史性を帯びていることです。
本品は意匠と材質に関して美術史及び社会史上に特別な場所を占めています。本品が作られた第一次世界大戦期は、近代の終幕に当たる時代です。フランス近代美術史には画期となる幾つかの出来事がありますが、なかでも日本の開国に伴う日本美術の流入は、メダイユ彫刻をはじめとするラール・デコラティフ(仏
l'art décoratif 装飾美術)における最も大きな出来事であり、典雅なアール・ヌーヴォー様式としてフランスに実を結びました。またほとんどのフランス国民が貧しかった時代に、銀無垢の信心具は子供の幸せを願う親の手に入る最高級の品物であり、現代の金や宝石に比べても、本品には親の愛がより一層際立って顕われていることがわかります。
これらの特徴に加え、本品は実際に身に着けられたアンティーク品ならではの豊かな歴史性を備えています。筆者(広川)はできることなら本品を手許に置いておきたいとさえ思います。お買い上げいただいた方には、必ずご満足いただけます。