33歳で十字架にかかり給うたイエズス・キリストの死と復活、昇天から 1900年めにあたる 1933年からの一年間は「購(あがな)いの聖年」に定められましたが、この聖年は一年間延長されて、1935年の復活祭まで続きました。聖年の締めくくりである 1935年の復活祭において、教皇のミサはローマではなく、ルルドで行われました。これはその記念のメダイで、リヨンの名匠アドルフ・ペナン
(Adolphe Penin, 1888 - 1985) の手によるものです。
メダイは片面に教皇ピウス 11世、もう片面にクルシフィクスを戴く世界球、及びルルドにおけるミサの光景を刻んでいます。ピウス11世を浮き彫りにした面は、教皇の柔和な横顔を囲んで、次のラテン語が記されています。
PIUS XI PONTIFEX MAXIMUS 教皇ピウス11世
メダイの周囲には次の言葉がラテン語とフランス語で刻まれています。
JUBILAEUM REDEMPTIONIS CONCLUDITUR, Lourdes, 25 - 28, avril, 1935 購いの聖年が終わる 1935年4月25日から28日
四日間に亙る日付が刻まれているのは、この間、昼夜を分かたず連続して、マサビエルの岩場の前でミサが挙げられたからです。最後にミサを挙げたのは、教皇特使であり当時ヴァティカン国務長官であったパチェリ枢機卿
(Mgr. Eugenio Maria Giuseppe Giovanni Pacelli, 1876 - 1958) です。この4年後、パチェリ師は教皇ピウス12世
(Pius XII 在位 1939 - 1958) となります。
教皇の像の下端に、アドルフ・ペナン (Adolphe Penin, 1888 - 1985) の作であることを示す刻印 (PENIN) があります。リヨンのメダイ彫刻家アドルフ・ペナンはフランスを代表する名匠です。
もう片方の面には聖母が出現した洞窟の前でミサを挙げ、聖体を頭上高く奉挙する教皇特使パチェリ枢機卿が刻まれています。ルルドの聖母は手首にロザリオを掛け、天を仰いでいます。ルルドの岩場は浅浮き彫りであるにもかかわらず、彫刻家の優れた技量によって、たいへんリアルに再現されています。画面右下の縁に彫刻家のサイン
(PENIN A LYON) があります。その反対側の縁には、次の言葉がラテン語で刻まれています。
MISSARUM TRIDUUM IN SPECU MASSABIELLE マサビエルの洞窟における三日間のミサ(MISSARUM TRIDUUM 直訳
「ミサの三日間」「ミサが行われた三日間」)
メダイの左上には地球の上に立つ巨大なキリスト磔刑像と、「キリストの平和」(PAX XTI) というラテン語を浮き彫りにしています。"PAX
XTI" は "PAX CHRISTI" を省略した表記です。ここで使われている "X" はラテン字母の「エックス」ではなく、ギリシア字母の「キィ」です。キリスト(クリストス)をギリシア語で表記すると
"XPISTOS" となり、その頭文字 "X"はキリストを表す略号としてよく使用されます。
十字架を上に乗せた球体は「世界球(グロブス・クルーキゲル)」(GLOBUS CRUCIGER ラテン語で「十字架付の球体」)といい、世界あるいは全宇宙の支配権を表します。このメダイ彫刻においては、究極の愛の業(わざ)であるキリストの磔刑像を世界球に乗せることにより、キリストが全宇宙の支配者であること、また愛の業こそが全世界を支配すべきであるということを高らかに宣言しています。
聖年が始まった 1933年は、ヒトラー内閣が成立した年です。このメダイが記念する復活祭のひと月前、1935年3月16日にヒトラーはドイツの再軍備を宣言し、9月15日にはニュルンベルクにおけるナチ党大会でニュルンベルク法
(Nuernberger Gesetze) が制定されてナチの鉤十字旗が正式のドイツ国旗となり、ユダヤ人に対する本格的な迫害と絶滅政策が始まります。メダイに込められた願い、愛による世界支配とは正反対の、憎しみによる世界支配が間もなく実現し、未曾有の規模の大戦が全世界で戦われるなか、フランスもドイツによって国土を蹂躙され、首都パリも陥落します。しかし聖母はフランスを守り給い、この10年後には日本が降伏して世界大戦は終結することになります。
このメダイは 70年以上前に鋳造された真正のアンティーク品ですが、摩耗はまったく見られません。稀少な品であり、かつ新品のようなコンディションです。