三十三歳で十字架にかかり給うたイエス・キリストの死と復活、昇天から千九百周年にあたる 1933年からの一年間は「贖(あがな)いの聖年」に定められました。本品はこの聖年を記念するメダイです。
一方の面には教皇ピウス十一世の柔和な横顔が浮き彫りにされています。教皇の横顔を囲んで、次の言葉がラテン語が記されています。
PIUS XI PONTIFEX MAXIMUS, ANNI JUBILAEI 1933 - 34 教皇ピウス11世 1933年から34年の聖年
本品が制作された 1933年は、ヒトラー内閣が成立した年です。また聖年中の 1934年8月2日にドイツのヒンデンブルク大統領が亡くなると、同月19日の大統領選にヒトラーが当選して国家元首となりました。1935年3月16日にヒトラーはドイツの再軍備を宣言し、9月15日にはニュルンベルクにおけるナチ党大会でニュルンベルク法
(Nürnberger Gesetze) が制定されてナチの鉤十字旗が正式のドイツ国旗となり、ユダヤ人に対する本格的な迫害と絶滅政策が始まります。ピウス十一世は1937年に回勅「燃ゆるがごとき懸念を以って」
("Mit brennender Sorge") によってナチスの非人道性を厳しく批判するとともに、平和維持のために尽力しますが、やがて未曾有の規模の大戦が全世界で戦われることになります。
もう片方の面には十字架上に受難し給う救世主と、十字架の下で嘆く三人のマリアが浮き彫りにされています。イエスの十字架の左右にローマ数字で「三十三」(XXXIII)、「三十四」(XXXIV)とあるのは、「贖いの聖年」の年号です。この群像を取り囲むように、ラテン語で「ユービラエウム・フーマーナエ・レデンプチオーニス」(JUBILAEUM
HUMANAE REDEMPTIONIS 人間の贖いの聖年)と書かれています。
本品が制作された 1933年はアール・デコの時代です。本品にも時代の雰囲気は色濃く投影されており、単純化されたフォルムの人物をほぼ左右対称に配置した意匠に、アール・デコの薫りが感じられます。
(上) ジャン=バティスト・エミール・ドロプシ作 「ゴルゴタの丘に向かう聖女たち」 ブロンズ製の片面プラケット 縦 47.7 x 横 80.0 mm フランス 1880 - 1890年代 当店の商品です。
本品に浮き彫りにされている三人のマリアとは、聖母マリア、聖母の姉妹マリア、マグダラのマリアのことで、「ヨハネによる福音書」 19章 25節に基づきます。同所には「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた」(εἱστήκεισαν δὲ παρὰ τῷ σταυρῷ τοῦ Ἰησοῦ ἡ μήτηρ αὐτοῦ
καὶ ἡ ἀδελφὴ τῆς μητρὸς αὐτοῦ, Μαρία ἡ τοῦ Κλωπᾶ καὶ Μαρία ἡ Μαγδαληνή.) と記録されています。厳密に言うと、この書き方では「母の姉妹」と「クロパの妻マリア」が同一人物かどうかわかりません。十字架の側に立っていた女性として、ヨハネは四人を挙げているのかもしれません。しかしながら本品の浮き彫りにおいては、伝統に基づいて「母の姉妹」と「クロパの妻マリア」を同一人物と解釈し、「三人のマリア」を十字架の側に立たせています。
受難をテーマにしたヨーロッパ美術の伝統に基づいて判断すると、イエスの右(イエスから見て右)に立っているのは聖母です。背が高く表された姿は、聖母の信仰の卓越性を可視的に示唆しています。こちらに背を向けてイエスの足元にすがっているのはマグダラのマリアです。イエスの左(向かって右)にいるのは聖母と同名の姉妹マリアです。「母の姉妹」と「クロパの妻マリア」が同一人物であるとすれば、他の福音書の記述との照合により、この人は小ヤコブとヨセフの母でもあると考えられます。
本品は八十年以上前に鋳造された真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好です。教皇の浮き彫りはたいへん立体的ですが、特筆すべき磨滅は最も突出した部分にも見られません。イエスと三人のマリアの単純なフォルムは意図的な表現であって、磨滅によるものではありません。このメダイは「1933年の聖年」という歴史上ただ一度の機会に制作された稀少な作品であり、現代史の証言としても貴重です。