しかるに美術の表現は民族的、国民的である。その表現に厳然たる国民性の根拠を持たず、民族的特色を発揮せざる時、美術は単に人間の血の通わぬ抽象形式に陥って、人心を感動せしむる実力を失う。美術の本質がたとえ世界性を含み人類的なりといえども、それなるが故に漠然たる世界共通の美術というものが存在する能わざること、ちょうど人間が世界的理想に動こうとも、漠然たる世界人というものがないのと同然である。人間性そのものは世界共通であろうとも ― そしてその共通性は生活の世界化とともにますます顕著になって行くけれども ― 人間は依然として土地風土に即し、民族的遺伝、歴史、習慣および文化的伝統に即して生活を営んで行く。自然原則の支配は宇宙に一様ではあるが、人間生活を取囲む天空の色、日の光、温度、雲煙、山川、草木、大地のたたずまい等々は、各地において異ならざるを得ない。それ故に、本質の世界性は民族的、国土的、ないし国民的表現によりて具象化されて、美術となり得るのである。美術は民族的表現に徹してこそ、はじめてその根柢を支配する世界性に滲透し到達することができる。 | ||
矢代幸雄 「日本美術の特質」第二版 第一編 第一章 美術の世界性と民族性 |