いまから百年近く前、フランスが北アフリカに領土を有していた時代のクロワ・トゥアレグ(トゥアレグ十字)。産業的な方法で生産されたものではなく、伝統技法によって一点ずつ手作りされています。裏面に刻印された「蟹」のポワンソン(ホールマーク)は、本品がフランス本土で制作された銀無垢製品であることを示しています。
本品の表(おもて)面は北アフリカの伝統意匠で飾られています。本品のように小さなサイズの製品を作るには、完成品と同じ形に打ち抜いた金属板を打刻するか、あるいは打ち出し細工を施した金属の薄板を折り曲げて作るのが効率的です。しかしながら本品は高温の銀を細い鋳型に慎重に流し込み、手間をかけて制作されています。三か所に取り付けられた六角錐のフィニアル(末端の飾り)はペンダント本体と同時に成形されたものですが、鋳型から取り出した後にやすりを掛けて仕上げられており、おそらく北アフリカ出身者である職人による手仕事の温かみを留めています。
裏面を見ると、本品が完全な手作り品であることがよくわかります。無機質な工業製品には決して真似のできない表情は、無機物であるはずの銀に生命の息吹を与えて、見る者の心に慈しみを呼び起こします。
上の写真は、裏面二か所の刻印を撮影しています。上方に見える菱形の刻印は、フランスの銀製品工房のマークです。右下に見える「蟹」の刻印は、フランスにおいて「800シルバー」(純度
800/1000の銀)を示すポワンソン(poinçon 貴金属の検質印、ホールマーク)です。
本品の制作時期は第一次世界大戦前後の時代です。当時の銀無垢製品は、ごく限られた階層の人々にしか購入できない贅沢品でしたが、本品は小さなサイズゆえ、高級品でありながらも、普通の人に手が届く価格であったと思われます。
本品の保存状態は極めて良好です。手作り品ならではの、洗練されていない部分はありますが、それが却って味わいとなっています。美観上および実用上の問題は何もありません。