11月17日 日曜日

 今日のスタッフ。






11月11日 月曜日



 昨日引用した「明月記」が何となく頭に残っていて、ふと空を見ると、今夜の月は盈の直前でした。明るくて綺麗だったので、写真に撮りました。望遠鏡を使わずに写したので少し不鮮明ですが、昼と夜の境目にクレーターの凹凸が判別できます。クレーターはギリシア語のクラテール(κρᾱτήρ, κρᾱτῆρος, m.)です。


 最近、自分の死について考えています。それとともに、死ぬまでにどれだけの本を読んで、どれだけのことを学べるのだろうかと考えます。

 私の読書は主に知識を得るためですが、正確な知識を得なければ意味がありません。しかるに紙に印刷されているからと言って、そこに書かれている内容が正確とは限りません。論者によって考えが異なる場合もあるし、簡単に検証できる客観的事実に関しても、著者の思い違いがあり得ます。他の文献に言及する際に、間違って引用している場合もあります。二次資料を読むときは特に注意が必要で、引用元の原典に当たって確認する必要があります。そこまで念入りに確認しても、原典に書かれている内容自体が正しいかどうかは別問題で、これに関しては別に調べる必要があります。

 私が何のことを言っているのかというと、ここ数日、寝る前に、澁澤龍彦さんの「私のプリニウス」を読んでいるのですが、数か所の記述に引っかかっているのです。昨夜読んだ「薬草と毒草」の章にロートス(希 λωτός 蓮)に関する記述があって、『博物誌』第十三巻三十二章からの引用と書かれているのですが、どうもその内容に覚えがありません。忘れているだけかと思って「ナートゥーラーリス・ヒストリア」のマイホフ版テクストに当たりましたが、やはりそのようなことは書かれていません。「私のプリニウス」のあとがきで、澁澤さんはベル・レットルの版とロエブの版に依拠したと書いておられます。それらの版のラテン語テキストには、澁澤さんが引用しておられる記述があるのでしょうか。

 「ナートゥーラーリス・ヒストリア」のチェックに朝から時間を取られて解決しないまま、気が付くと正午を過ぎていました。

 プリニウスに時間を取られている暇など、本当は無いのです。今日は支払日ですし、自分の楽しみに関して言えば、先日から続けて何冊か買った数学と物理学の本を、まだほとんど読めていません。私が主催する英数塾と教養講座のために、準備もしないといけません。今週からはスペイン語講座を始めるし、フランス語講座も続いています。それでもプリニウスはやはり気になります。




(上) 今日のリオナちゃん。一枚目の写真。


 プリニウスだけではなく、自分が知らないこと、憶えきれていないことがあると思うと、気になります。何でも知っているという訳にはゆかないのだから、良い加減なところで見切りをつけて諦めればよいのですが、好奇心を制御できません。昨日はヴェトナムの新興宗教について本を買って調べて、ずいぶん詳しくなりました。その本と一緒に、燃焼に関する化学の本と、大量絶滅の周期性に関する古生物学の本も買いました。私は地学が好きで、一昨日にはオリストストローム(olistostrome)に関する本も我慢できずに買いました。オリストストロームというのは海成の地滑り堆積物のことで、アペニンからシチリアにかけてみられる層がその典型です。

 何も考えずにこの世に生まれてきたのに、そこでは量子が充分に冷えていて、宇宙が未だ膨張しすぎていなくて、分子が集まってこんなにたくさんの面白い物ができているのは、幸運なことだとつくづく思います。身体を構成する分子がうまく組み合わさっているのはほんの一瞬で、これが解(ほど)けると私はいなくなります。それまでの一瞬を楽しみたいです。




(上) 今日のリオナちゃん。二枚目の写真。


 ホイジンガは遊びの本質的特徴を、「その場・そのとき限りの活動であること。生活の他の活動と切り離され、関連を持たないこと」に求めました。人の生と死もその人だけの問題で、他人の生死とは切り離されていますから、その意味で人生は遊びだとも言えます。人生が遊びだなど言うと不真面目の誹りを受けそうですが、フェアプレイ精神に則って真面目に遊ぶことはできます。何がフェアプレイであるかは、友達と遊ぶ幼児と同様に、遊びの過程で考え、学ぶのです。

 死は、その現象面においては、物質の組み合わせの解消に過ぎません。私は唯物論者ではありませんが、この点ではミレトス派の哲学者たちやエピクロスと同意見です。肉体の死を恐れる気持ちはありません。私もにゃんことともに正しく遊び、近い将来に雲散霧消することと致します。



11月10日 日曜日

 遊びたいにゃ~。誰か来てくれないかにゃ~。





 上の写真は、本日のスタッフの様子です。

 今日、東京では天皇皇后両陛下の即位パレードが行われていますが、私もにゃんこも紅旗征戎吾が事に非ずです。維新の際、新都は一旦大坂に決まったのに、天皇は結局畿内を出て東国に下ってしまわれました。毎日顔を合わせるわけでなくとも、やはり身近にいらっしゃらないと親近感が湧きません。関西のにゃんこも同じ気持ちだと思います。


 外のにゃんこ

 リオナちゃん




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