9月30日 火曜日

 一昨日に撮影したほーちゃん。気付かないうちにキャビネットに入り込んでくつろいでいました。




 今日のほーちゃん。お客様にお出ししたお菓子を検査して、お菓子にかけてあった粉糖を鼻の横に付けています。






 最近スポーツクラブに通っています。その日に測定したデータを書き込む所定の用紙があって、その用紙にはマルとぺけぽんで体調を記入する欄があります。他人が見るものでもないし、ただのマルを書くのは面白くないと思ったので、私はマルの代わりに、にゃんこの顔やカッパの顔、かえるちゃんの顔などを描いていました。
 ところが今日、スポーツクラブの人の検印があることに気付きました。いままでは絵を描くのに夢中で気付きませんでしたが、記入用紙はどうやら毎回きちんとチェックされているようです。何気なく描き始めた絵ですが、人目に触れていたのだと思うと気持ちが引き締まります。


9月27日 土曜日

 最近、下の写真に写っているアンティーク・キャビネットがにゃんこたちに大人気です。いつも誰かが寝そべってくつろいでいます。

 ひろちゃん(手前)とげんちゃん。9月26日撮影。

 ひろちゃん(向かって左)とげんちゃん。9月26日撮影。


 昨日は時計関連の仕事、一昨日は宝石関連の仕事で外出して、ほとんど店におりませんでした。そのせいか今日のほーちゃんはいつにもまして私に甘えていて、私から 10センチぐらいの距離にいます。


 アメリカの宝石商がすばらしいゴールデン・サファイアを送ってくれました。ニュー・ヨークやフィラデルフィアでも展示された商品ですが、かなり高価ですのでなかなか売れず、日本で買い手が付くかどうか試してみることになりました。
 セキュリティの関係上、このサファイアは別の場所に保管してございます。ご覧になりたい方がおられましたらご用意いたしますので、事前にご予約くださいませ。


9月25日 木曜日

 営業開始時間を少し遅らせました。4月以降はサマー・タイムで午前 10時開店ということにしていたのですが、最近は同業者との会合等、外出しなければならない用事が多いうえに、真夜中の店内ではにゃんこたちがオリンピックを開催しているせいで、毎朝の原状回復作業に2時間くらいかかります。にゃんこのオリンピックは以前から開かれていたのですが、最近は激しくなってきたように思います。オゾン・ホールとか太陽黒点の数とかに関係があるのかもしれません。
 とにかく、正午の営業開始を目標に日々店内の原状回復に励むことといたします。ご来店の際はゆっくりめにいらしてくださいませ。

 なお外出する用事が無い曜日は午前 10時頃に開店しております。それ以外の日でも事前にご予約いただければ営業時間は柔軟に対応いたします。午前中がご都合よろしければ早めに開店いたしますので、どうぞお申し付けくださいませ。


9月24日 水曜日

 本日撮影したアンジェリカの写真2枚。アンジェリカは長毛種の雑種らしく被毛が長いのですが、ほーちゃんと違って寒がりで、涼しい季節になるとよく家具の上に登っています。床に比べれば気温が少しでも高いのと、白熱電球の温かみのせいでしょう。






9月23日 火曜日

 カトリックの非合理的に思える部分に対して寛容になったと昨日書きましたが、少し補足いたします。

 私がカトリックを受け入れ始めているのは、カトリックが善き行いの源となる立派な宗教であるからです。非合理的なもの一般に対して寛容になったわけではありません。
 たとえば星占いや血液型占いをはじめとする種々の占い、パワー・ストーンによる治療、オーラやエーテル、祟りや呪いや霊、各種の迷信を信じるような人間に対しては、私が非合理的なものに関して本来感じる嫌悪感を通り越して、軽蔑しか感じません。それらはすべて無内容なたわごとであって、善き行いの源となりうるような力など持ちあわせていません。
 星が天球上の定められた位置に張り付いていると考えられていたメソポタミア文明の時代に生まれていれば、あるいは私も大真面目で占星術を研究したかもしれません。しかしいまは21世紀で、天体は中心が無い空間に浮かんでいて、その空間が全方向に膨張しつつあるということ、したがって地球から見た天体の配置は絶えず変化しつつあることは、小学生でも知っています。前提が崩れていることが分かっているのに星占いを信じるのは、元素や素粒子の知識を持ちながら錬金術を信じるのと同じように馬鹿げています。呪いや祟り、霊にしても同様です。死んだ人間が化けて出るのなら、この世界は生きている人間の数万倍もの霊でいっぱいになっていることでしょう。しかし残念ながら私は一度も霊に出くわしたことはありません。
 あらゆる種類の占い師も、オーラや霊が見えるなどという人間も、もしも本気で言っているのであれば病院で治療を受けさせるべきです。まじめな顔でこんな馬鹿げたことを論じる大人がいるという事実に愕然といたします。


9月22日 月曜日

 注文していたマザー・テレサの写真集がアメリカから届きました。マグナムの一員でもあるラグー・ライの作品です。ラグー・ライはマザーがまだ世に広く知られていない頃から、マザーの姿を撮り続けてきました。私はこの写真集が届くのを心待ちにしていて、一気に読んでしまいました。



Raghu Rai, mother teresa: a life of dedication, Harry N. Abrams, Inc. 2004 ISBN 0-8109-5875-9


 本を取り出したあとの箱には、さっそくにゃんこが入っています。ひろちゃんです。このあとよっちゃんほーちゃんも入っていました。



 箱の中はひろちゃん。手前はよっちゃん


 今日、関東地方のお客様からの注文があったので、ロザリオとチャプレットを発送いたしました。

 このごろつくづく、自分が歳を取るにつれて寛容になったと思います。
 高校生のときの私は理神論者とまではゆかないまでも、カトリック信仰の非合理的に思える部分に関して非常に強い違和感を感じていました。キリスト教も宗教である以上、非合理的な要素に無縁ではありえませんが、プロテスタントのほうがまだしも合理的であると思えたのです。聖体の化体説や聖母の被昇天、教皇の不可謬説、聖徒の交わりとそこから派生する聖人の執り成しや他者のための贖宥、土俗宗教との習合にしか思えない聖像や聖遺物への崇敬など、若者であった私が強く拒絶していたカトリックの教説には枚挙に暇がありません。その違和感の結果、カトリックに対する当時の私の心的態度は、全否定に近いものでした。
 しかしマザー・テレサのように、私にはとてもできないことを、数十年ものあいだ神の名の下に為し続けた人を見ると、自分がなんと浅薄であったことかと思います。かといって、高校生の当時に拒絶していたカトリックの教義を、現在では受け入れたというわけではありません。カトリック教会の内部に身を置いてはいない私の目から見れば、それらの教義は原始キリスト教からあまりにも遠く隔たっていると思えます。しかしそれでも良いではないかと思えるようになったのです。教義が大切でないわけでは決してありませんが、それよりもはるかに大切なのは行いで、その大切さはいくら強調してもしすぎることはないと思うようになりました。
 もしも高校生当時の私が、ロザリオや聖水盤、はては聖画や聖像などを身近に置く現在の私を見れば、知性の堕落だと口を極めて非難するでしょう。しかしマザーのように、宗教をはじめとするあらゆる違いを超えて、他者を愛せる人間になりたいと、いまでは心から思えます。


9月21日 日曜日

 最近のにゃんこたちの写真から。下の2枚は9月18日に撮影したものです。ひろちゃん(向かって左)とよっちゃんが仲良く昼寝しています。






 下の2枚は本日のほーちゃんです。ほーちゃんはもともと甘えん坊ですが、近頃はその傾向がいっそうひどくなり、特に今日は仕事をさせてくれませんでした。

 ほーちゃん
のアピールを無視してお客様に時計をお見せしていると、意地でも注目を集めたいらしく、お客様と私の目の前にある棚に入り込んでしまいました。だいぶ拗ねているようで、呼んでも出てきません。仕方が無いので謝りながら引っ張り出して、抱っこしながら接客いたしました。






 次の2枚は本日のひろちゃんよっちゃんです。ひろちゃんよっちゃんは、最近、この家具の上がお気に入りです。お客様が入ってこられても平気で寝ているので、ぬいぐるみとよく間違えられています。






9月19日 金曜日

 キリスト教関連品を3点、追加いたしました。贖宥(しょくゆう)のクルシフィクスのロザリオリジューの聖テレーズのチャプレット1700年代初頭のクレド・クロス付ロザリオ。いずれもアンティークまたはヴィンテージです。


 今日、体力検査を受けました。だいたいの項目が 20歳代という判定でしたが、70歳代と判定された項目がふたつあって、その中間がありません。バランスが悪すぎです。

 何年か前にアルベルティに関する本を読みました。アルベルティは頭脳が優れていただけではなく、人間離れした驚異的な運動能力を有していました。ルネサンスの詩人ミケランジェロにしてもそうです。ミケランジェロは画家、彫刻家でもありましたが、ダヴィデ像やシスティナ礼拝堂の天井画を見ると、いったいどんな体力を持っていたのだろうと、ただただ驚嘆するしかありません。

 時計宝飾品商が頭脳労働と言えるかどうかは「微妙」で、アルベルティやミケランジェロを引き合いに出すと笑われそうですが、ゲーテは「ヴィルヘルム・マイステル」の中で商売(交易)こそが最も頭脳を使う面白く遣り甲斐のある仕事だと書いてくれています。実際、少しは頭も使いますが、どんな仕事をするにしても、何かを成し遂げるためにいちばん大切なのは体力だと、アルベルティの本を読んだときに痛感いたしました。そのことを今日思い出しました。

 70歳代の項目が無くなるように、週明けから体力づくりに励みます。

アルベルティに関する上述の本
Anthony Grafton, Leon Battista Alberti: Master Builder of the Italian Renaissance, Harvard University Press, ISBN 978-0674008687


9月18日 木曜日

 昨日撮影した写真2枚。よっちゃんが宝石商の宿敵、税関ごっこをして遊んでいます。

 あなたの申告によると、宝石 12,000ドル分ということですが・・・。

 もうちょっとありそうに見えますがねぇ。


 今朝撮った写真3枚。高額商品を金庫から出して開店準備をしていると、開いた金庫にさっそくにゃんこが入っています。上段がよっちゃん、下段がたかしです。たかしは幼い頃誤って金庫に閉じ込められた経験がありますが、ちっとも懲りていません。








9月17日 水曜日

 私はクォーツ式時計よりも機械式時計のほうが好きで、特にアンティーク(ヴィンテージ)時計に心惹かれます。しかしクォーツ式時計の存在意義を全面的に否定するつもりは無くて、場面によって使い分ければよいと考えています。現に私自身、雨の日に使うためにクォーツ式時計を持っています。アンティーク(ヴィンテージ)時計は水濡れに弱いので、雨の中、自転車で通勤するときに使うわけにはいかないからです。

 数年前に新品で買ったクォーツ式時計が動かなくなったので、先日メーカーに修理を依頼しました。セイコーのキネティックという方式で、回転錘の動きによって発電した電気を蓄電池に蓄えるという先端技術を駆使した時計です。そのキネティックが修理を終えて、昨日手許に戻ってきました。発売当時に時計に入っていたものよりも容量が大きい蓄電池に交換してあります。以前は蓄電池の容量が小さかったせいで時計がすぐに止まっていたのですが、これで快適に使えるようになるだろうと喜びました。

 ところが説明書を読んでびっくりしました。たしかに蓄電池の容量は増えていますが、蓄えた電気を使い切って時計が一旦止まると、再び使い始める前に回転錘を 2,000回〜3,000回、回すように指示されているのです。これでは1時間近くのあいだ時計を振り回さなければなりません。

 手巻にしても自動巻にしても、機械式時計は竜頭を1、2度回した途端に動き始めます。自動巻の場合など、手首に装着しただけで動き出します。ムーブメントを撮影するときなど、時計が少し傾いて回転錘がほんのわずかに動いただけで天符の動作が始まるので、時計を止めるのに苦労するほどです。

 クォーツ・ムーブメントは100円以下で製造できるほど安価で、優れた点もたくさんありますが、機械式時計の性能にはやはりかなわないのだなと痛感したできごとでした。


 キリスト教関連品を3点、追加いたしました。エチオピア教会のキタブ2点、アイルランドのケルト十字ペンダント1点。ケルト十字ペンダントはアンティークではありません。


《お願い》

 当店宛に送信いただいたEメールが、何らかの理由により届かない場合がございます。昨日も注文のEメールが届いていますかというお問い合わせの電話があり、Eメールの不着が判明いたしました。

 当店宛にいただいたすべてのEメールには、できるだけ当日中に返信しております。もしも返信が無い場合、Eメールが届いていないと思われますので、たいへんお手数ではございますがお電話にてお問い合わせくださいませ。どうぞよろしくお願いいたします。


9月16日 火曜日

 昨日撮影したにゃんこの写真3点。

 不安定なカバンの上でくつろいでいるほーちゃん。カバン上部の平らな部分は、幅2センチメートルです。奥で寝ているのはよっちゃんです。






 カウンターで寝ているひろちゃん。商品が売れている夢を見ているのでしょうか。




9月12日 金曜日

 落ちそうになりながら昼寝をしているにゃんこの写真3点。

 最初の写真はバックパックの上でバランスを取りながら昼寝をするぐみちゃんです。バックパックは空でしたので、傾いて落ちるのは時間の問題だと思いましたが、なぜか最後まで落ちずに昼寝を完了していました。
 ぐみちゃんは細長い当店の天井の桟を驚異的な速度で走り抜けます。距離にして十数メートルはあるのに、幅2センチほどの細い桟を決して踏み外さず、端から端まで2秒台で到達します。このように身軽なぐみちゃんだけに、寝ているときも優れた平衡感覚が働いているのです。ジャイロ・ぐみちゃんとでも呼ぶべきスーパーにゃんこです。9月8日撮影。




 下の2枚はカウンターの上で反り返って寝ているひろちゃんです。寝違えて首が痛くなりそうですし、それ以前に息苦しくないのでしょうか。いずれも9月11日撮影。






9月7日 日曜日

 昨日撮影した写真。1枚目から3枚目までは、ひろちゃん(白黒猫)と、ほーちゃん(黒猫)です。狭いところにふたり乗って昼寝をしています。





 ひろちゃん。こんな姿勢で寝て苦しくないのでしょうか。


 アンジェリカ(手前)と、げんちゃん。



 残暑はまだまだ厳しいですが、にゃんこたちはくっつき合って寝ていることが多いです。冬であれば寒いからくっついているのであろうと思うところですが、いまはそんな季節ではありません。くっついている理由はただひとつ、友達どうし、仲が良いからです。もともと親子でもきょうだいでも幼馴染でもなく、年齢もばらばらですが、ひとりで昼寝するのは寂しいのでしょう。

 にゃんこは犬と違って単独で狩をすることから、社会性に乏しいかのように誤解されることがありますが、実際には人間に対しても他のにゃんこに対しても細やかな愛情を抱いて生活しています。
 犬のような群居性の動物は狩や子育て等、生きてゆくための作業を行うのに社会性を必要としているわけですが、にゃんこはそれらの作業を単独で行うにもかかわらず、人間や他のにゃんこに対する愛情を備えています。この事実は、にゃんこの感情生活と社会性が、生存のための必要を離れて、群居性の動物の場合よりもむしろいっそう高度に発達している証拠であると思います。


9月5日 金曜日

 ふと気が付けばもう5日です。明日で9月の1/5が終わったことになります。早いですね。

 今月から週に数回、通勤途中にプールに通おうと思っていたのですが、私がプールのある施設付近を通る時間と、プールが営業を開始する時間に隔たりがあることが分かり、どうしたものかと思案中です。ロビーで勉強でもして時間を潰すしか仕方がなさそうです。

 9月3日に撮ったほーちゃんの写真。ここ2、3日は、洗面所のボウルに嵌まり込んで昼寝をするのがほーちゃんのマイ・ブームです。







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