銀無垢ケースの高級品 《シーマ 十五石》 最初期の男性用腕時計 懐中時計を髣髴させる八角形 スイス 1918年


 スイス北西部ヌーシャテル州のラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)は人口 37,000人ほどの町で、フランス語圏に属します。近世以降、当地では大時計から始まって、やがて振り子時計が、次いで早くも十七世紀半ばには携帯用時計(懐中時計の前身)が作られるようになりました。ラ・ショー=ド=フォンは多数の有名メーカーが本拠を置く時計の聖地であり、ル・ロックル(Le Locle)とともにユネスコの世界遺産にも指定されています。

 エガナイム(Hégenheim グラン・テスト地域圏オー=ラン県)はスイスと国境を接するフランスの町です。エガナイム出身のテオドール・シュウォブ(Théodore Schwob, 1839 - 1896)は、はじめ父の職業を継ぐ馬の仲買人としてラ・ショー=ド=フォンに暮らしはじめましたが、やがて採算が取れなくなってきたので時計の仕事に鞍替えし、シュウォブ社(Schwob frères)を設立しました。このシュウォブ社がシーマ社(Cyma Watch Co SA)の源流です。





 建物に造り付けたり、壁に掛けたり、家具の上に置いたりする時計を、英語でクロックと呼びます。これに対して持ち運び可能な小型時計を、携帯用時計と呼びます。携帯用時計を英語で言うと、ウォッチです。




(上) 1920年に製作されたコンヴァーティブル・ウォッチ 腕時計専用機が登場する直前の女性用時計で、ペンダント・ウォッチと腕時計の両様に使えます。


 十九世紀以前の時代、携帯用時計(ウォッチ)といえば懐中時計を指しました。懐中時計のムーヴメントは例外なく円形で、ケースも大多数が円形でした。最初に腕時計を使い始めたのは女性たちで、1900年代の女性は特殊なバンドを使用し、ペンダント・ウォッチ(小型の懐中時計)を手首に着けました。1910年代に入ると、ペンダント・ウォッチの六時側にバンド用金具を取り付け、ペンダント・ウォッチとしても腕時計としても使えるコンヴァーティブル・ウォッチが発売されました。このようにペンダント・ウォッチを腕時計に転用した時計を、トランジショナル・ウォッチ(英 a transitional watch 移行期の携帯用時計)と呼びます。




(上) グリュエン 《カルトゥーシュ》 産声を上げたばかりの腕時計 1922年


 トランジショナル・ウォッチのケースは円形でしたが、1920年代に入って腕時計専用機が登場すると、目新しい四角い時計に人気が集中し、大部分の女性用時計は四角いデザインになりました。上の写真はその例です。




 男性は 1920年代頃まで懐中時計を使う人が多く、腕時計の登場は女性よりも遅れました。しかしながら一部のおしゃれな男性は、早くも 1910年代末に腕時計を使い始めました。男性用懐中時計は手首に巻くには大きすぎたので、男性の場合はトランジショナル・ウォッチの段階を経ずに、腕時計専用機が使われ始めました。

 1920年頃の女性用腕時計は四角くて、懐中時計時代の面影を完全に払拭しているのに対し、同時代の男性用腕時計は懐中時計の性質を色濃く残しています。それゆえこの時代の男性用腕時計専用機は、腕時計と懐中時計の特徴を併せ持つ点で、トランジショナル・ウォッチと看做すことができます。





 1920年頃になると、長方形、トノー型(樽型)、楕円形等の細長いムーヴメントが、四角い女性用時計のために開発されました。しかしながら男性用ムーヴメントは円形のままでした。当時は男は外で働き、女は家庭を守る時代でしたから、男性用時計は女性用時計よりも正確に動く必要がありました。しかるに女性用時計の小さなムーヴメントは精度に不安があったので、男性用時計には懐中時計の円形ムーヴメントがそのまま流用されたのです。

 その一方で、いち早く腕時計を使い始めた洒落者の男たちは、女性たちと同様に、四角い時計を欲しがりました。四角い大型ケースに女性用時計の小さなムーヴメントを入れれば、四角く大きな男性用時計が出来上がります。しかしそれではケース内の空間が無駄になり、精度の点でも不安が遺ります。それゆえ本品は男性用時計に相応しいサイズのムーヴメントを採用しつつ、ケースを八角形とすることで、角ばったデザインを実現しています。





 本品と現代の時計を比べると、一見して大きな違いは無いようにも見えます。しかしながら本品は百年以上前、腕時計がようやく誕生した時代の品物であり、ケースの構造や文字盤の材質に懐中時計の名残りを留めています。バンドの取り付け方にも、最初期の腕時計ならではの特徴が見られます。

 本品のケースに見られる第一の特徴は、円形ムーヴメントを搭載しつつも角ばった時計を作るために、後の男性用時計に見られない八角形となっていることです。これはすでに説明した通りです。

 第二の特徴は、ケースがスリー・ピース構造になっていることです。現代の腕時計ケースは本体と裏蓋の二部分で成り立ち、ベゼルはケース本体と一体化しています。しかるに十九世紀の懐中時計ケースは、ベゼル、ケース本体、裏蓋の三部分に分かれていました。ベゼルとは風防(ガラス)の枠となる部分です。ケース本体はムーヴメントの枠となります。裏蓋は時計の裏側です。本品は腕時計専用機ですが、ケースはベゼル、ケース本体、裏蓋の三部分に分かれ、懐中時計の名残を留めています。





 純度 925/1000(925パーミル、92.5パーセント)の銀を、スターリング・シルバー(英 sterling silver)といいます。本品のケースはスターリング・シルバーでできています。突出部分を除くサイズは縦横とも 32.5ミリメートルの正八角形で、八つの角(かど)は美しい曲線を描きます。


 上の写真は本品の裏蓋をケースから外し、その内側を撮影しています。幾つか見える刻印のうち、いちばん上にあるジー・エス(GS)は、イギリスの商社ストックウェル・アンド・カンパニーのスポンサーズ・マークです。ジー・エス(GS)は二代目社主ジョージ・ストックウェル(George Stockwell)のイニシアルです。

 ストックウェル社はジョージ・ジェンセン製品の他、銀の箱やシガレット・ケース、銀のカトラリー、銀製ライター、銀製バックル、銀製ナプキン・リングなど、多様な銀製品をイギリスに輸入していました。銀無垢時計もストックウェル社が取り扱う品目の一つでした。本品に見られる刻印は 1907年6月に登録され、1909年から 1931年まで使用されました。





 ストックウェル社の刻印の左下に、スターリング・シルバーを表す純度の刻印(.925)が見えます。その右に見えるのは、ロンドン・アセイ・オフィス(ロンドン貴金属検質所)の刻印です。

 いちばん下には、幡(はた)か紋章のような図形の中に、シー(C)の文字が見えます。これは 1918年のデイト・マークです。したがって男性向けに製作された腕時計専用機の中でも、本品は最も古い作例であることが分かります。

 1918年(大正七年)は第一次世界大戦が終わった年です。ドイツでは皇帝が退位し、ロシアでは革命後に皇帝一家が銃殺されました。我が国では豊田紡織と松下電器が創業しています。


 ストックウェル社の刻印よりも上に油性ペンで書き込まれているのは、オーバーホールの記録です。本品は我が国でも数少ないサーティファイド・マスター・ウォッチメイカー(C.M.W. 公認高級時計師)に整備していただきました。百年以上前の時計であるにかかわらず、本品は実用的な精度を保ってたいへん調子よく動作しています。





 時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を文字盤(もじばん)または文地板(もじいた)、文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの目印をインデックス(英 index)といいます。

 時計のインデックスには、年代毎に明確な流行があります。十九世紀の懐中時計はほとんどがバー・インデックス(線状のインデックス)で、稀にローマ数字のインデックスが見られます。アラビア数字のインデックスは、ほとんどありません。しかるに二十世紀初頭から使われ始めた女性用腕時計には、おそらく従来の時計との違いを際立たせるために、アラビア数字インデックスが採用されました。本品は男性用として制作された時計ですが、同時代の女性用時計と同様に、インデックスはアラビア数字となっています。





 アラビア数字の字体にも、時代の特徴が表れています。懐中時計のインデックスは、稀にアラビア数字が採用される場合でも、数字の内部を塗りつぶした字体でした。しかるに本品のアラビア数字は内部が白抜きにされ、そのぶん幅広で大胆な字体となっています。これは 1910年代に流行した装飾美術の様式で、アール・デコの影響によります。八角形の時計ケースもアール・デコ様式で、本品はまさに時代の空気を纏っていることがお分かりいただけます。

 本品の文字盤は、白色不透明のガラスを金属板に融着させた琺瑯(ほうろう)文字盤です。琺瑯文字盤は懐中時計によく使われた文字盤であり、この点でも本品には懐中時計の名残りがあります。金属とガラスは熱膨張率が大きく異なるので、長い年月を経た琺瑯文字盤には、ヘアラインと呼ばれる亀裂が生じがちです。しかしながら本品の琺瑯文字盤にヘアラインは発生せず、たいへん良好な状態です。

 本品の針は美しい青焼き(ブルー・スティール)です。青焼きとは鋼鉄製の針を加熱して、青い酸化被膜を形成したものです。青焼きは錆を防ぐための加工ですが、白い文字盤と青い針の取り合わせは見た目にもたいへん美しく、清潔感があります。





 本品の時針と分針は、先端寄りに環状の装飾を有するブレゲ針です。ブレゲ針の環状装飾は、時間の象りである月を模しています。六時の位置には小文字盤があって、ブルー・スティールの可愛らしい針が回っています。これはスモール・セカンド・ハンドと呼ばれる小秒針です。三本の針は錆も無く、たいへん良い状態です。

 現代の時計は中三針(なかさんしん)式、あるいはセンター・セカンド式と言って、文字盤の中央に秒針が付いています。中三針式(センター・セカンド式)のムーヴメントは作るのが難しく、1960年代になってようやく普及しました。それ以前は懐中時計も腕時計も小秒針式(スモール・セカンド式)で、六時の位置に小さな秒針が付きます。本品もそのような時計の一つです。





 本品はバンドの取り付け方が現代の時計と異なります。腕時計のケースには、バンドを取り付けるための突出があります。この突出をラグ(英 lugs)といいます。現代の時計では十二時側と六時側に二本ずつのラグが突出し、伸縮するバネ棒を使ってバンドを取り付けます。しかるに腕時計が誕生して間もない時代に、このような仕組みはまだ普及していませんでした。

 本品の十二時側と六時側には、単純な針金状のラグが設けられています。これは最古の様式のラグで、ワイヤラグ(英 wire lugs 針金状ラグ)と呼ばれます。本品のワイヤラグに適合するのは、取り付け部の幅十三ないし十四ミリメートルの革バンド、または端を開くことが出来る金属製バンドです。





 上の写真は本品の裏蓋側です。現状のバンドは新品ではありませんが、まだ充分に使える状態です。

 ワイヤラグに革バンドを取り付けるには、端が開いた特別な種類である必要があります。ワイヤラグ用の革バンドは一般に市販されていませんが、当店では取り扱いがあります。端を開くことが出来る金属製バンドも在庫しています。

 アンティーク時計のバンドは元々取り付けられていた「オリジナル」でなくても構いません。革製のものは言うまでも無く、バンドはすべて消耗品ですし、昔のバンドが使える状態で残っていたとしても、それは前の所有者が自分に合うサイズ、好みのデザインのバンドを取り付けているだけのことです。時計会社はバンドまで作っていませんから、自分に合うサイズとデザインのバンドを取り付けるのが、アンティーク時計との正しい付き合い方です。





 時計のムーヴメント(内部の機械)には、電池で動くクォーツ式と、ぜんまいで動く機械式があります。現代の時計はほぼすべてクォーツ式ですが、これは 1970年代から使われ始め、1980年代に本格的な普及を見たものです。本品が製作された 1918年にクォーツ式ムーヴメントはまだ発明されておらず、時計はすべてぜんまいで動いていました。本品もぜんまいで動く機械式時計です。

 三時の位置に付いているツマミを、竜頭(りゅうず)といいます。クォーツ式時計の竜頭はたいへん小さいですが、本品をはじめとする手巻き時計には大きめの竜頭が付いており、ぜんまいを巻きやすいように配慮されています。機械式時計のぜんまいは、竜頭を時計回りに回転させることで巻き上げます。竜頭の操作は簡単で、誰でも扱うことが出来ます。初めての方でも心配要りません。





 秒針があるクォーツ式時計を耳に当てると、秒針を動かすステップ・モーターの音が一秒ごとにチッ、チッ、チッ… と聞こえます。デジタル式など秒針が無いクォーツ式時計を耳に当てると、何の音も聞こえません。本品のような機械式時計を耳に当てると、小人が鈴を振っているような小さく可愛らしい音が、チクタクチクタクチクタク…と連続して聞こえてきます。

 チクタクという音は、アンクル(仏 ancre 錨)の入り爪がガンギ車とぶつかる際の衝撃音です。アンクルとガンギ車は上の写真のいちばん手前、天符(てんぷ)下の左寄りに写っています。天符は高速で振動しているため、チラネジや天輪の腕がブレて写っています。

 天符の振動は天符中心のひげぜんまいによります。本品のひげぜんまいは、アブラアン・ブレゲの巻き上げひげ(ブレゲひげ)です。ひげぜんまいの状態は、アンティーク時計が正しく動作するために最も重要なポイントです。本品のひげぜんまいはゆがみもなく、弱ってもおらず、たいへん良い状態です。





 良質の機械式時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。上の写真で赤く写っているのがルビーです。ルビーは四個しか入っていないように見えますが、写真に写っていない文字盤下の地板やムーヴメントの内部に入っていたり、箇所によって二重に入っていたりして、全部で十五個のルビ-が使われています。

 天符の振動数が一時間あたり 18000回であるとすれば、一日あたりの振動は 43万2000回、一年あたりの振動は 1億5768万回です。機械式時計に使用されるルビーは、このような多数回の振動に耐えるためのものです。ルビーはサファイアと同じくコランダム (Al2O3) という鉱物で、モース硬度 9 と非常に硬いので、摩耗してはいけない部分を守るために使用されています。

 初期の腕時計に使われるルビーの数は、女性用時計であれば六個か七個が普通でした。しかし本品は女性用よりも高精度の男性用時計で、ルビーの数も大型の懐中時計と同じ十五石です。なお二十世紀も半ばになると、腕時計には十七石のハイ・ジュエル機が登場しますが、二十世紀初頭の段階で、十五石は最高の石数です。





 天符を保持する天符受けに、緩急針が取り付けられています。A/Rすなわちアヴァン/ルタール(仏 Avant/Retard)、及び F/Sすなわちファスト/スロウ(英 Fast/Slow)は、時計を進ませたいとき、もしくは遅らせたいときに、緩急針を動かす方向を示します。

 本品の天符受けは彫金の模様で飾られていますが、これも懐中時計の名残りです。

 なお写真では受け石座のネジのうち一本が外れているように見えますが、実際は外れていません。実物のムーヴメントをルーペで見ていただければ、ネジはきちんと締められています。ご安心ください。





 上の写真では男性モデルが本品を着用しています。本品はバンドの幅が細いですが、時計自体が大きいので、現代の感覚で見ても、男性用時計として違和感は感じません。


 第一次世界大戦期までのヨーロッパは貧富の差が極端に大きく、富の大半が富裕層に集中していました。たとえば 1910年のフランスにおいて、上位一パーセントの富裕層が富の70パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位十パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を九十パーセントの国民が分け合う状況でした。一部の富裕層以外は、全員が下層階級というように、社会が極端に二極分化していたのです。

 そもそも二十世紀初め頃の時計は給与数か月分に相当する価格でしたが、銀無垢時計ともなれば、それ以上の高級品でした。現代の感覚で言えば、本品の価格は二百万円前後であったと思います。このような高級品である銀無垢時計は、大多数の人々にとって、めったなことでは手に入らない高級品でした。本品の保存状態はたいへん良好で、百年以上のあいだ大切にされてきた品物であることが分かります。





 上の写真では女性モデルが本品を着用しています。本品はケースのサイズがちょうど現代の女性用時計ぐらいですので、女性にも違和感なくお使いいただけます。


 本品は我が国でも数少ないサーティファイド・マスター・ウォッチメイカー(C.M.W. 公認高級時計師)に整備していただきました。ひげぜんまいの状態も良く、天符は大きな振り角で順調に動作しています。デリケートなイメージのアンティーク時計ですが、丁寧に取り扱えば、日常使用も十分に可能です。

 本品は部品が在庫していないので現状売りと表示していますが、これは時計お買い上げ後の不具合に対応しないという意味ではございません。現状売りの時計であっても、アンティークアナスタシアでは出来る限りの修理に対応しております。

 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 208,000円 現状売り

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




金銀無垢ケースの男性用腕時計 メーカー名《AからG》 商品種別表示インデックスに戻る

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