極希少品 再生する月に希望を託する唯一無二の腕時計 《ピエール・カルダン ヴィンテージ未使用品 直径 40.2 mm》 金色の月にカットガラスが煌めく芸術品
日本のシチズン社が 1970年代に制作したドレス・ウォッチ。ケースは直径 40.2ミリメートルと大きめサイズで、シャンパン・ゴールドのように淡く上品な金めっきまたは金張りです。裏蓋はステンレス・スティール製です。
本品はおよそ五十年前に作られましたが、販売されずに残っていた新品です。もともと付いていたバンドは未使用ではありますが、経年のため脆くなっていましたので、新しい革バンドに取り替えています。
現代の腕時計は、ボタン電池や太陽電池で動くクォーツ式が主流です。しかしながらクォーツ式腕時計が一般化したのは 1980年頃のことで、それ以前の時計はぜんまいで動く精密機械でした。本品もぜんまいで動く機械式腕時計です。機械式時計の中でも、本品は必要な箇所すべてにルビーを使用したハイ・ジュエル・ウォッチで、いまでもふつうに使うことができます。
三時の位置にあるツマミを竜頭(りゅうず)といいます。機械式腕時計のぜんまいは、竜頭を回転させて巻き上げます。クォーツ式腕時計にも小さな竜頭が付いていますが、操作することはめったにありません。機械式腕時計の竜頭は毎日操作しますので、扱いやすい大きめのサイズです。本品では竜頭の半分ほどがケースのくぼみに隠されて、月の形を崩さないように配慮されています。なお機械式時計のぜんまいを巻くのはとても簡単で誰にでもできますから、初めての方でもまったく心配いりません。また時計を使わない日にぜんまいを巻く必要はありません。
腕時計にバンドを取り付けるための突出をラグ(英 lugs)といいます。通常の腕時計は十二時側と六時側にそれぞれ二本のラグが突出し、バネ棒という伸縮可能な棒状部品を使って、平たいバンドを取り付けるようになっています。しかしながら本品では月の円形を崩さないために、ケースから突出するラグを採用せず、ケースの裏側に切れ込みを作ってバンドを取り付けています。バンドは通常通りにバネ棒を使って取り付けられていますので、バンドは簡単に取り換えられます。一般に市販されている幅
20ミリメートルのバンドが本品に適合します。サイズ、取り付け方とも特殊な物ではありませんのでご安心ください。
なお、時計お買い上げ時のバンド交換は無料で承ります。紺色、茶色等、他の色をご希望の場合は遠慮なくお申し付けください。
時計において、時刻を表す刻み目が配置された板状の部品、すなわち風防越しに見える「時計の顔」に当たる部分を、文字盤(もじばん)または文字板(もじいた)と呼びます。本品の文字盤は
1970年代に流行したカラー文字盤で、三時側が弧状の焦茶色に着色されており、北半球において欠け始めた月、あるいは南半球において満月に近づきつつある月を模(かたど)ります。写真では細部が写っていませんが、本品の文字盤は九時の位置から放射状のヘアライン(微細な線)が刻まれ、月光を思わせる柔らかな光を反射しています。七時から八時の位置にピエール・カルダン(Pierre
Cardin)のサインがあります。
文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの印を、インデックス(英 index)といいます。本品のインデックスは 3時、6時、9時、12時が金色の小部品を植字したバー・インデックス、他の時刻のインデックスは白い小さな点となっています。針は金色の剣型で、腐食もなく美しい状態です。商品写真では角度によって見えづらく写っている場合がありますが、実物の視認性はまったく問題ありません。なお本品は秒針を持たない二針式です。二針式の腕時計はドレスウォッチであり、本品はその位置づけにふさわしく優雅な時を刻んでいます。
1970年代の腕時計はカットガラスの風防が流行しました。本品の風防も重厚なクリスタル・ガラスをカットしていますが、一般のカットガラス風防が左右対称であるのに対し、本品のカットは非対称です。筆者(広川)はこの時代のカットガラス風防が好きで、いろいろな種類を集めているのですが、非対称にカットされた風防は本品しか見たことがありません。本品の風防は三時側が薄く、九時側が極端に分厚いですが、厚みがこのように非対称な風防も本品しか見たことがありません。腕時計デザインの歴史において、本品は唯一無二の存在です。
ところで時間には二つの種類があります。二つのうち一方は物理学的な時間で、人間や他の生き物の生の営みとは関係無く、一定の速度で常に同じ方向に流れます。日時計や砂時計から始まって、機械式時計を経てクォーツ式時計に至るまで、あらゆる時計が測るのはこの物理学的時間です。物理学的時間は時計も何も無い真空にも流れています。真空では観測不可能な量子が常に生まれては消えていると考えられています。真空で生成消滅が起こる以上、真空にも時間は流れています。インマヌエル・カントは時間と空間を、感性(独
Sinnlichkeit)による認識の形式と考えました。ニュートンの物理学は一定の速度で不可逆的に流れる時間の上に成り立っています。アインシュタインは運動の速度が変わると時間の速度も変わることを示しましたが、それでも時間の流れの不可逆性に変わりはありません。
物理学的時間は無慈悲です。その流れは速くもならないかわりに遅くすることもできず、一定の速度で不可逆的に流れ続け、すべての生き物を老いさせ、やがては死に至らしめます。物理学的時間が持つこのような性質から考えれば、時計は死ぬ時までの残り時間を示す装置となります。実際のところ時計は
メメントー・モリーのひとつでもあって、文字盤に警句が書かれたり、ときには死の象徴である髑髏を模(かたど)って制作されることさえありました。
しかしながらこのような物理学的時間は、近代以降の西洋で明確に概念化されたものです。原初の人間はこのような物理的時間を知りませんでした。原初の人間に時の経過を教えたのは、太陽でも時計でもなく、月でした。月が教える時間は生と無関係に流れる抽象的時間ではなく、人間を含む生き物の生と一体の具体的時間でした。
ルーマニア出身の宗教学者でシカゴ大学神学部教授を務めたミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade 1907 - 1986)は、1949年初版の著書「宗教史論」(
"Traité d'histoire des religions")において、月の象徴性、古代人の思考における月について詳しく掘り下げ論じています。
世界のどの場所でも、具体的時間は月の盈虧によって測られました。現代に至っても狩猟採集民は太陰暦のみを使います。サンスクリット語マーミ(mâmi 測る)は印欧基語 "me" に遡りますが、ギリシア語メーン(μήν 一か月)、メーネー(μήνη 天体の月)、ラテン語メーンシス(MENSIS 一か月)、ドイツ語モーナト(der
Monat 一か月)、英語マンス(month 一か月)等、印欧各語で月に関連する語はこの語根を共有しています。タキトゥスの「ゲルマーニア」第二巻によると、ゲルマン人は夜を基準に時の経過を測りました。クリスマス、復活祭、聖霊降臨祭、
聖ヨハネ祭などヨーロッパ各地の祭りが夜に行われるのは古代ゲルマンの名残りです。
月の盈虧(えいき 満ち欠け)によって測られる具体的時間とは、生きた時間に他なりません。生きた時間は降雨や潮汐、播種、月経周期と結びついています。月の盈虧はコスモス(希
κόσμος 秩序ある世界、宇宙)全体に影響を及ぼし、地上のあらゆる事物、現象を統御します。農耕を始めた新石器時代人たちは、月の盈虧と水、降雨、人間と動物の生殖、植生、死後の世界、通過儀礼を既に関連付けていました。世界の内に存在する多様な事物は月という共通分母で括られ、コスモスに組み込まれます。この結果、月と結びつけられなければ互いに無関係であるはずの多様な事物間に関連が生まれ、世界の内にあるすべての断片がコスモス全体を内在させることになります。
たとえば螺旋すなわちカタツムリは軟体が殻から現れたり姿を隠したりする様子が月の盈虧に似ると同時に、女性器に似た貝の軟体、貝が好む水、女性の乳房に似た二つの渦巻き、
角(つの)を互いに関連付けます。女性が身に着ける
真珠は、月の光から生まれると考えられて月に結びつくと同時に、女性器に似た貝から生まれるゆえに性愛と生殖の護符ともなりました。薬草には月と水と植物の力が集まっています。ひとつの事物に力を与えるこれらの要素のひとつひとつが、コスモスの多くの層に関わります。たとえば植物には生と死、明と暗、豊穣等が関わります。世界の全事物は月という共通分母を解してコスモスの内に秩序付けられるのです。
古代人は月の盈虧を人間の生に重ね合わせました。三世紀半ばに成立したヒンドゥー教シャクティ派のテキスト、ラリターサハスラナーマ(Lalitâsahasranâma)によると、女神トリプラスンダリー(Tripurasundarî)は月の中にいる姿で瞑想されます。タントリズム文書のひとつルドラヤーマラ(Rudrayâmala)によると、この女神のプージャー(pûjâ 礼拝)は新月第一日に始まって太陰暦十五日まで続き、それぞれの夜の月(tithi)を一歳から十六歳までの少女十六人によって象徴します。これをクマーリー=プージャー(kumârî-pûjâ 少女の礼拝)と呼んでいます。
古代人は月の盈虧のうちに人間自身の生と死を見ました。すなわち月の盈虧は人間の誕生、成長、老衰、死に重ねられました。しかしこれだけでは月と人間に特別な呼応関係を措定する理由になりません。なぜなら生まれて成長し老いて死ぬのは、人間に限らずすべての生き物に共通する性質だからです。古代人が月と人間のあいだに特別な呼応関係、一体性を見出した理由は、月が復活するからに他なりません。すなわち月は永遠の生命という人間の望みを体現する天体であったゆえに、古代人の思考は人間と月を結びつけ、一体化させたのです。
このことを思うとき、本品の占めるユニークな位置に気が付きます。本品はケースの形状、風防のカット、文字盤の色付けがいずれも左右非対称であり、たいへん珍しいデザインです。さきほどは風防のカットについて、本品は唯一無二の作例であると言いました。しかしながら本品が唯一無二の時計であるのは、実は表面的なデザインのせいではありません。本品は天府の振動よって物理学的時間を図る機械であるにもかかわらず、盈虧と再生を繰り返す月を模(かたど)ることによって、近代哲学や物理学の抽象的時間とは異なり、古代の月に支配されたコスモス、再生の希望に応えてくれる月の時間の形見となっているのです。この理由によってこそ、本品は唯一無二の時計であると筆者(広川)は考えます。
本品は 1970年代に制作されたハイ・ジュエル、ハイ・ビートの高級品です。当時このような時計の価格は、初任給のおよそ二、三カ月分でした。現代のクォーツ式時計に比べるとずいぶんと高価ですが、現代の機械式時計も、高級品の価格はやはり数十万円です。ほとんどのクォーツ時計には、実はおもちゃのようなプラスチック製ムーヴメントが入っていて、そのせいで安く手に入るようになったのですが、良質の機械式時計の値段は、昔も今も変わりません。
初任給の二、三カ月分の価格で売られていたハイ・ジュエルの時計は、適切なメンテナンスによって数十年間動き続ける一生ものです。一生ものである事を考えると、初任給の二カ月分から三カ月分という価格は決して高くはありません。現代のクォーツ時計でも、ブランド物を買えば数十万円しますが、クォーツ・ムーヴメントの心臓である回路の寿命は、高級時計のメーカー自身が言うところではおよそ七年、長く見積もってもせいぜい十年ちょっとです。
それゆえに、もともとの価値の半分以下で手に入るアンティーク時計(ヴィンテージ時計)は、たいへんなお買い得品です。故障の際に部品が手に入らないという理由で、アンティーク時計はお買い上げ後の修理、メンテナンスに対応しない「現状売り」となるのが普通ですが、当店では
長期に亙り修理に対応いたします。ご安心ください。
上の写真は女性モデルが本品を装用しています。本品は男女ともにお使いいただけます。
本品は筆者(広川)自身が気に入って長く秘蔵していたものです。同じモデルの二点目が手に入れば一点を販売用にしようと考えていましたが、いくら探しても二点目は見つかりません。当店は博物館ならぬアンティーク時計店ですので、いくら貴重な品物であっても店にある限りはいつか売らなければなりません。そのようなわけで、このたび本品をウェブサイトにアップロードいたしました。まことに稀有な時計である本品の価値をわかってくださる方にお買い上げいただきたいと考えています。
お支払方法は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。
本体価格 228,000円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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