時代の華やぎを映すアメリカン・デザイン 《ロンジン 9LT 十七石 手巻きレクタンギュラー》 スイス製ドレスウォッチ 1954年
a rectangular dress watch for men by Longines, caliber 9LT, 17 jewels,
circa 1954
スイスの老舗時計会社ロンジンが、1954年頃に制作した男性用ドレス・ウォッチ。ケースの材質は十カラット・ゴールド・フィルド(十金張り)です。ケースの長方形部分は五百円硬貨ほどの大きさで、縦横のサイズは
28 x 24ミリメートルです。バンドを取り付けるための突出部分を含めたケース全体のサイズは、39.5 x 27.0ミリメートルです。本品はもともと男性用として作られた時計ですが、1950年代の時計は現代のものよりも小さめで上品ですので、女性にもお召しいただけます。バンドは茶や赤などお好きな色に交換可能です。七十年以上前の品物にもかかわらず、保存状態はきわめて良好で、きちんと動作します。
時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)をケース(英 case)といいます。本品のムーヴメントである《ロンジン キャリバー
9LT》の形状は長方形に近いですが、三時側の辺と九時側の辺が外側に向けてなだらかに膨らんでいます。このような形状をトノー型といいます。トノー(仏
un tonneau)とはフランス語で樽のことです。ムーヴメントがトノー型であるのに対し、本品のケースと文字盤は長方形です。
上の写真は本品のケースを開けてムーヴメントを外し、裏蓋の内側を撮影しています。裏蓋の内側には時計の販売会社名と本支店所在地、ケースの材質、ケース製造会社のロゴ、ケースの型式とシリアル番号が刻印されています。このシリアル番号はケース製造会社が打刻したケースのシリアル番号で、後に示すムーヴメントのシリアル番号とは無関係です。
ロンジン(Compagnie des Montres Longines)はスイス、ベルン県のサン=チミエ(Saint-Imier)に本社を置くスイス企業で、本品のムーヴメントはこのロンジン社が制作しています。裏蓋に刻印があるロンジン=ウィトナー社(Longines-Wittnauer Watch Company Incorporated)は北アメリカにおけるロンジンの販売会社で、ロンジンがアメリカ企業ウィトナーを買収したために、このような社名になっています。ロンジン=ウィトナー社の名が裏蓋に刻印されていることから、本品はスイスから北アメリカに向けて輸出されたものであることが分かります。
現在アメリカ合衆国で時計は作られていませんが、太平洋戦争以前のアメリカは時計大国でした。アメリカ合衆国政府は自国の時計産業を守るため、スイスから輸入される時計に高い関税を掛けていました。 スイスの時計各社はこの関税を回避するため、完成した時計をアメリカに輸出するのではなく、ムーヴメントの半完成品を部品としてアメリカに輸出しました。この半完成品をエボーシュ(仏 une ébauche)と呼びます。
エボーシュはフランス語で下作り、下書き、スケッチ等の意味ですが、時計業界ではぜんまいや調速脱進機、針をまだ取り付けていない半完成のムーヴメントを指してこう呼んでいます。エボーシュは時計ではなく時計部品と見做され、関税が掛かりませんでした。ムーヴメントに未調整(英 unadjusted)の刻印があるのも、時計の心臓部分である調速脱進機が付いていないエボーシュは「時計とは言えない」という主張の表れです。
北アメリカに輸入されたロンジンのエボーシュは、ロンジン=ウィトナー社によってぜんまい、調速脱進機、文字盤、針を取り付けられ、アメリカ製のケースに入れられて、完成品のロンジンとなりました。ロンジンに限らず、スイスの時計各社はこのような方法で関税を回避して、合衆国政府の保護主義に対抗しました。
裏蓋にはケース製造会社のロゴ、ケースの型式とシリアル番号が刻印されています。
北アメリカで販売されたロンジンは、上で説明した通り、スイスから入したムーヴメントをアメリカ製のケースに入れて販売されました。1950年代のアメリカはヨーロッパのように国土が戦場になることが無く、世界最強の国となって繁栄を謳歌しました。1950年代のアメリカで製作された時計ケースは大胆で華美な意匠が特徴で、直線を多用した大ぶりなデザインであることから、しばしばアール・デコ様式に分類されます。
本品は正面から見るとラグが大きいだけのように見えますが、側面から見るとベゼルの直線が層を為し、分厚いドーム型風防が描くグラマラスな曲線と鮮烈な対比を奏でます。細かい彫刻等を用いず、すっきりとした線と面で構成された本品ケースの意匠は、アール・デコ様式に分類されます。
アール・デコの最盛期は、1920年代とその前後です。1950年代はアール・デコ期と呼ぶには遅すぎますが、シンプルながらも大胆な本品ケースのデザインは、確かにアール・デコ様式を踏襲したものといえます。1940年代と 1960年代の時計はオーソドックス(正統的)なデザインですが、1950年代の時計には華やかさが求められ、個性的なモデルが美を競い合いました。ロンジンはスイスのメーカーですが、アメリカで制作された本品ケースの高度なデザイン性は、1950年代に黄金時代を迎えたアメリカの繁栄を映しています。
時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を文字盤(もじばん)または文地板(もじいた)と呼びます。本品の文字盤は美しい白色で、金色のインデックスを際立たせています。この文字盤は七十年以上前のオリジナルで、再生したものではありませんが、たいへんきれいな状態です。
文字盤の中心よりも上にロンジンのロゴ(LONGINES)があり、その下にはロンジンのシンボルマーク、翼のある砂時計が金色で描かれています。文字盤の最下部にはスイス製(SWISS)の表示があります。
文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの目印をインデックス(英 index)といいます。腕時計のインデックスには、年代毎に明確な流行があります。1940年代以前のインデックスは、すべてアラビア数字でした。しかるに
1950年代のインデックスは、アラビア数字と幾何学図形が交互に配置されます。本品はその一例で、金色に輝くアラビア数字と幾何学図形が、文字盤に植字された立体インデックスとなっています。
ちなみに 1960年代に入るとインデックスはすべてバー状になり、アラビア数字は姿を消します。アラビア数字と幾何学図形が交替する本品の文字盤は、1950年代に特有のデザインです。
本品は六時の位置に小文字盤があって、小さな針が回っています。これは小秒針(スモール・セカンド・ハンド)と呼ばれる小さな秒針です。
現代の時計は中三針(なかさんしん)式、あるいはセンター・セカンド式と言って、文字盤の中央に秒針が付いています。中三針式(センター・セカンド式)のムーヴメントは作るのが難しく、1960年代になってようやく普及しました。それ以前の時計は小秒針式(スモール・セカンド式)で、六時の位置に小さな秒針が付きます。本品もそのような時計の一つで、六時の位置には長さ三ミリメートルの可愛らしい秒針が回っています。
時計のムーヴメント(内部の機械)には、電池で動くクォーツ式と、ぜんまいで動く機械式があります。現代の時計はほぼすべてクォーツ式ですが、これは 1970年代から使われ始め、1980年代に本格的な普及を見たものです。本品が製作された二十世紀初頭にクォーツ式ムーヴメントはまだ存在しておらず、時計はすべてぜんまいで動いていました。本品もぜんまいで動く機械式時計です。
三時の位置に付いているツマミを、竜頭(りゅうず)といいます。機械式時計のぜんまいは、竜頭を時計回りに回転させることで巻き上げます。竜頭を引き出して回転させると針が早送りされ、時刻を合わせることができます。竜頭の操作は簡単で、誰でも扱うことが出来ます。初めての方でも心配要りません。
秒針があるクォーツ式時計を耳に当てると、秒針を動かすステップ・モーターの音が一秒ごとにチッ、チッ、チッ… と聞こえます。デジタル式など秒針が無いクォーツ式時計を耳に当てると、何の音も聞こえません。本品のような機械式時計を耳に当てると、小人が鈴を振っているような小さく可愛らしい音が、チクタクチクタクチクタク…と連続して聞こえてきます。
機械式ムーヴメントには手巻きと自動巻きがあります。自動巻きとは、簡単に言えば、回転錘(かいてんすい、ローター)による自動巻き機構を手巻きムーヴメントに付加したものに他なりません。したがって手巻きムーヴメントこそが、機械式ムーヴメントの基本です。自動巻き機構は便利ですが、時計を身に着けている間じゅうずっと動いているために、摩滅による破損が多く発生します。手巻きムーヴメントは自動巻き機構が無いので、当然のことながらこの部分の故障は起こりえません。また手巻きと自動巻きの精度は全く同等です。ちなみに宇宙飛行士が使う腕時計は、全て手巻き式です。
本品が搭載するのはロンジン社の手巻きムーヴメント、ロンジン キャリバー 9LT です。キャリバー 9LT は、名機キャリバー 9L(キャリバー 25.17)をさらに改良したもので、アンティーク・ロンジンの男性用ムーヴメントでは最も大きな部類に属します。上の写真の左端、振動(回転)する天符の下に
25.17 ABC の文字が刻まれています。
良質の機械式腕時計ムーヴメントには、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。本機ロンジン キャリバー 9LTは十七個のルビーを使用しています。上の写真ではルビーが六個しか見えませんが、あとの十一個は機械の裏側(文字盤側)など、上の写真に写っていない部分に使われています。十七個のルビーを使用した十七石(じゅうななせき)のムーヴメントは、摩耗してはならない個所すべてにルビーを使用した高級機です。十七石以上のムーヴメントをハイ・ジュエル機(英
a high jewel movement)と呼びます。
天符受けの受け石、及び三番車と四番車とガンギ車の穴石は、シャトン(仏chatons)と呼ばれる金の部品に取り巻かれています。金は軟らかい金属ですので、いわばシリコンゴムのような役割をして、ルビーが受けから脱落しないよう、しっかりと留めています。
受けにはロンジンの社名(LONGINES)、十七石(SEVENTEEN 17 JEWELS)、キャリバー名(9LT)、スイス製(SWISS)、ロンジン社に割り当てられたアメリカ合衆国時計輸入記号(LXW)、アナジャスティド(UNADJUSTED)の表記に加え、ムーヴメントのシリアル番号(9238024)が刻まれています。
ムーヴメントのシリアル番号は世界に一つしか無い本機固有の番号で、ここからムーヴメントが製作されたおおよその年代が分かります。本機のシリアル番号
9238024 は、1954年に当たります。
アナジャスティドは英語で「未調整」という意味ですが、これは本品のエボーシュがスイスからアメリカ合衆国に輸入された際の表記が残っているだけです。
時計が示す時間の進み方を、歩度(ほど)といいます。機械式時計の歩度を決定する調速機は、クロックの場合は振り子、ウォッチの場合は天符です。しかるに既に述べた通り、本機は未だ調速機を持たないエボーシュとして輸入されました。調速機が無ければ、当然のことながら、歩度調整はできません。
税関の係官は時計の素人とはいえ、エボーシュに調速機が付いていないことは一目見ればわかります。しかしエボーシュが時計ではなく部品にしか過ぎないことを強調して、わざわざ「未調整」の文字が受けに刻まれたのです。エボーシュにはその後に調速機と脱進機が取り付けられ、歩度調整がされていますので、現在は調整済みの状態です。ご安心ください。
手巻き時計は現在も作られていますが、現代の時計とアンティーク時計(ヴィンテージ時計)を比べると、天符の振動数に大きな違いがあります。現代の機械式時計は、最上位機種を除けばほとんどがハイ・ビート機です。これに対してアンティーク時計(ヴィンテージ時計)は、天符の振動数が少ないロー・ビート機なのです。本品ロンジン
9LT も、一秒あたり 5振動(A/h = 18000)のロー・ビート機です。
時計について浅く齧った素人はハイ・ビート機を崇拝し、ロー・ビート機を見下しがちです。知ったかぶりをする自称時計通が多いので、このような顧客層に訴求するため、近年の機械式時計はどれも
6振動以上に作られています。時計会社が存続するためには利益を出さなくてはならず、顧客の大部分を占める素人に分かりやすい数値を示すのは、販売数を伸ばす賢いやりかたでしょう。しかしながら筆者(広川)はこのような大衆への迎合を残念に感じています。機械式腕時計において大切なのは、天符の振動が様々な要因
― 主ぜんまいの残量、気温、重力の方向 ― に影響されないことであって、これと振動数の大小はまったく別次元の問題です。
分かりやすい例を出すならば、非常に正確な機械式クロックとして知られるビッグ・ベンは、振り子が四秒で一往復します。片道は二秒ですから、振動数は本機の十分の一に相当する
0.5振動(A/f = 1800)で、極めてロー・ビートです。さらに言えば天体の動きは地上の如何なるクロック、如何なるウォッチよりも正確ですが、地球の自転一回を一振動と考えるならば、一日は
86400秒ですから、地球の振動数はおよそ 0.00001振動(1/86400振動 A/f = 0.0000115740)です。時計の正確さを決めるのは振動数の大小ではなく、振動の安定性であることが、この一事からもお分かりいただけるでしょう。
天体は人工の機械でないゆえ、地球の自転を引き合いに出して時計の歩度を論じることに違和感を持たれる方があるかもしれません。しかしながら機械式時計は宇宙を支配する物理法則に逆らわず、譬えていえばその波にうまく乗って時間を計っています。機械式時計は天体を支配するのと同じ法則に従って、時を刻んでいるのです。
ロバート・フック(Robert Hooke, 1635 - 1703)はひげぜんまいの等時性を見出し、1670年にレバー式脱進式のクロックを開発しました。ひげぜんまいを使用し、傾けても止まらない天符式携帯時計(ウォッチ)を作ったのは、クリスティアン・ホイヘンス(Christian
Huygens, 1629 - 1695)です。効率的な脱進機はトーマス・トンピオン(Thomas Thompion, 1639 - 1713)が
1695年にシリンダー式を、トーマス・マッジ(Thomas Mudge, 1715 - 1794)が 1754年にレバー式を開発し、後者は今日の時計に使われています。このように概観して分かる通り、我々は数百年前と同じ技術を現在まで使い続けています。これらの技術がいつまでたっても古びないのは、不易不変の物理法則に従っているからです。
ロー・ビート機が持つ最大の長所は、部品の摩耗が抑えられることです。現代のスイス時計も、最も高級な機種はロー・ビートです。これは最も高級な時計が一生ものであり、さらには世代を超えて受け継がれることを想定して、部品の摩耗を抑えているからです。あくまでも振動の安定性が大切なのであって、これと振動数はまったく無関係です。
最後に、本品のケースは十カラットのゴールド・フィルド(金張り)です。ゴールド・フィルドとは板状の金をベース・メタルに張り付けたもので、現代の金めっき(エレクトロプレート)に比べると金の厚みは数十倍に達し、摩耗に強く、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は十カラット・ゴールド(純度
10/24のゴールド)で、十八金に比べて金そのものの強度が格段に強く、色の点でも淡く上品なシャンパン・ゴールドをしています。
(上) 1950年代後半の雑誌に掲載されたロンジンの広告。この直後、時計の流行はシンプルな円形ケースと幾何学インデックスに移行します。
現代人は安価なクォーツ時計に慣れていますが、クォーツ時計は 1980年代以降本格的に普及したものです。1950年代の時計は全て機械式であり、ハイ・ジュエル・ウォッチの価格は初任給二~三か月分ぐらいに相当しました。当時の時計はたいへん高価だったわけですが、時計の品質は購入者の期待を裏切らず、一生のあいだ愛用できる耐久性を有していました。
本品は男性用として作られた時計ですが、二十世紀中葉の時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にもお使いいただけます。
本品に適合するバンド幅は、男性用ヴィンテージ・ウォッチの標準サイズである十七ミリメートルです。この幅さえ合えば、お好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。商品写真は金属バンドを取り付けて撮影しましたが、革バンドを取り付けても構いません。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。
当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。
当店では時計用の箱をご購入いただけます。箱はレプリカ(現代の複製品)ではなく、時計と同時代のヴィンテージ品(アンティーク品)です。
当時の箱は時計を展示するステイ(腕)を取り除き、ネクタイピンやカフリンクスなどの小物入れとして使えるようになっていました。写真に写っている箱も時計のステイを取り除いてありますので、スポンジ製の枕に時計をはめて撮影しています。箱のサイズは幅
12.5センチメートル、奥行 8.1センチメートル、閉じた状態の高さ 5.1センチメートルです。この箱の税込価格は 18,000円ですが、時計をお買い上げいただいた方には税込価格
5,200円にてご提供いたします。
本品は現代の時計に無いデザイン性、優秀なムーヴメント、優れた保存状態のアンティーク時計です。当店は修理にも対応しますので、お買い上げいただいた方には長くご満足いただけます。
当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。
本体価格 194,000円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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