かつてフランスにあった最大の時計会社、リップ(Lip)による美しいドレスウォッチ。T-18という有名なムーヴメントを搭載しています。T-18は時計史上早い段階で開発された男性用トノー型ムーヴメントであり、フランスの誇りとする機械です。1948年、フランス政府は第二次世界大戦中の協力に感謝して、ウィンストン・チャーチルに
T-18の時計を贈りました。そのためこのムーヴメントを搭載した時計は、チャーチル(Churchill)の愛称で呼ばれています。
本品ケースのサイズは 38.6 x 21.1ミリメートル(ラグを含み竜頭を除く)で、チャーチルのなかでは最も大きな部類に属します。しかしながら大きな部類とは言っても、1930
- 40年代の男性用時計は現代の時計より小さめで上品ですので、女性にもお召しいただけます。バンドはお好きな色や材質のものに交換可能です。八十年ないし九十年前の品物にもかかわらず、きちんと動作します。
(上) フランスの雑誌に掲載されたリップの広告
時計産業が盛んなヨーロッパの国といえばスイスが真っ先に思い浮かびますが、時計はフランスやドイツでも作られています。フランス内陸部東端のドゥー県(Le
Doubs)は、スイス北西部のジュラ州と国境を接します。ドゥー県の首府ブザンソン(Besançon)は人口およそ十二万人の美しい都市で、フランスにおける時計産業の中心地です。
リップはエマニュエル・リップマン(Emmanuel Lipmann, 1844 - 1913)により、1867年、ブザンソンで創業しました。エマニュエルの事業は
1893年にリップ兄弟社、次いで 1931年にリップ時計株式会社と社名を変更しつつ成長し、二十世紀半ばにはフランス最大の時計会社になりました。
時計内部の機械をムーヴメント(英 movement 仏 mouvement)といいます。本品が搭載するムーヴメント T-18は、時計技師アンドレ・ドナ(André
Donat)が 1931年に設計した樽形の手巻き式ムーヴメントで、当初はティプ・ディジュイ(Type 18)と呼ばれていました。T-18の頭文字
Tはトノー(仏 un tonneau 樽)を、18は幅 18ミリメートルを意味します。T-18は 1933年から 1949年まで生産されました。
ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)を、英語でケース(英 case)、フランス語でボワト(仏 boîte)といいます。本品のケースはすっきりとした長方形で、側面から見るとアーチ状になっています。
近代的な腕時計のケースは、ベゼルと裏蓋の二部分に分かれます。ベゼルは文字盤と風防の枠になる部分で、ケースの上部に当たります。本品のベゼルは真鍮のような合金にクロムめっきを掛けたものですが、長い年月の間にクロムめっきは大部分が剥がれ落ちて、レプリカには再現できない、アンティーク時計ならではの風合いを獲得しています。
本品の裏蓋はステンレス・スティールでできています。時計を裏返すと、六桁のシリアル番号(186791)が刻印されています。
腕時計のケースが最も摩耗しやすいのは、肌と擦れ合う裏蓋部分です。ステンレス・スティールは摩滅せず、アレルギーも惹き起こさないので、腕時計ケースの素材として優れています。
本品の裏蓋には原因不明の小さな打痕がたくさんありますが、このせいで裏蓋に湾曲が生じたり、曲がったりはしていません。ベゼルと裏蓋はきっちりと閉まり、ムーヴメントにも影響はありません。
時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を、文字盤(もじばん)または文地板(もじいた)と呼びます。本品文字盤の中心よりも上に、リップのロゴ(LIP)があります。中心のすぐ下には小文字盤があって、長さ二ミリメートルほどの極小の秒針(スモール・セカンド・ハンド)が回っています。
現代の時計は中三針(なかさんしん)式、あるいはセンター・セカンド式と言って、文字盤の中央に秒針が付いています。中三針式(センター・セカンド式)のムーヴメントは作るのが難しく、1960年代になってようやく普及しました。それ以前の時計は小秒針式で、文字盤の下方に小さな秒針が付きます。本品もそのような時計の一つです。大抵の場合、小秒針が付くのは六時の位置ですが、リップ
T-18は文字盤の中心近くに小秒針があり、この型式の大きな特徴となっています。
本品は八十年ないし九十年以上前の時計で、半艶消しライト・シルバーの文字盤も再生文字盤ではなく当時のオリジナルですが、保存状態は驚くほど良好です。
文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの数字を、インデックス(英 index)といいます。インデックスには年代ごとに流行があり、1940年代までの腕時計にはアラビア数字が使われました。本品のインデックスもアラビア数字で、アール=デコ様式のすっきりとした字体です。
短針と長針、及び小秒針はドレス・ウォッチに相応しく、エレガントなフィル(仏 fil 糸)型です。三本の針はいずれも青焼き(ブルー・スティール)となっています。鋼鉄製の針を青焼きにするのは酸化しにくくするためですが、本品の青焼き針は明色の文字盤を背景に、美しく映えています。
時計に嵌っている透明のガラスやアクリルを、風防といいます。ミッドセンチュリーの時計に相応しく、本品の風防はアーチ状に盛り上がっています。
本品の風防はプレクシグラスと呼ばれる高透明度のアクリル製です。アクリル樹脂が発明されたのは第二次世界大戦中のことですから、本品にはもともとミネラルガラス製風防が嵌っていたはずですが、途中で割れて交換したのでしょう。プレクシグラスの風防はミネラルガラスよりも透明度が高いうえに、割れにくく安全で、小さな瑕(きず)を磨き落とせます。
上の写真は本品ケースの裏蓋を開けて、ムーヴメントを取り出しています。左側に写っているのは裏蓋の内側で、"LIP 163 012"
の型番が捺印されています。油性ペンの書き込みは、直近のオーバーホール記録です。本品は我が国でも数少ないサーティファイド・マスター・ウォッチメイカー(C.M.W. 公認高級時計師)に整備していただきました。古い年代にかかわらず、本品は実用的な精度を保ってたいへん調子よく動作しています。
右側に写っているのはムーヴメントで、文字盤が下になっています。機械式時計のムーヴメントは埃(ほこり)に弱いですが、リップ T-18には埃の侵入を防ぐカバー(ダスト・カバー)が付いている場合が多く、本品もカバー付きです。カバーにはリップの社名(LIP)と、フランス製(MADE
IN FRANCE)の文字が打刻されています。
上の写真はムーヴメントからダスト・カバーを外して撮影しています。本機のオーバーホールを担当した C.M.W.(公認高級時計師)のサインが、ダストカバーの内側にも記入されています。
1930年代の男性用ムーヴメントは、大多数が円形でした。しかしケースの形は長方形に人気があったので、時計各社は女性用の小さな円形ムーヴメントを超口径のケースに入れるか、或いはステップト・ケース(英
a stepped case 段付きケース)といって、ケースの三時側と九時側を外に張り出させて大きな円形ムーヴメントを収納し、その張り出しをデザイン上の工夫で目立たなくさせていました。
しかるにリップのキャリバー T-18、すなわちトノー18型は、1930年代前半という早い時期に開発されたにも関わらず、ムーヴメント自体の形状を長方形に近付けることで、ケース内の空間を有効利用しました。そのことにより、真に四角いケース・デザインと、外で働く男性が必要とする高い精度の両立が可能になりました。
リップ T-18のひげぜんまいは、高級なブレゲひげ(巻き上げひげ)です。天符の振動数は一時間当たり一万八千振動(f = 18000 A/h)、パワー・リザーヴは三十四時間です。
良質の機械式腕時計ムーヴメントには、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。
十七石以上の高級機を、ハイ・ジュエル機(英 a high jewel movement)と呼びます。1930年代当時、ヨーロッパの腕時計用ムーヴメントに使われるルビーは、多くて十五石がほとんどでした。この時代は十五石でも充分に多石で、リップ
T-18にも十五石のものがあります。しかしながら摩耗してはならない個所すべてにルビーを使用すると、十七石になります。本機が搭載するのは十七石のハイ・ジュエル機です。
上の写真の右寄りに、環状の大きな部品が振動する様子が写っています。振動とは、往復するように回転することです。上の写真で振動しているのは、天符(てんぷ)という部品です。天符は振り子と同様に往復しつつ回転し、傾けても止まらない振り子として働きます。
振り子は機械式時計の本体であり、振り子こそが時計そのものです。したがって天符は機械式腕時計における最重要部品です。天符の振動は、天符が大きいほど安定します。リップ
T-18の天符は他の男性用ムーヴメントに比べて極端に大きく、優れた精度を生み出しています。
天符が大きくなると、四番車(秒針が付く歯車)がムーヴメント中央に追いやられます。四番車が通常の位置にあると、天符とぶつかってしまうからです。リップ
T-18を搭載した時計において、秒針が極端に小さく、文字盤の中央付近の位置するのはそのためです。
リップ社は 1977年に清算され、T-18をはじめとするリップの時計は世から姿を消しました。しかしながらブザンソン時計協会(la Société
des montres bisontines, SMB)の手によって、リップ・ブランドの時計は 2002年に復活し、現在に至ります。手巻き式の
T-18も生産が再開され、百五十本の限定品ながら 1990ユーロ(32万円強)で販売されています。
本品はもともと男性用ですが、1930年代の腕時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にもお使いいただけます。上の写真の一枚目は男性が、二枚目は女性が本品を着用しています。
本品に適合するバンド幅(バンド取り付け部の幅)は十八ミリメートルで、この幅さえ合えばお好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。
なお男性用アンティーク時計(ヴィンテージ時計)のバンド幅は、十四ミリメートルないし十六ミリメートルが標準です。バンド幅十八ミリメートルの本品は、アンティーク時計としては大きめに感じられます。
当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。
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