エルジン 《グレード 555》 多角形デザインによる初期の紳士用時計 1940年
1940年頃にアメリカのエルジン社が制作した腕時計。もともと男性用として作られた時計ですが、女性にもお使いいただけます。七十年以上前の古い品物にもかかわらず、順調に動作しています。
上の写真で風防(いわゆる「ガラス」)越しに見えている部分を「文字盤」(もじばん)または「文字板」(もじいた)、時計内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)を「ケース」(英 case)といいます。本品は円形ムーヴメントを搭載していますが、風防、文字盤、ケースは角ばったデザインです。
十九世紀は懐中時計の時代でした。初期の懐中時計はムーヴメントが大きく分厚かったのですが、技術が進歩して小型化が進み、およそ百年前には手首に装着できる小型ムーヴメントが製作されるようになりました。男性は大きな時計、女性は小さな時計を使っていましたから、小さな時計を手首に装着しはじめたのは、女性たちでした。このようにして、およそ百年前に、まず女性が腕時計を身に着け始めました。上に示した写真は、いずれも
1910年頃に撮影されました。写真に写っている二人の女性は、小さな懐中時計にバンドを取り付けたものを、「腕時計」として装着しています。
腕時計は懐中時計から発達しました。懐中時計のムーヴメントはすべて円形です。四角形や八角形など、円形以外の懐中時計も稀(まれ)にありますが、それらは円形ムーヴメントを多角形のケースに入れているだけで、懐中時計のムーヴメントそのものは常に円形です。したがって腕時計のムーヴメントも、初期においてはすべて円形でした。
(上) 1930年代後半のエルジン社の広告。円い時計が流行ではなかったことがわかります。
1930年代に入って男性の間にも腕時計が本格的に普及し始めた頃、男女ともに四角い時計が流行しました。腕時計はもともと女性用の時計として誕生しましたので、1930年代の時点で女性用腕時計は男性用よりも進歩しており、細長い女性用ムーヴメントが既に登場していました。しかしながらこの時代の男性用ムーヴメントは、円形のものしかありませんでした。したがって角ばったデザインの男性用時計を作るには、円形ムーヴメントを使いつつも、時計が円く見えないように、ケースの形状を工夫する必要がありました。
(上) 左から順に、「ロード・エルジン 《グレード 531》」(1937年)、「ブローバ 《アメリカン・クリッパー》」(1936年)、「ブローバ 《ライタングル》」(1938年)、「ウエストフィールド 《ハドソン》」(1940年)
本品には 8/0サイズの円形ムーヴメント「エルジン グレード 555」が搭載されています。ムーヴメントのシリアル番号から、本品の製作年代は
1940年であることが分かります。「エルジン グレード 555」はこの年に製作が開始された十七石のハイ・ジュエル・ムーヴメントです。
本品が世に出た二年後の 1942年、エルジン社は 15/0サイズのトノー型(樽型)ムーヴメント「グレード 557」を開発します。しかしながら
1940年の時点では、エルジン社の男性用ムーヴメントは、他社の機会と同様に、すべて円形でした。したがって本品は、円形ムーヴメントを用いつつも角ばったデザインを実現するために、ケースの三時側と九時側に膨らみを持たせ、六角形の時計となっています。
上の写真に写っている四本の時計は本品と同じ年代に製作されたものです。これらの時計は角ばったデザインですが、いずれも円形ムーヴメントを搭載しています。円形ムーヴメントと角ばったケースの組み合わせは、1930年代後半から1940年代初頭にかけて制作された男性用時計の特徴であり、本品もそのような作例のひとつです。
本品の文字盤には本物のヴィンテージ・ウォッチ(アンティーク・ウォッチ)ならではの変色があります。変色の程度はごく軽く、視認性は全く損なわれていません。文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を「インデックス」(英 index)といいます。本品のインデックスはケースと同色の明るい金色です。
時針と分針は上品で高級感のあるリーフ型です。柳の葉のようにスマートな曲線を描くリーフ型の針は、ゆったりと時を刻むアンティーク時計にたいへん良く似合っています。
現代の時計の秒針は「センター・セカンド」といって、短針、長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。これに対して 1950年代までの時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、「スモール・セカンド」といって、六時の位置に取り付けられています。時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを制作するのは技術的に困難で、「センター・セカンド」が普及するのは1960年代です。1940年頃の時計の秒針は通常「スモール・セカンド」方式で、本品も例外ではありません。
本品のケースはゴールド・フィルド製です。「ゴールド・フィルド」(金張り)とは薄板状の金をベース・メタルに張り付けたもので、現代の金めっき(エレクトロ・プレート)に比べると、金の厚みは十数倍ないし数十倍に達します。金の層が厚いため、摩耗に強く、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は
10カラット・ゴールド(純度 10/24のゴールド)で、十八金に比べて金そのものの強度が格段に強く、色の点でも淡く上品なシャンパン・ゴールドをしています。
本品に適合するバンド幅(バンドを取り付ける部分の幅)は十六ミリメートルです。商品写真は新品の革バンドを取り付けて撮影しました。他の色の革バンドや、金属製バンドを取り付けることもできます。アンティーク時計のバンドは元々取り付けられていた「オリジナル」でなくても構いません。革製のものは言うまでもなく、バンドはすべて消耗品ですし、昔のバンドが使える状態で残っていたとしても、それは前の所有者が自分に合うサイズ、好みのデザインのバンドを取り付けているだけのことです。時計会社はバンドまで作っていませんから、自分に合うサイズとデザインのバンドを取り付けるのが、アンティーク時計との正しい付き合い方です。
本品のムーヴメント(時計内部の機械)は電池ではなくぜんまいで動いています。電池で動く「クォーツ式」腕時計が普及したのは、1970年代以降のことです。本品が製作された
1940年代は、クォーツ式腕時計はまだ存在せず、腕時計はすべてぜんまいで動いていました。
クォーツ式時計と機械式時計は、耳に当てたときに聞こえる音が全く異なります。秒針があるクォーツ式腕時計を耳に当てると、秒針を動かすステップ・モーターの音が一秒ごとに「チッ」、「チッ」、「チッ」
… と聞こえます。デジタル式など秒針が無いクォーツ式腕時計を耳に当てると、何の音も聞こえません。これに対して機械式時計、すなわち本品のようにぜんまいで動く腕時計や懐中時計を耳に当てると、小人が鈴を振っているような小さく可愛らしい音が、「チクタクチクタクチクタク…」と連続して聞こえてきます。
良質の機械式腕時計、懐中時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。本品のムーヴメント「エルジン グレード 555」は十七個のルビーを使用しています。上の写真ではルビーが五個しか見えませんが、あとの十二個は機械の裏側(文字盤側)など、上の写真に写っていない部分に使われています。十七個のルビーを使用した「十七石」(じゅうななせき)のムーヴメントは、摩耗してはならない箇所のほぼすべてにルビーを使用しており、「ハイ・ジュエル・ムーヴメント」(英 high
jewel movement)と呼ばれる高級品です。
ルビーを取り巻く金色の部品は「シャトン」(仏 chatons)といって、金(ゴールド)でできています。軟らかい金属であるゴールドでできたシャトンは、鋼鉄製の地板と受けにルビーをしっかりと嵌め込む役割をしています。
上の写真の右手前で回転しているのは「天符」(てんぷ)という部品です。天符はひげぜんまいという細いぜんまいの働きによって一時間当たり一万八千回という高速で振動(往復するように回転すること)し、規則正しい動きによって正確に時を測ります。天符は振子時計の振子に相当し、機械式懐中時計及び機械式腕時計において最も重要な部品です。本品のひげぜんまいは「ブレゲひげ」というもので、現代の時計ではほとんど見ることができない高級な作りです。
因みに1940年において、本品のようなハイ・ジュエル・ウォッチの価格は初任給のおよそ三カ月分でした。現代のクォーツ時計に比べるとずいぶんと高価ですが、現在スイスで作られている機械式時計も、価格はやはり数十万円です。ほとんどのクォーツ時計には、実はおもちゃのようなプラスチック製ムーヴメントが入っていて、そのせいで安く手に入るようになったのですが、良質の機械式時計の値段は、昔も今も変わりません。
この時計を作った「エルジン・ナショナル・ウォッチ・カンパニー」(The Elgin National Watch
Company エルジン時計会社)は、1864年から
1968年までアメリカ合衆国に存在していた名門ウォッチ・メーカーです。イリノイ州シカゴから五十キロメートル余り北西にある町エルジンに世界最大の時計工場を建設し、1867年から
1964年までの間におよそ六千万個にのぼる良質の時計を製作しました。
アメリカで隆盛を誇った時計産業は第二次世界大戦後に消滅し、エルジン時計会社もまた
1960年代末、完全に操業を停止しました。現在新品として販売されているクォーツ式「エルジン」は中国製で、かつての高級時計エルジンとは何の関係もありません。
初任給の三カ月分の価格で売られていたハイ・ジュエル・ウォッチは、適切なメンテナンスによって数十年間動き続ける「一生もの」です。「一生もの」である事を考えると、「初任給の二カ月分から三カ月分」という価格は決して高くはありませんでした。現代のクォーツ時計でも、ブランド物を買えば数十万円しますが、クォーツ・ムーヴメントの心臓である「回路」の寿命は、高級時計のメーカー自身が言うところではおよそ七年、長く見積もってもせいぜい十年ちょっとです。
上述したようにエルジン社はもう存在しないので、時計が故障しても同社に部品を注文することができません。故障の際に部品が手に入らないという理由で、アンティーク時計はお買い上げ後の修理、メンテナンスに対応しない「現状売り」となるのが普通です。しかしながら当店にはエルジンをはじめとするアンティーク時計の部品が多く在庫しており、長期に亙り修理に対応いたします。ご安心ください。
ムーヴメントの部品と並んで修理の際に問題になるのが、風防です。本品の風防は正面から見ると六角形、横から見ると三角形というユニークな形をしています。時計の風防はサイズや形状が精密に作られているために、通常の丸型や角型であっても適当に合わせることができません。特にこの時計のような特殊な形状のものは、この時計用に製作された専用品が在庫していなければ、交換することは不可能です。
上の写真は当店に在庫している本モデル専用の風防で、七十年以上前のデッドストック品(新品)です。この風防は時計部品として別売りしています。
現状で時計に取り付けられている風防には通常の使用に伴う小さなキズがありますが、商品写真でご覧いただける通り、実用上、美観上とも差し支えは無いと思われるので、風防を新品に交換していません。将来の風防交換が心配な方は、時計と同時にスペアの風防をお買い上げいただくことも可能です。ただし本モデルの風防はアクリル製で、ガラス製のものよりもずっと丈夫ですから、あまり心配することはないと思います。
1940年当時、本品のようなアメリカ製時計の品質はスイス時計よりもずっと優れており、一生のあいだ愛用できる耐久性を有していました。それゆえアメリカの人々がスイスの時計を購入することはほとんどありませんでした。
しかしながら 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内でムーヴメントを製作するエルジン、ハミルトン、ウォルサムの各時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計のみを生産させました。そのためこの三社は、太平洋戦争のあいだ、民生用の時計を作ることができませんでした。アメリカの有力時計会社三社が民生用の時計を作れずにいる状況は、中立国スイスの時計産業にとって大きなビジネス・チャンスでした。民生用の時計が不足した戦時下のアメリカには、大量のスイス時計が輸入され、顧客を奪われたエルジン、ハミルトン、ウォルサムは経営上の大きな打撃を受けて、ムーヴメントを自社で開発、生産する力を失ってゆきました。
エルジンはシカゴ近郊に世界最大の時計工場を構えていましたが、やはり第二次世界大戦後に弱体化しました。1950年代以降、ドイツやフランス、スイス、日本からムーヴメントを輸入して時計を作り、なんとか余喘を保っていましたが、1964年、ついに操業を停止しました。本品が作られた
1940年は、日米が開戦する前年にあたります。本品のユニークなデザインは、この翌年以降、非情な国際政治に巻き込まれる運命のエルジン社が見せた最後の華やぎといえましょう。
本品は男性用として作られた時計ですが、二十世紀中葉以前の時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にも十分にお使いいただけます。バンドはお好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。
当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。
本体価格 128,000円 販売終了 SOLD
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
男性用(男女兼用)腕時計 商品種別表示インデックスに戻る
男性用(男女兼用)腕時計 一覧表示インデックスに戻る
腕時計 商品種別表示インデックスに移動する
時計と関連用品 商品種別表示インデックスに移動する
アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップ・ページに移動する
Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS