アール・デコ様式の彫金ケース、針、文字盤 《エルジン グレード 428 モデル E-2》 世界恐慌の直前に製作された腕時計 美しい工芸品 1929年
1929年頃にアメリカのエルジン社が制作した腕時計。もともと男性用として作られた時計ですが、女性にもお使いいただけます。九十数年前に製作された時計にもかかわらず、順調に動作しています。
上の写真で風防越しに見えている部分を文字盤(もじばん)または文字板(もじいた)、時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)をケース(英 case)といいます。本品は円形ムーヴメントを搭載していますが、風防、文字盤、ケースは八角形です。風防はミネラルガラス製で、瑕(きず)は全くありません。
十九世紀は懐中時計の時代でした。初期の懐中時計はムーヴメントが大きく分厚かったのですが、技術が進歩して小型化が進み、およそ百年前には手首に装着できる小型ムーヴメントが製作されるようになりました。男性は大きな時計、女性は小さな時計を使っていましたから、小さな時計を手首に装着しはじめたのは、女性たちでした。このようにして、およそ百年前に、まず女性が腕時計を身に着け始めました。上に示した写真は、いずれも
1910年頃に撮影されました。写真に写っている二人の女性は、小さな懐中時計にバンドを取り付けたものを、腕時計として装着しています。
腕時計は懐中時計から発達しました。懐中時計のムーヴメントはすべて円形です。四角形や八角形など、円形以外の懐中時計も稀(まれ)にありますが、それらは円形ムーヴメントを多角形のケースに入れているだけで、懐中時計のムーヴメントそのものは常に円形です。したがって腕時計のムーヴメントも、初期においてはすべて円形でした。
(上) 1930年代後半のエルジン社の広告。円い時計が流行ではなかったことがわかります。
1920年代に入って女性用の腕時計専用機が、次いで男性用腕時計が登場した頃、男女ともに四角い時計が流行しました。腕時計はもともと女性用の時計として誕生しましたので、1920年代の時点で女性用腕時計は男性用よりも進歩しており、細長い女性用ムーヴメントが既に登場していました。しかしながらこの時代の男性用ムーヴメントは、円形のものしかありませんでした。したがって角ばったデザインの男性用時計を作るには、円形ムーヴメントを使いつつも、時計が円く見えないように、ケースの形状を工夫する必要がありました。
(上) 左から順に、ロード・エルジン 《グレード 531》(1937年)、ブローバ 《アメリカン・クリッパー》(1936年)、ブローバ 《ライタングル》(1938年)、ウエストフィールド 《ハドソン》(1940年)
本品には 6/0サイズの円形ムーヴメント、エルジン グレード 428が搭載されています。エルジン社は 1916年に七石のグレード 430の製作を開始しましたが、本機グレード
428はその一年後、1917年に製作が始まったムーヴメントで、グレード 430と基本設計を共有しつつ、ルビーの数を十五石に増やしています。製造後九十数年を経つつも本機が順調に動作しているのは、数多くのルビー製部品を使用しているおかげです。ムーヴメントのシリアル番号から、本機は
1929年に製作されていることが分かります。
本品よりも十三年後の 1942年、エルジン社は 15/0サイズのトノー型(樽型)ムーヴメント、グレード 557を開発します。しかしながら 1929年の時点においてエルジン社の男性用ムーヴメントは、他社の機会と同様にすべて円形でした。上の写真に写っている四本の時計は本品よりも新しい年代のものですが、角ばったデザインでありつつも円形ムーヴメントを搭載するため、左右に張り出したケースを採用しています。円形ムーヴメントと角ばったケースの組み合わせは
1940年代初頭までに制作された男性用時計の特徴であり、本品もそのような作例のひとつです。
本品は円形ムーヴメントを用いつつも角ばったデザインを実現するために、ケースの三時側と九時側を外側に張り出して八角形にしています。八はわが国でも末広がりとして喜ばれますが、キリスト教文化圏でも天地創造に要した日数(七)の次に来る数であるゆえに、新しいサイクルの開始、すなわち新生を象徴します。
ヴィンテージ・ウォッチ(アンティーク・ウォッチ)の文字盤にはさまざまな程度の変色が見られますが、本品文字盤は二時と三時の間にごく軽い変色がある程度で、極めて良好な保存状態です。なおこの文字盤は再生文字盤(リファービッシュ、リダン)ではなく、時計製作当時のままのオリジナルです。
文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの数字を、インデックス(英 index)といいます。インデックスには年代ごとに流行があり、1940年代までの腕時計にはアラビア数字が使われます。本品のインデックスもアラビア数字で、視認性を高めるためにラジウムが塗布され、写真で見るよりも緑色がかっています。
ラジウムは発癌性のある放射性物質で、時計の文字盤にラジウムを塗布する職工が癌で死亡する例が相次いだため、現在では時計文字盤への使用が禁止されています。本品のラジウムは夜光性を喪いつつも新品当時と同等水準の放射能を保っていますが、職工が癌になったのは夜光塗料が付いた筆先を舐めつつ作業をし、大量のラジウムを体内に取り込んだためです。時計の着用者が被曝することは決してありませんのでご安心ください。
時針と分針はミリタリー・ウォッチに使われるラジウム針で、インデックスと同じ夜光塗料が塗布されています。現代の腕時計はセンター・セカンド式または中三針(なかさんしん)式といって、短針、長針、秒針がすべて時計の中央に取り付けられています。これに対して
1950年代までの腕時計の秒針はごく少数の例外を除きスモール・セカンド式(小秒針式)といって、秒針は六時位置の小文字盤に取り付けられています。センター・セカンド式ムーヴメントは製作が困難であるために、1960年代になるまで普及しませんでした。1929年の腕時計はスモール・セカンド式で、本品も例外ではありません。
本品の短針、長針、小秒針はいずれも青焼き(ブルー・スティール)となっています。鋼鉄製の針を青焼きにするのは酸化しにくくするためで、本品の針も錆の無い良好な状態です。
上の写真は本品ケースから取り外した裏蓋の内側で、本品の意匠(時計のモデル名)が E-2 であることが分かります。腕時計のケースは時計会社自身が作るのではなく、ケースの製作会社が作って時計会社に納入します。本品エルジン
E-2のケースも、ケース専門の製作会社であるワズワース社がエルジン社に納入したものです。
ケースの材質は十四金張り(14カラット・ゴールド・フィルド)と表示されています。金張り(ゴールド・フィルド)とは薄板状の金をベース・メタルに張り付けたもので、現代の金めっき(エレクトロプレート)に比べると、金の厚みは十数倍ないし数十倍に達します。金の層が厚いため、摩耗に強く、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は十四金(純度
14/24のゴールド)で、十八金に比べて格段に優れた強度を有します。
なお本品の金が金色でなく銀色であるのを不思議に思われるかもしれませんが、純金は軟らかすぎて容易に摩耗・変形するので、これを金合金とすることによって実用に必要な強度を得ています。金は本来金色ですが、ニッケルで割って合金にすると白っぽいホワイト・ゴールドになります。本品のケースには、純度
14/24の金合金(金をニッケルで割ったホワイト・ゴールド)が張られています。
現代の腕時計は産業的規模で生産される工業製品です。しかしながらアブラアン・ブレゲがマリー・アントワネットのために制作した懐中時計などを思い浮かべればお判りいただけるように、時計はもともと精緻な工芸品とも呼ぶべきものでした。いまから百年前の腕時計は現代のような工業製品になり切っておらず、工芸品の性格を未だ留めていました。1929年に制作された本品のケースには、側面に美しい彫金細工が見られます。これは型押しによるものではなく、ウォッチ・エングレーヴァーと呼ばれる職業芸術家の手仕事であり、この時代の時計が実用品であると同時に美術工芸品でもあったことを示しています。
1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所でゼネラル・モーターズの株価が大きく下落し、これをきっかけに世界恐慌が始まりました。腕時計、特に本品のような十五石の腕時計は高価格品でしたから、大恐慌が始まると作られる数が大きく減りました。また暗い世相が時計デザインに反映し、本品のように華やかな彫金ケースは作られなくなりました。大恐慌直前に製作された本品は、第一次世界大戦に巻き込まれず、経済的繁栄の頂点に達したアメリカ社会の華やぎを今に伝えています。
上の写真は本品のケース裏蓋を取り外し、ムーヴメント(時計内部の機械)が見える状態で撮影しています。本品のムーヴメントは電池ではなくぜんまいで動いています。電池で動くクォーツ式腕時計が普及したのは、1970年代以降のことです。本品が製作された
1929年にクォーツ式腕時計はまだ存在せず、腕時計はすべてぜんまいで動いていました。
クォーツ式時計と機械式時計は、耳に当てたときに聞こえる音が全く異なります。秒針があるクォーツ式腕時計を耳に当てると、秒針を動かすステップ・モーターの音が一秒ごとにチッ、チッ、チッ … と聞こえます。デジタル式など秒針が無いクォーツ式腕時計を耳に当てると、何の音も聞こえません。これに対して機械式時計、すなわち本品のようにぜんまいで動く腕時計や懐中時計を耳に当てると、小人が鈴を振っているような小さく可愛らしい音が、チクタクチクタクチクタク…と連続して聞こえてきます。
良質の機械式腕時計、懐中時計には、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。本品のムーヴメント、エルジン グhレード 428は十五個のルビーを使用しています。上の写真ではルビーが四個しか見えませんが、あとの十一個は機械の裏側(文字盤側)など、上の写真に写っていない部分に使われています。写真では分かりづらいですが、ルビー製の穴石は金製のシャトン(仏
chatons 枠)に嵌めたうえで、スティール(鋼鉄)製の受けや地板に押し込められています。懐中時計や古い時代の腕時計のムーヴメントでは、穴石を固定するのにしばしば金を使いますが、これは金が軟らかい金属であるゆえに容易に変形し、スティールの孔にしっかりと食い込んでアンカーの役割を果たすからです。
上の写真で手前に写っているのは、天符(てんぷ)という部品です。天符はひげぜんまいという細いぜんまいの働きにより、高速で振動します。天符の振動とは往復するように回転することで、天符は腕時計において振り子の役割をしています。上の写真では天符は振動しているので、ぶれて写っています。
本機エルジン グレード 428の天符は一時間当たり一万八千回という高速で規則正しく振動し、正確に時を測ります。本品の天符に取り付けられているひげぜんまいはブレゲひげ(巻き上げひげ)という種類で、現代の時計ではほとんど見ることができない高級な作りです。
因みに 1929年において、本品のような十五石の腕時計はたいへん高価でした。当時の本品の価格は初任給のおよそ二カ月分以上であったはずです。現代のクォーツ時計に比べるとずいぶんと高価ですが、現在スイスで作られている機械式時計も、価格はやはり数十万円以上です。実はほとんどのクォーツ時計にはおもちゃのようなプラスチック製ムーヴメントが入っていて、そのせいで安く手に入るようになったのですが、良質の機械式時計の値段は昔も今も変わりません。
本品を製作したエルジン・ナショナル・ウォッチ・カンパニー(The Elgin National Watch Company エルジン時計会社)は、1864年から
1968年までアメリカ合衆国に存在していた名門時計会社です。イリノイ州シカゴから五十キロメートル余り北西にある町エルジンに世界最大の時計工場を建設し、1867年から
1964年までの間におよそ六千万個にのぼる良質の時計を製作しました。
アメリカで隆盛を誇った時計産業は第二次世界大戦後に消滅し、エルジン時計会社もまた 1960年代末、完全に操業を停止しました。現在新品として販売されているクォーツ式エルジンはおそらく中国製で、かつての高級時計エルジンとは何の関係もありません。
初任給の二カ月分以上で売られていた本品は、適切なメンテナンスによって長くお使いいただけます。長く使い続けられることを考えると、初任給の二カ月分以上という価格は決して高くはありませんでした。現代のクォーツ時計でもブランド物を買えば数十万円しますが、クォーツ・ムーヴメントの心臓である回路の寿命は、高級時計のメーカー自身が言うところではおよそ七年、長く見積もってもせいぜい十年ちょっとです。
上述したようにエルジン社はもう存在しないので、時計が故障しても同社に部品を注文することができません。故障の際に部品が手に入らないという理由で、アンティーク時計はお買い上げ後の修理、メンテナンスに対応しない現状売りとなるのが普通です。しかしながら当店にはエルジンをはじめとするアンティーク時計の部品が多く在庫しており、長期に亙り修理に対応いたします。ご安心ください。
1929年当時、本品のようなアメリカ製時計の品質はスイス時計よりもずっと優れており、一生のあいだ愛用できる耐久性を有していました。それゆえアメリカの人々がスイスの時計を購入することはほとんどありませんでした。
しかしながら 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内でムーヴメントを製作するエルジン、ハミルトン、ウォルサムの各時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計のみを生産させました。そのためこの三社は、太平洋戦争のあいだ、民生用の時計を作ることができませんでした。アメリカの有力時計会社三社が民生用の時計を作れずにいる状況は、中立国スイスの時計産業にとって大きなビジネス・チャンスでした。民生用の時計が不足した戦時下のアメリカには、大量のスイス時計が輸入され、顧客を奪われたエルジン、ハミルトン、ウォルサムは経営上の大きな打撃を受けて、ムーヴメントを自社で開発、生産する力を失ってゆきました。
エルジンはシカゴ近郊に世界最大の時計工場を構えていましたが、やはり第二次世界大戦後に弱体化しました。1950年代以降、ドイツやフランス、スイス、日本からムーヴメントを輸入して時計を作り、なんとか余喘を保っていましたが、1964年、ついに操業を停止しました。本品が作られたのと同じ年の十月に始まった世界恐慌は、ドイツにおいてナチ党の躍進をもたらし、十年後に再び世界大戦が始まります。本品は世界恐慌前夜に、平和を享受し繁栄を極めたアメリカ合衆国とエルジン社が生み出した最後の華やぎであり、時計が美しい工芸品であった時代の掉尾を飾る作例といえましょう。
本品に適合するバンド幅(バンドを取り付ける部分の幅)は十六ミリメートルです。商品写真は茶色のバンドを取り付けて撮影しましたが、取り付け部の幅さえ合えば他の色の革バンドや、金属製バンドを使用することもできます。アンティーク時計のバンドは元々取り付けられていたものでなくても構いません。革製や布製のバンドは言うまでもなく消耗品ですし、昔のバンドが使える状態で残っていたとしても、それは前の所有者が自分に合うサイズ、好みのデザインのバンドを取り付けているだけのことです。時計会社はバンドまで作っていませんから、自分に合うサイズとデザインのバンドを取り付けるのがアンティーク時計との正しい付き合い方です。
本品は男性用に作られたo時計で、ケースのサイズはラグ(バンドを取り付けるための突起)を含む縦が 35ミリメートル、竜頭を除く横が 23ミリメートルです。アンティーク時計としてはかなり大きいサイズですが、現代の男性用時計ほどではありません。二十世紀中葉以前の時計は現在に比べて全般的に小さめで、デザインの点でもたいへん上品であるゆえに、女性にも十分にお使いいただけます。上の写真の一枚目は男性モデルが、二枚目は女性モデルが本品を着用しています。
バンドはお好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。
本品を同時代のエルジンの箱(プラスチック製 本体価格 30,000円 別売り)と組み合わせることもできます。箱の意匠は純然たるアール・デコ様式に基づき、時計を美しく陳列できるように工夫されています。この箱は
1920年代に作られた真正のアンティーク品で、レプリカ(後の時代の複製品)ではありません。1920年代は腕時計の製作数が少ないゆえに箱が作られる数も少なく、現在まで残っているものはほとんどありません。特にこの種類の箱は極めて手に入りにくく、当店では美しい状態のものを十数年かけて探し、ようやく一点を手に入れました。
当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。
本体価格 158,000円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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