最初期の腕時計 アール・デコ様式の彫金文字盤 《ギャレット 女性用銀無垢ドレス・ウォッチ》 アラビア数字に青焼きの針 スイス 1915 - 20年頃



 いまから百年余り前、1910年代後半頃に製作された女性用腕時計。突出部分(ラグと竜頭)を除くケースの直径は 25ミリメートルで、五百円硬貨よりもひと回り小さなサイズです。


 女性用小型懐中時計を手首に巻いた女性。1905 - 10年頃の写真。


 時計内部の機械を、ムーヴメント(英 movement)といいます。ムーヴメントを保護する金属製の容器、すなわち時計本体の外側を、ケース(英 case)といいます。

 腕時計は懐中時計から発達しました。ムーヴメント製作の技術が進歩して時計が十分に小型化されると、女性たちが小さな懐中時計を手首に巻き始めたのです。このようにして、女性用懐中時計からコンヴァーティブル・ウォッチが誕生します。コンヴァーティブル・ウォッチ(英 a convertible watcth)とは、懐中時計と腕時計の両様に使える時計のことです。コンヴァーティブル・ウォッチは二十世紀初頭に特有の女性用時計で、これが腕時計へと進化してゆきました。




(上) 小さな懐中時計から誕生した女性用コンヴァーティブル・ウォッチ。バンドを外せば懐中時計になります。当店の販売済み商品


 腕時計は女性用懐中時計から進化しました。しかるに懐中時計のムーヴメントはすべて円形です。四角形や八角形など、円形以外の懐中時計も稀(まれ)にありますが、それらは円形ムーヴメントを多角形のケースに入れているだけで、懐中時計のムーヴメントそのものは常に円形です。したがって腕時計のムーヴメントも、コンヴァーティブル・ウォッチの時代においてはすべて円形でした。


 初期の腕時計をはめた女性。1910年代半ば頃の写真。


 コンヴァーティブル・ウォッチの時代は 1910年代初め頃まで続きますが、1910年代も半ばになると本格的な腕時計(腕時計専用機)の時代が到来します。腕時計はもともと女性用の時計として誕生しましたので、女性用腕時計の技術的進歩は男性用よりも速く、1920年代の初めころには細長い女性用ムーヴメントが既に登場していました。流行に敏感な女性たちは、「時計は円いもの」という既成の観念を壊した四角い時計、細長い時計を競って身に着けました。

 上に示したのは四角い時計が登場する数年前に撮影された写真です。女性が着けている時計は円形のムーヴメントを搭載していますが、時計はコンヴァーティブル・ウォッチではなく、腕時計専用機です。この時代の男性は社会的規範に縛られ、十九世紀と変わらない円形の懐中時計を使っていました。これに対して女性たちは新しく登場した腕時計にいち早く移行し、手首のお洒落を楽しみ始めています。





 本品は上の写真と同時代に制作された腕時計です。一見して現代の時計と大きな違いは無いように見えますが、ケース(時計本体の外側)と機械の構造、インデックスや竜頭の意匠など、腕時計が誕生した時代の香りを随所にとどめており、バンドの取り付け方にも最初期の腕時計ならではの特徴が見られます。





 時計のムーヴメント(内部の機械)には、電池で動くクォーツ式と、ぜんまいで動く機械式があります。現代の時計はほぼすべてクォーツ式ですが、これは 1970年代から使われ始め、1980年代に本格的な普及を見たものです。本品が製作された二十世紀初頭にクォーツ式ムーヴメントはまだ存在しておらず、時計はすべてぜんまいで動いていました。本品もぜんまいで動く機械式時計です。





 三時の位置に付いているツマミを、竜頭(りゅうず)といいます。クォーツ式時計の竜頭はたいへん小さいですが、本品をはじめとする手巻き時計には大きめの竜頭が付いており、ぜんまいを巻きやすいように配慮されています。機械式時計のぜんまいは、竜頭を時計回りに回転させることで巻き上げます。竜頭の操作は簡単で、誰でも扱うことが出来ます。初めての方でも心配要りません。

 秒針があるクォーツ式時計を耳に当てると、秒針を動かすステップ・モーターの音が一秒ごとにチッ、チッ、チッ… と聞こえます。デジタル式など秒針が無いクォーツ式時計を耳に当てると、何の音も聞こえません。本品のような機械式時計を耳に当てると、小人が鈴を振っているような小さく可愛らしい音が、チクタクチクタクチクタク…と連続して聞こえてきます。





 1930年代以降の竜頭は機能のみを考慮した単純な形で、厚みのある円盤の周囲に刻み目を付けただけです。しかるに本品の竜頭は懐中時計の竜頭デザインを踏襲し、菊花のような形です。このように装飾的な竜頭は、1930年代以降には見られなくなります。

 十九世紀の懐中時計は、全てが熟練した時計職人の手作りでした。それゆえケースに細かい彫刻を施したり、竜頭を菊花のように飾ったりする無駄が見られました。一言で言えば、時計は芸術品であったのです。しかるに 1930年代に時計は量産化の時代を迎えます。工業製品となった腕時計は、ケースに彫刻が施されることもなくなり、竜頭も操作性のみが考えられて、あらゆる無駄が殺ぎ落とされます。竜頭を菊と呼ぶ習慣は古い世代の時計職人の間にのみ残っていますが、本品の竜頭は文字通り菊花の形をしています。





 時刻を表す刻み目や数字が配置された板状の部品を文字盤(もじばん)または文地板(もじいた)、文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの目印をインデックス(英 index)といいます。

 時計のインデックスには、年代毎に明確な流行があります。十九世紀の懐中時計はほとんどがバー・インデックス(線状のインデックス)で、稀にローマ数字のインデックスが見られます。アラビア数字のインデックスは、ほとんどありません。二十世紀初頭の腕時計はすべて女性用で、おそらく従来の時計との違いを際立たせるために、アラビア数字インデックスが採用されました。1910年代半ば頃になるとアラビア数字は角ばったアール・デコ様式の字体になり、文字盤には彫刻が施されました。1930年代になると文字盤の彫刻は影を潜め、数字は丸みを取り戻します。





 本品の文字盤は時計が製作された当時のオリジナルで、長い年月を経て淡いクリーム色に美しく色づいています。

 文字盤中央部はアカンサス文(唐草模様)の彫刻で飾られています。十八・十九世紀から二十世紀初めの時計は、ケースや文字盤を彫金で飾られていました。時計の彫金は金型で打刻したものではなく、ウォッチ・エングレイヴァーと呼ばれる職人芸術家の手仕事でした。本品文字盤のアカンサス文も、手作業で彫刻されています。

 本品文字盤のインデックスはアラビア数字で、角ばった右上がりの書体はアール・デコ様式です。アール・デコ(仏 l'art déco)とはフランス語ラール・デコラティフ(仏 l'art décoratif 装飾美術)を略した語で、1910年代から 30年代頃に最も盛んであった様式です。同時代の時計文字盤にはアール・ヌーヴォー風の植物文様とアール・デコの数字の取り合わせが多く、本品もその一例です。

 本品の針は古い建物壁面の大時計を想起させるゴシック風の形状で、美しい青焼き(ブルー・スティール)になっています。青焼きとは鋼鉄製の針を加熱して、青い酸化被膜を形成したものです。青焼きは錆を防ぐための加工ですが、白い文字盤を背景として鮮やかな青に輝く金属光沢は、見た目にもたいへん美しいものです。なおこの時代の女性用時計はすべてドレス・ウォッチで、秒針を持ちません。





 風防(ガラス)の枠になる部分を、ベゼル(英 bezel)といいます。現代の腕時計ケースは二つの部分、すなわちベゼルと一体化したケース本体と、裏蓋に分かれます。これに対して懐中時計のケースは三つの部分、すなわちベゼル、ケース本体、裏蓋に分かれます。ケース本体はムーヴメントの枠で、その両側にベゼルと裏蓋が付きます。懐中時計の裏蓋は、しばしば蝶番(ちょうつがい)でケース本体と連結されています。

 本品は最初期の腕時計であるゆえに、ケースの構造にも懐中時計の面影を色濃く残しています。本品のケースは懐中時計と同様に三つに分かれ、裏蓋は蝶番(ちょうつがい)でケース本体と連結されています。蝶番は良好な状態で、九十度に開きます。





 上の写真はケースの裏側で、ア・ジェ・ベ(A. G. B.)のイニシアルが彫られています。


 バンドの取り付け方に関しても、本品は現代の時計と異なります。腕時計のケースには、バンドを取り付けるための突出があります。この突出をラグ(英 lugs)といいます。現代の時計では十二時側と六時側に二本ずつのラグが突出し、伸縮するバネ棒を使ってバンドを取り付けます。しかるに腕時計が誕生して直後の時代に、このような仕組みはまだ考案されていませんでした。

 本品の十二時側と六時側には、単純な針金状のラグが設けられています。これは最古の様式のラグで、ワイヤラグ(英 wire lugs 針金状ラグ)と呼ばれます。本品のワイヤラグに適合するのは、取り付け部の幅 10ミリメートルの革バンド、または端を開くことが出来る金属製バンドです。ワイヤラグに革バンドを取り付けるには、端が開いた特別な種類である必要があります。ワイヤラグ用の革バンドは一般に市販されていませんが、当店では取り扱いがあります。また特殊な金具を使えば、通常の革バンド(バネ棒を使って取り付けるバンド)を使うことも可能です。当店にはこの金具も在庫しています。現在取り付けられているバンドが破損しても、取り換えることが出来ますのでご安心ください。

 アンティーク時計のバンドは元々取り付けられていた「オリジナル」でなくても構いません。革製のものは言うまでも無く、バンドはすべて消耗品ですし、昔のバンドが使える状態で残っていたとしても、それは前の所有者が自分に合うサイズ、好みのデザインのバンドを取り付けているだけのことです。時計会社はバンドまで作っていませんから、自分に合うサイズとデザインのバンドを取り付けるのが、アンティーク時計との正しい付き合い方です。





 上の写真はケース蓋を開けて、その内側を撮影しています。蓋の内側にはメーカーのマーク、ケースのシリアル番号、純度 935パーミル(93.5パーセント)の銀を示すホールマーク、スイス、ギャレット時計会社(ガレ時計会社)の社名が打刻されています。銀は金、プラチナ、ステンレス・スティールと並んで化学変化を起こしにくく、アレルギーの原因にもならないので、時計ケースの素材として優れています。

 油性ペンで書かれているのは整備(オーバーホール)の記録です。本品は我が国でも数少ないサーティファイド・マスター・ウォッチメイカー(C.M.W. 公認高級時計師)に整備していただき、順調に動作しています。





 上の写真は本品のケース裏蓋を開けたところて、ムーヴメントが見えています。左手前に大きな環状の部品がありますが、これは天符(てんぷ)といって、ぜんまいで動く時計(機械式時計)に特有の部品です。電池で動く時計(クォーツ式時計)に天符はありません。

 機械式クロックにおいて、最も大切な部品は振り子です。機械式クロックは振り子によって時を測ります。しかるに懐中時計や腕時計には振り子を取り付けることができません。時計が傾くと振り子が止まるからです。天符はいわば傾けても止まらない振り子で、クロックの振り子と同様の振動を行います。振動とは一方向に回り続けるのではなく、往復するように回転することです。

 本品の天符は一秒あたり 5回、一時間あたり 18000回の振動を繰り返して時を計測します。天符にはチラねじという極小のねじが取り付けてありますが、天符の動きが速いので、写真ではぶれて写っています。天符の振動は天符中心のひげぜんまいによります。ひげぜんまいの状態は、アンティーク時計が正しく動作するために最も重要なポイントです。本品のひげぜんまいはゆがみもなく、弱ってもおらず、たいへん良い状態です。





 天符の振動数が一時間あたり 18000回であるとすれば、一日あたりの振動は 43万2000回、一年あたりの振動は 1億5768万回です。このような多数回の振動に耐えるため、機械式時計にはルビーを部品として使用しています。ルビーはサファイアと同じくコランダム (Al2O3) という鉱物で、モース硬度 9 と非常に硬いので、摩耗してはいけない部分を守るために使用されます。

 後の時代の時計には十五石、十七石など多石使用のムーヴメントが普及しますが、古い時代の時計では石数が少ない傾向があります。特に女性用時計の場合、二十世紀初頭は女性の社会進出が進んでいませんでしたから、外の世界で持ち歩く道具である腕時計は、実用品よりもむしろアクセサリーとして位置づけられていました。

 このような事情により、本品ムーヴメントは七石で、後の時代の基準から見ると少ない石数になっています。しかしながらこれら七石は天符の穴石と受け石の二組(四個)、天符の振り石(一個)、アンクルの入り爪と出爪(二個)を合わせたものであり、最も必要な部分には余さずルビーが使われています。1950年代以降によく見られるピンレバー・ウォッチ(タイメックスなど)と比べれば、本品ははるかに高品質です。





 腕時計はまず女性用の装身具として、二十世紀初頭に産声を挙げました。本品はこの時代に制作された最初期の腕時計です。本品が制作された 1915年頃、銀無垢時計といえば大変な高級品でしたが、本品は安く仕入れることができましたので、こなれた価格でお譲りいたします。本品は我が国でも数少ないサーティファイド・マスター・ウォッチメイカー(C.M.W. 公認高級時計師)に整備していただきました。ひげぜんまいの状態も良く、天符は大きな振り角で順調に動作しています。デリケートなイメージのアンティーク時計ですが、丁寧に取り扱えば、日常使用も十分に可能です。

 本品は部品が在庫していないので現状売りと表示していますが、これは時計お買い上げ後の不具合に対応しないという意味ではございません。現状売りの時計であっても、アンティークアナスタシアでは出来る限りの修理に対応しております。お支払方法は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 88,000円 現状売り

※ お支払方法は、現金一括払い、分割払い、ご来店時のクレジットカード払い等が可能です。お気軽にご相談くださいませ。

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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