ディートリヒ・グリュエンによるセイフティ・ピニオン
The safety pinion by Dietrich Gruen, 1874
(上) ニュー・コランバス 18サイズ懐中時計
当店の商品です。
「セイフティ・ピニオン」(safety pinion) とは、主ぜんまいの破断が頻発した懐中時計の時代に、破断の衝撃から輪列を保護するべく考えられた特別な構造の二番カナです。ピニオンとは英語でカナのことです。
大手時計メーカーのひとつ、グリュエンの創業者として知られるドイツ人時計技師ディートリヒ・グリュエン (Dietrich Gruen, 1847
- 1911) は、1874年、アメリカで「セイフティ・ピニオン」の特許を出願して認められます。「セイフティ・ピニオン」にはいくつかの方式がありますが、ここではディートリヒ・グリュエンが考案したセイフティ・ピニオンについて解説します。
【ディートリヒ・グリュエンの「セイフティ・ピニオン」】
二番カナと二番車は同じ真に取り付けられています。巻き上げられた主ぜんまいが徐々に解(ほど)けて香箱車が回ると、その力は二番カナに伝えられ、二番カナと同じ真に固定されている二番車が回ります。二番車の回転は三番カナに伝わって三番車を回し、三番車の回転は四番カナに伝わって四番車を回します。
香箱内の主ぜんまいは、通常ならば、時計が進むにつれて徐々に解けて行きます。しかし主ぜんまいは動作に伴って金属疲労を起こしますから、いつか必ず破断します。また香箱の内側の突起から主ぜんまいが外れることもあり得ます。このようなことが起こると、主ぜんまいに蓄えられた力が一気に解放されることにより、香箱が強い力でいきなり逆向きに回転し、輪列に重大な損傷を与えます。
後の時代には切れにくい合金製の主ぜんまいが開発されましたが、それでも主ぜんまいの破断を完全に避けることはできません。ましてや19世紀の主ぜんまいは鋼で出来ていましたから、容易に金属疲労を起こしました。特に大型懐中時計の主ぜんまいは大きな力を蓄えるので、時計の動作中にぜんまいが切れると、輪列の歯車の歯の欠損や、真のホゾ折れといった重大な故障が、高い確率で惹き起されてしまいます。
ディートリヒ・グリュエンの「セイフティ・ピニオン」は、この問題を一挙に解決する優れた発明でした。二番カナは二番車と同じ真に、通常であれば、しっかりと固定されます。しかしディートリヒ・グリュエンは二番カナの中心の孔の直径を真よりもずっと大きく取り、孔に一箇所の切れ込みを入れました。下の図で、赤が二番カナの真、青が二番カナです。二番車は二番カナの受け座のすぐ下に、真と固着させて取り付けられますが、ディートリヒ・グリュエン式「セイフティ・ピニオン」の動作とは無関係なので、下図では描かずに省略しています。
二番カナは、従来は真に固着した状態で取り付けられていました。しかるにディートリヒ・グリュエンのアイデアは、従来なかった部品「コレット」を、二番カナと真の間に介在させることでした。下の図ではコレットを緑色で表しています。コレットは二番カナの内側に入ります。コレットには突起があって、この突起が二番カナの孔の切れ込みに嵌まります。
下の図をご覧ください。コレットは高さ(厚み)が二番カナの半分ほどで、二番カナの孔の内部を上下に移動します。コレット中央の孔にはネジが切ってあり、赤い真のネジ部分と噛み合います。ただしコレットが移動できる範囲の下半分では、真にネジが切られておらず、真の直径も細くなっています。
主ぜんまいが破断せずに時計が正しく動いている場合、下図の真は、図の上側から見て右回りに回転します。このとき緑色のコレットは、突起によって二番カナと噛み合ったまま、ネジのせいで真の上方に押し上げられて、真に固着した状態になります(下図左)。この状態で二番カナが回転すると、その力はコレットを介して真に伝わり、真に取り付けられた二番車、及び三番カナ以下の輪列に伝達されます。
ところが主ぜんまいが破断して二番カナが逆向きに回転すると、コレットはネジのせいで速やかに下方に押し下げられます。このときにコレットが降りる部分には、真にネジが切られておらず、また真の直径も細く作られています。それゆえ二番カナと真が固着した状態は瞬時に解消され、二番カナから真への力の伝達が断ち切られます。二番カナ、及び二番カナと突起で噛み合っているコレットは、真に力を伝えることなく空回りします(下図右)。真に力が作用しなければ、真に取り付けられた二番車にも、三番カナ以下の輪列にも、力が伝わることはありません。
二番カナ(セカンド・ピニオン)と真の間に可動式のコレットを介在させた「セイフティ・ピニオン」は、ディートリヒ・グリュエンによる非常に優れた発明です。ディートリヒ・グリュエンは
1894年、長男フレデリック・グリュエン (Frederick G. Gruen, b. 1872) とともに、「グリュエン」の名前が社名に入った時計会社「D.
グリュエン・アンド・サン」(D. Gruen & Son) を設立しますが、「セイフティ・ピニオン」の特許を取得した1874年は、後のグリュエン社の技術的源流となった記念すべき年として記憶されることになります。
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